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 初対面で気の張る食事の場で、鮨は難しい。最初にトロに手を出すのはさすがに憚られる。無難なところでエビか。いや、巻物にしておくか、と考えていると、父親からの質問が降ってきた。 「田中さんは研究者なんですね」 「はい」 「真面目そうで、いい」  誰かと比較しているであろうことが明白な言い方だった。  ありがとうございます、と応えたが、それ以上何を言えばいいのかわからないので黙っていた。  横の西澤を窺うと、どうやら国語から英語の試験に突入したようだった。  ほかのみんなは目を落として黙々と鮨を食べている。  啓子もお茶を飲み、海苔巻きをひとつ、3回に分けてゆっくり口に入れた。  聞こえてくる会話は、醤油取って、とか、お茶ください、だけなので、啓子も次はマグロにしようか、いや鯛がいいか、と思案しはじめていたところへ、いきなり「剛は不真面目です」という、父親の断定的な声が聞こえた。  は、と顔をあげると、父親は小皿の上のマグロの鮨を仇のように睨みつけている。 「こいつは不真面目です。子どもの頃からそうでした。学校でも不真面目でしたから、きっと仕事もそうだと思っています。不真面目な人生なんです。田中さん、そんな男でいいんですか」 「あ、はい、あの」と隣の西澤の顔を見ると、目で、何も言うな、と制された。 「こいつが一度、結婚に失敗しているのはご存知ですね」と、父親が鮨から顔を上げて啓子を見据えた。 「はい」 「分不相応だったんです」 「はあ、そうですか」 「そうです。京都のいいところのお嬢さんでした。だいたい剛は自分の分というものを弁えていない。高望みして猪突猛進した挙句がこれだ。だからわたしは危惧しています。一度失敗した者は、また同じ失敗を繰り返すのではないかと」  父親の視線は啓子から西澤へと移っていた。その西澤の目が、いつもより細くなっている。英語の長文読解か。しかも哲学的内容の難物。
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