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第5話
「――――!」
――蜘蛛を奪われる!
急所である首元に触れられ、すかさず振り返ろうとした。だけど、
「いっ……!!」
首の付け根に触れた手のひらは、親指と人さし指とをUFOキャッチャーのクレーンのように使い、ギリギリと筋肉を締め付けてきて許さない。その力強さったら。
「やめて! その人は違うの!」
痛みに顔を歪めていると、対面の少女がサッと顔色を変えて大きくかぶりを振った。
「……?」
背後からちょっと驚いたニュアンス。そして首の圧迫感が消えた。
「何すんだっ……!」
解放されたオレは痛みが走った場所を押さえて振り向き、そこにいた人物にギョッとした。
洒落たスクエアフレームのサングラス越しにオレを見ていたのは、スラリとした長身の男。今までに出会った外国人らしき男たちには及ばないかもしれないが、日本人の平均よりは高めだ。
Vネックのインナーに、襟にファーのついたレザージャケットを重ね、細身のパンツにはうっすらストライプが入っている。足元はショートブーツ。
ロリータ少女が全身ピンクなのに対してコイツは全身黒尽くめで、ファーの灰色が目立つくらいだ。
腰の位置が高く、股下も羨ましいくらいに長い。そして何より――存在感がハンパないっていうか、凄みがあるというか。やり手のスナイパーってイメージだ。
「…………」
「その人は、変な男に絡まれてるわたしを助けてくれただけ」
見るからに強そうな男を前にして物を言えなくなる情けないオレの代わりに、少女が早口に説明してくれる。
「――そうだったのか」
男は少し疲れたような息を吐いて、黒っぽく襟足の長い髪を撫でつけた。
どうやらオレは無実の罪で消されかけたらしいと判明。……勘弁してくれよ。
ってかコイツは誰だ? 少女が言ってた連れの男だろうか?
男のサングラスはレンズカラーが淡いブルーで、瞳の動きは追うことができる。オレと少女を交互に見比べたあと、彼はふっと皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「……お前のことだから、懲りずにまた同じような手に引っ掛かっているのかと思った」
「わたし、そんなにバカじゃないもん。っていうか、わたしに付き纏わないでって言ったでしょ?」
「お前に付き纏っているつもりはない。寧ろ、僕が行く先にお前が現れるんだ」
「何それ、わたしがあなたに付き纏ってるって言いたいの?」
サングラスの男と少女がオレを挟んで言い合いになる。そのやり取りを唖然と眺めていると、男がオレを一瞥して言った。
「言ったろう。『クリミナル』は隙あらば蜘蛛を狙っている。そして狙われるのは力の弱い女だ。お前みたいに能天気で単純そうなタイプは人気があるんだろうな」
「失礼ね! わたしのどこが能天気で単純なのよ。ちゃんと考えて行動してるもん」
「ソイツがお前を『助けてくれた』と言い切る、おめでたい頭でか?」
「っ……おめでたいとは何よ、おめでたいとは!?」
「図星だろう。ソイツだってお前を襲ったりしないとは言い切れない」
ちょっと待て、それは聞き捨てならない。
まさかこのサングラス、オレが疾しい気持ちで少女に近づいたって言いたいんだろうか?
理論的には間違ってないし、さっきオレ自身が少女に言って聞かせようとした内容とそっくりそのまま同じだけど、あからさまに疑われるのは面白くない。
「お言葉ですけど。……別にオレは、下心があってその子に近づいたワケじゃない」
「じゃあ何故?」
黙ってられずにオレが言うと、間髪入れずにサングラスが訊き返す。
……何でそんなに噛み付いてくるんだよ。
「その子のぬいぐるみを偶然オレが拾った。落し物を持ち主に返すのは別に悪いことじゃないだろ?」
「ぬいぐるみ?」
「ねこちゅーちゃんのことよ」
男が不思議そうに尋ねたので、少女がねこちゅーを掲げて短く答える。男は一瞬考えるような間を空けつつも、直ぐに合点がいったようだ。
「それで? ぬいぐるみを返して貰ったなら、もう用事は済んだ筈だろう?」
「まあ、済んだけど……」
オレが割って入る隙をなかなか与えてくれず、マシンガンみたいに喋っていたのは少女の方だ。何でオレが尋問されなきゃならないんだ。
これには少女も不機嫌に口を尖らせる。
「この人を疑ってるならご心配なく。こーんな大胆に蜘蛛の印を出してる人、何処に居るっていうの? 普通だったらどうにかして隠してるところでしょ」
「…………」
男はしげしげとオレの首元を覗き込み、肩を竦めた。
「まあ、そうだな」
そして小馬鹿にしたように鼻で笑う。
……くそ。多分嫌疑は晴れたけど、何か悔しい。
男が大人しくなったところで、少女が同じトーンで続けた。
「ってゆーか、別にわたしが誰と何してたって、あなたには関係ないでしょ?」
「…………」
男は何か言いたげな素振りをするも、少女は更に言葉を重ねる。
「あなたに助けられることもあるし、ありがたいって思わなくもないけど、いちいちわたしのやることに干渉してこないで。わたしはわたしなりにキチンと考えてるし、対策もしてるつもり。だから、わたしのことはわたし自身が決めるの。あなたの指図は受けない」
そこまで一気に言うと、少女はオレの手をむんずと掴んで建物の外へと出ようとする。
意外に強い力で手を引かれ、引き摺られるみたいになる。
「おっ、おい――」
「行こ。口うるさい人がいると、お喋りも満足にできないっ」
少女はあまりこのサングラスの男と係わりたくないようだ。
戸口に立った男の横をするりと通り抜ける。
「待て」
静かな声で男が呼びとめたので、少女は嫌々足を止めてちらりと彼を見る。それに合わせてオレも彼を振り返った。
「何?」
「……今度は、そんなぬいぐるみのために無茶するんじゃない。そんなものより、お前の命――蜘蛛の方が余程大事だろう」
「分かったようなこと言わないで。ねこちゅーちゃんはわたしの大切なお友達なのよ。それに」
少女はねこちゅーを抱いた片腕に力を込めた。
「――おにいちゃんに貰ったもの、なんだもん」
彼女の顔を覗き込む。緑色の瞳が悲しげに揺れていた。そういえば、褐色の肌の男と揉み合いになってたときも言っていたな。
「…………」
サングラスの男は細く長いため息を吐いた。
「此処では蜘蛛が全てなんだ。だから悪いことは言わない、もっと危機感を持て」
「……っ、よけーなお世話。さ・よ・う・な・ら!」
イーッと歯を剥き出しにする仕草をして、少女は岩棚の方向へ早足に歩きだす。
……本当は指を添えてアカンベーでもしたかったのかもしれないが、片手はオレを引き、反対の手はねこちゅーを抱いて塞がっていた。どちらにしろオコサマかよ、と思う。
「そっちは、危険なんじゃ――」
「ヘーキ。複数で行動してれば、おいそれと襲ってきたりしないもの」
暗に褐色の肌の男の存在を示してみると、少女はカラッとした様子で答えた。
此処での暮らしは少女の方が長いのだし、ならば彼女の意見に従っておこう。
「わかった。……なあ、いいのか、あんな態度取って」
アイツが逆上して、蜘蛛でも狙ってきたらどうするつもりなんだ。足は止めずに尋ねる。
「いいの。あの人、別に怖いことしないもん」
「またそうやって信用する。不用意に人を信じるのはよくないって、オレもあの男もさっきから――」
「そういう意味じゃなくて。だって、あの人『スパイダー』だから」
「え?」
オレは思わず目を瞠った。
「さっきの人、『スパイダー』だったのか?」
「うん。だから、蜘蛛を盗られる心配はないってこと」
……なるほど。『スパイダー』は刑の執行を監視する者、だっけか。それならまぁ、そうか。
「待てよ。じゃあなんでオレの首に手を……?」
いきなり首元を掴まれたものだから、『クリミナル』かと思ったじゃないか。
「首に蜘蛛がいるって知らなかったんじゃないかな。きっと、わたしがまた男に絡まれてるって勘違いしたんだよ」
「また、って――君、そんなによく絡まれるの?」
目立つ見た目からして狙われそうではあるけれど。「んー」と小さく唸ってから、少女が答えた。
「此処に来てから五回目、かな。最初の一回と、今回以外はあの『スパイダー』さんが助けてくれたんだ」
五回目かな、じゃないだろ。それだけ狙われてればいい加減もっと緊張感持つだろうが。
「『スパイダー』は『クリミナル』同士の争いを仲裁しないって聞いたぞ?」
オレは呆れを顔に出さずに尋ねた。
少なくとも、能面女はオレを見殺しにしようとしていたよな。
「うん、そうみたいなんだけどね。『スパイダー』自体、蜘蛛を盗る力ってないみたいだし。……だけど、あの『スパイダー』さんは特別。大の男がわたしみたいにかよわい女の子ばかり狙うのを見てられないんだって。だからそういう現場に居合わせたら、『スパイダー』の立場を利用して止めに入るって言ってた」
わたしみたいに――ってくだりが実際にあったかどうかは置いておいて。
フェミニストってことなんだろうか。その割には少女への態度が横柄だった気がしないでもないが。それより。
「『スパイダー』の立場を利用して――って、いうのは具体的にはどういうことなんだ?」
「そっか、おにいさんはまだ此処に来たばっかりだったんだよね」
少女がふと気がついた様子で頷く。
「『スパイダー』は『クリミナル』を監視する役割を持っている。それは知ってるよね」
「ああ」
「この世界のルールを教えたり、『クリミナル』の消滅を見守るのが彼らの仕事。ただ『スパイダー』の中には女の人もいるわけで、暴力によって『スパイダー』が『クリミナル』に脅かされるようになってはいけないでしょ」
「……そうだな」
有り得ない話じゃない。能面女は体力に自信がありそうなタイプじゃないし、力自慢の男なんかに襲われたらひとたまりもないだろう。
「だから、『スパイダー』には自分が危険だと思った『クリミナル』を消滅させる権利がある」
「え!?」
つい大きな声を上げてしまった。何て物騒な権利だ。
「……つまり、その権利を使って『クリミナル』の優位に立ってるってワケだな」
「そういうこと。ただし、逆に『スパイダー』の方にも気に入らない『クリミナル』がいたらドンドン消しちゃえって思考の人が出てくるかもしれないじゃない? そうならないための制約もあるんだって」
「その制約って何なんだ?」
「さあ、そこまではわたしも知らない」
少女は小首を傾げた。
よく覚えておこう。『スパイダー』に盾突いたら、最悪、消滅も有り得ると。
「……って、今の話聞いたら尚更、さっきのサングラスの前では大人しくしておいた方がいいんじゃないか? 万が一消されたらどうするんだよ」
「おにいさんは心配症だなあ。大丈夫だよ、わたしを消すくらいならわざわざ助けてくれたりなんてしないし」
「うーん……」
そう言われればそんな気もする。気を悪くするくらいなら、最初から手を差し伸べなければいい。
「あの人、助けてくれるのはいいんだけどいちいちムカツクんだよね。クドクドクドクド、口うるさいお父さんみたいっていうか」
「……お父さんって歳じゃなかったような」
サングラスのせいで人相はハッキリ分からなかったけど、スタイルも良かったし、せいぜい二十代……いってて三十代くらいだろう。
「私がアンと一緒に行動するって言ったときも、『本当にそれでいいのか?』ってしつこくて。何であの人の許可取んなきゃなんないの」
そのときのことを思い出しているらしく、少女は腹立たしいという表情を浮かべる。
「何か嫌な出来事でもあったのかなぁ~? ……その、わたしじゃなく、誰か別の女の子を助けようとして、助けられなかったことがある、とか」
「嫌な出来事ねぇ……」
言いながら考える。確かに、さほど仲も良くない少女に対して過保護すぎやしないか。
『スパイダー』が『クリミナル』を助けるっていうのはレアケースみたいだし、もしかしたらそうすることであのサングラス自身の中で満たされるものがあるのかもしれないな。
――もっとも、少女にとってはありがた迷惑になっているようだけど。
「ところで、『アン』っていうのが、例の君の相棒?」
「そうだよ」
そこで漸く、サングラス男の出現により中断していた会話を思い出す。
「ソイツさ、本当に信用していいの?」
「もー、おにいさんまでさっきの『スパイダー』さんと同じこと言うの?」
堂々巡りになりつつある会話。少女は膨れてから、「あ」と短く声を上げた。
「なら、いっそアンに会ってみたらいいよ」
「ええ?」
会う? オレが、ソイツに?
「会ってみればわかると思うの。私たちの『基地』に来て――そうだ、折角だし、おにいさんも私たちと一緒に生活したらいい」
「はっ!?」
「どうせ行くところも決まってないんでしょ? おにいさん、何だかわたしたちと同じニオイがするもん。きっと上手くやっていけると思うの」
「い、いや、でも――」
思ってもみない誘いにオレは吃った。
何て大胆な子だ。素性の知れない男を簡単に『基地』とやらに招いて、挙句一緒に生活しようと言い出すなんて。しかも同じニオイって……何を指して?
「気にしないで、アンはそういうの寛容だし。それにさっきね、丁度もう一人新しいメンバーが増えたところだったの。今日は新メンバーの歓迎パーティーだね♪」
「…………」
少女は拒否する暇も与えず、例のごとくレシーブしきれないボールをガンガン投げてくる。
――正直、ありがたいといえばありがたいのだ。
この世界での過ごし方も正直まだよく分かっていないし、独りでいるのはどうしても不安だ。
少女はオレをどうにかしようとする風には見えないし……。
ただ、その『アン』ってヤツは別だ。会ったことないヤツを信用するワケにいかないし、更にはもう一人共同生活者が増えたのだという。
……危険じゃないだろうか?
いや、でも。
単独で行動して襲われたらそれでもアウトだ。どうせアウトなら、孤独を感じない方が良い。
「……わかった。行く当てなんてないし、とりあえず君の『基地』にお邪魔しようかな」
「うん!」
オレが言うと、少女は声色を一段高くして頷いた。
「――いつまでも『君』って呼ばれるの、何かヤダなあ。わたし、此処に居る間は『リリー』って名前で過ごすことにしてるの。本名分からないからね」
「リリー……」
聞き覚えがある単語だ。
「あっ、『Princess Rosary』の――」
「そうなの。どうせ自分で名前を決められるなら、自分が好きだった可能性が高いものを選んだほうがいいでしょ?」
こちらを振り返り、ニコニコと嬉しそうに微笑みながら少女――改め、リリーが言う。
『Princess Rosary』のキャラクター、双子の姉妹のお姉さんだっけ。
「『基地』では『リタ』も待ってるよ」
双子の妹のリタは、おそらく新しく加わったっていうメンバーのことだ。
「てことは、女?」
「ふふっ、勿論女の子だよ。だけど、変な気起こしちゃだめだからね!」
――心配無用だ。此処に来たショックでそんな元気は持ち合わせちゃいない。
「そうと決まったら早く戻ろうっ」
「わっ、足元、枝っ! 気をつけろよっ」
リリーが元気よく駆け出す。相変わらずマイペースな彼女を窘めながら、岩棚に沿って『基地』を目指した。
こうしてオレは、再び彼女と出会うことになるのだ。
オレの記憶の――そして犯した罪の鍵を握る、彼女に。
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