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「だいたいケジメというものを知らんのだ、こいつは。世の中を、人生を甘く見ているからです」
こんなすっとぼけた理屈にも言い返さず、じっと耐えているのが西澤の優しさだということに、なぜこのオヤジは気づかない。視野狭窄の唐変木。
「だらだらと同棲生活を続けるなど、倫理感の欠如も甚だしい。言語道断だ」
わたしも同類か。ならば、キレていいか。わたし、キレていいか、つーちゃん。
「しかも、聞けば、こいつは田中さんのお宅に転がり込んでいるというではないですか。そんな、まるでヒモのような……」
と、ここまで聞いて、啓子の忍耐が轟音を立ててまっぷたつに割れた。
「西澤さんっ」
大教室の最後列にまでしっかり届く声が出た。
周囲の視線が集中して痛かった。横の西澤は尻を半分、座布団から落とし、片手を畳に突いている。
そして、ここにいる啓子を除く全員が『西澤さん』であることに気がついた。
一応、声を出す前に少し考えたのだ。このオヤジを『お父さん』と呼ぶ気には到底なれない。しかもまだ正式には義父ではない。いきなりファーストネームを呼ぶのもおかしいし、その名も、聞いたけれど忘れてしまった。ならば『西澤』でいいではないか。間違いではない。それに啓子の目はしっかりと父親を捉えている。誰も誤解のしようがない。
「剛さんは、今、わたしにとっていちばん大切な人です。遠くにいる両親よりもきょうだいよりも、誰よりも、いちばん大切に思っている人です。剛さんもわたしをとても大切にしてくれています。その人の悪口を長時間、聞かされるのは苦痛です。不快です。非常に、不快です。剛さんの悪口をおっしゃりたいのであれば、わたしのいないところ、わたしに聞こえないところで言ってください」
父親は大きく目を瞠いたまま、固まっていた。
急激にしぼんだ胸が震えた。
どうしよう。キレてしまった。もう取り返しがつかない。ごめん、つーちゃん。でも、もう耐えられなかった。
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