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「そういう方とわかれば、わたしはますます自分の考えが正しいと思わざるを得ません。剛とうまくいくはずはありません」  え、どういう意味だ、と胸の奥のほうから湧き出る反発を抑え込みながら、こっそり腕時計を見た。まだ30分も経っていない。  ちらと横を見て、これは明らかに物理に突入したと直感した。西澤がこんなシリアスな顔になることがあるとは知らなかった。 「田中さんは真面目な方だ。剛の性根は不真面目です。勉強も好きではありません」  いや、だから勉強じゃないって。まだ半分か。この倍の時間、これに耐えなければならないのか。そうか、このオヤジは西澤のやることなすことすべてが気に入らないのだ。何もかもをまず否定しなければ気がすまないのだ。いいから聞き流せ。右から左へ。しかし、きっかり1時間でこれが終わるという保証もないのではないか。 「こいつの本性は女性関係に如実に表れています。離婚だけでも充分、人間として恥ずべきことなのに、間を置かずしてすぐに次の女性をたらしこむ。ふしだら千万です」  おそらく家族のあいだではその表現が常用されているのだろう。たらしこむ。思わず出てしまったのだ、きっと。この家ではわたしはたらしこまれた女なのだ。わたしの意思などどこにもない。ああ、そうか、息子の離婚はこのオヤジにとって恥ずべきことなのだ。人間として、などと偉そうなことを言っているが、子どもが離婚するなんて、教育者としての自分の価値が下がるとでも考えているのだろう。 「未入籍なのも、田中さんはこいつを庇って、自分にも責任があるなどとおっしゃってくださったが、こいつにそう思い込まされているのだと、わたしは確信しています。口だけは達者だから、言を弄して言いくるめているのに違いありません」  ダメだ、キレそうだ。とてもじゃないが聞き流すことなどできそうにない。 「こんなやつと一緒にいるのは田中さんのためにも良くない。怠惰で不真面目な人間性が影響します。朱に交われば、という言葉もある」  ああ、もう我慢できない。西澤の横顔を見上げる。たしかに物理だ。そもそも覚えていない元素記号は三日三晩考えたって出てこない、そういう顔だ。
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