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第10話
「記憶が蘇るって、自分自身の記憶が……ってことですよね?」
「そう」
アンが頷く。
つまり、オレが誰なのか、どういう人間なのか、どのような環境にあったのか――
それらを知ることができるというのだ。
「蜘蛛を三匹集めれば現世に戻れる――っていうのも魅力的だけど、自分が誰なのかを知るために蜘蛛を集めたいと思っている輩だっているんだ。自分が誰だったのかがわからないまま消えていくのが恐ろしくてしょうがないって心理は、何となくわかるだろう?」
痛いほどわかる。オレはオレとして存在しているのに、自分自身の情報を何一つ知らないだなんて、気持ち悪くてしょうがない。
「オレが自分の名前を知ってるって話したときリリーが怯えたのは、オレが他の『クリミナル』から蜘蛛を奪って記憶を取り戻したんじゃないかと思ったからなんですね?」
「そーいうこと」
アンがもう一度頷いて、リリーを見る。オレもつられて彼女の顔を見た。
リリーはちょっときまり悪そうに眉を下げる。
「……もしかしたらユーキは、何も知らない振りしてわたしたちの蜘蛛を狙ってるのかもって思ったの。でも、そうじゃなかったんでしょ?」
「当たり前だよ」
この世界にやってきてからずっと、オレの蜘蛛は首にあるコレ一匹だけだ。
他人に奪われかけたことはあっても、自分から奪いに行ったことなんてない。
「あの――さっき『三匹集めても、本当に現世に戻りたいと思えるかどうかは別の問題』って言ってましたよね。それって、どういう意味なんですか? 記憶が戻ったら、なおさら自分の人生に執着が湧くものなんじゃないですか?」
リタさんが困惑気味に訊ねた。そうそう、オレもその言葉が気になっていたんだ。
「そこが難しいところでさー」
ふうっとため息を吐くアン。オレたちの顔を見回して続ける。
「俺ら、こうして和気藹々と話してると忘れちゃうんだけど……このおかしな世界に居る理由っていうのがあるんだよね。俺たちは普通の人とは違う。やっぱり『クリミナル』――犯罪者なんだよ。現世で何かしらの悪事をしでかしてきているから、こんな目に遭ってる。リリーも、リタも、ユーキも、現世では罪人だ」
「…………」
そうだった。記憶がないからいまいち信じられないけれど、ここに存在している以上、オレたちは全員、何らかの十字架を背負っている。
「そんな俺たちが自分自身を知ってしまったとき、待っているのは絶望しかない。犯した罪の程度にもよるけど、真の自分の姿に失望し、悲観し、そんなことならいっそこのまま朽ち果てたいと思うかもしれない」
「そんなこと――」
つい、アンの言葉を遮る。
まさか。オレに限ってそんなこと――思考はかなり常識に則していると思うし、この殺伐とした環境下でも、誰かを陥れて出し抜いてやろうなんて感情は湧かない。
そんなオレが、真実を知ったら朽ちてしまいたくなるような罪を犯したりするわけがない。
「『そんなことない』って、どうして言い切れるの?」
アンは責めるでもなく、かといって諭す風でもなく、淡々と訊ねる。
「ユーキは運よく自分の名前を思い出すことができたかもしれない。でもそれだけでしょ? ユーキが何処でどんなふうに生きてたかを知る手掛かりは得られていないはずだ。そのキミが、自分は大それた犯罪とは無縁だなんてどうしてわかるの?」
「……それは」
「皆そうなんだよ。皆、記憶がないから、自分だけはマトモな人間だと思ってる。でもそうじゃないから此処に居るんだ。そのことを忘れちゃいけない――あーただけじゃなく、リリーやリタ、そして俺だって」
「…………」
「…………」
名前を呼ばれた女子二人は、何も反論できずに黙っていた。
考えたくないし、認めたくないけど――そうだ。此処に居る以上、オレは普通の人間じゃないんだ。真っ当な道を歩んでこなかったからこそ、こうして裁かれている。
オレたちは犯罪者だ。天上での生まれ変わりを拒まれ、此処……地獄に落とされた。
「ごめん、キツイこと言って。……でも、いずれは知らないといけないことだと思ったから」
和やかな雰囲気が断ち切れ、しんみりした空気が広がる。それを自分の発言のせいだと思ったアンが、申し訳なさそうに謝る。
「いえ。オレが訊いたことですから」
辛いけど、これが現世のオレが築いてきた人生なんだ。たとえ記憶はなくとも、受け入れなければいけない。
「とはいえ……『クリミナル』だから此処での生き方も犯罪者らしくしなきゃいけないって謂われはないからねー。俺とリリーは穏健派だから、二人で不可侵条約を結んでるんだ」
それまでの雰囲気を取り繕うように、アンは敢えて明るいトーンで切り出した。
「不可侵条約? って?」
リタさんの問い掛けに、リリーが得意気に「それはね」と口を開く。
「さっきの話にも少し繋がるところがあるんだけど――わたしも、最初は自分って誰なのって気になって気になって仕方がなくて、他の『クリミナル』から蜘蛛を奪うべきか悩んだりもしたの。でも、『現世で罪人だったわたしが、現世に戻って何になるの?』……って、冷静に考えちゃったんだよね」
「俺もリリーと同じ結論に達したワケ。それで、このサバイバルな椅子取りゲームであがくのはやめた。どうせ朽ちるなら、ジタバタしたってしょうがないじゃん? だから、蜘蛛を奪い合う連中とは一線引きつつ、お互いを尊重しながら、ひっそりと終わりのときが来るまでを過ごそうって決めたんだ」
「独りだと、すぐに狙われちゃってジ・エンドだけど、二人でいればリスクは減るから。ね、アン?」
リリーが笑いかけると、アンも笑顔で応える。
……なるほど。アンが蜘蛛集めを「必要がない」「興味がない」と言っていたのは、そういう意味だったんだ。この二人は、はなから現世に戻る気がないのだ。
此処ではこんな生き方を選択することもできるのか――
「ね、よかったら、リタとユーキもそうしない?」
名案を思い付いたというように、はしゃぐリリー。彼女は、唇の前で両手を合わせて続けた。
「森の入り口や人気のないところでガツガツしてる人たちと違って、リタとユーキには、わたしたちと近いものを感じるの。他人と争ったりする雰囲気を、二人からは感じない」
思わず、リタさんと顔を見合わせる。
オレが他人の蜘蛛を奪う気がないのはもちろんのこと、穏やかそうなリタさんも、おそらく貪欲に生き抜こうという意思はあまり感じられなかった。
……そもそも、オレが手を掴んだくらいであれだけビビッているような人だ。オレよりも屈強な、大柄な男にでも狙われた日には――結果は見えている。
「ね、そうしよう。四人で過ごせば心強いし、わたしたち、きっと上手くやっていけると思うっ。蜘蛛集めなんて放棄して、楽しく暮らそうよっ」
「リリー」
アンは苦笑を浮かべ、鼻息の荒いリリーを制した。
「――それは、あーたじゃなくてリタやユーキが自分の意思で決めることでしょ。二人はまだこの世界に来たばかりなんだから、世界の仕組みを知ることができても、自分がどうしたいかってところまで考える余裕はまだないと思うよ」
その決断は、これから先の運命を大きく左右すること。だから慎重にならなければならない。
――そんな風にリリーに言い聞かせたアンは、今度は俺たちのほうを向く。
「というワケだけど、リタ、ユーキ。俺たちみたいなパターンもあるけど、どうするべきかはきちんと考えて。無理に俺たちに合わせる必要はないよ。……考えた上で、俺たちの意見に賛同してくれるなら、もちろんいつでも歓迎するけどね。だから、それぞれで納得のいく結論を出してちょーだい。いいね?」
「……はい」
「わかりました」
オレとリタさんは、背筋を正して頷いた。
「よーし。それじゃ、此処からはリリーと俺で、この世界のこぼれ話でも披露していこーかな――」
宴は結局、アンとリリーのこぼれ話のネタが尽きるまで続いた。
終わりのほうで、リリーが「この世界にも何故か月はあるんだよ」と言った通り、滝のカーテンを潜り洞窟の外に出て、空を見上げると――満月が浮かび上がっていた。
月は滝の色やヒガンバナと同じ、血のように真っ赤な色をしていた。
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