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第6話
延々と続く岩棚の横を、リリーと共に歩き続ける。
「……なあ、まだか?」
「うん、あともう少し」
三分くらい前――オレの時間の感覚が合っていれば、だけど――に訊いたときも同じ返答だったのだが。オレはついジトっと目を細めた。
「あっ、今『コイツ、道間違えてるんじゃないか?』って思ったでしょ!」
「いや、別に」
「ウソっ。絶対そういう目で見てた!」
リリーがオレと繋いだ手をぶんぶん振りながら拗ねた口調で言い、一呼吸置いてから続ける。
「……間違えてないよ、安心して。あのね、この辺りには洞窟が多くて『クリミナル』が潜んでいることが多いんだ。私もアンも争いごとって好きじゃないから、なるべく離れたところで、他人の寄りつかなそうなところを探したんだよ」
「なるほどね」
リリーが話す通り、周囲には先ほどのように大きく口を開いたものや、子ども一人通れるかどうかくらいのものまで、大小様々な洞穴があった。
地表から下に伸びている風だったり、岩棚にくっついているようだったり、形態も様々。「そもそもこの手の洞窟って、どういう原理で出来てるんだ?」という程度の認識しかないオレは、洞窟それ自体に興味津々だったのだが、一つ一つゆっくり覗いている暇もなければ度胸もない。
自然って凄いんだなとざっくりした感想だけ心に刻んで、ひたすら足場の悪い地面を踏みしめていから、時間の経過を遅く感じていたのかもしれない。だからついこうして同じ質問を重ねてしまうのだ――まだ着かないのか、と。
「それにしてもしつこいよ。もう少しって言ってるのに」
「だって最初の『もう少し』から結構経ってるからさ」
「失礼しちゃーう、本当にもう少しだもん。……ほらほら、あれ。岩棚の終わりが見えてきたでしょ?」
リリーがねこちゅーを持った手で前方を示したので、オレは顔を上げた。
五十メートルくらい先に岩棚の終わり――というか、あれは行き止まりだな――を確認する。岩棚が緩い弧を描きつつ大きな壁となって立ちはだかり、その上からは、式典のときに見掛けるレッドカーペットを垂らしたみたいに、赤く色づいた水がダバダバと落ちてきていて――
「っていうかリリー、アレは何だ? 滝か?」
「正解ー。ここから先は滝壷に近づいてくから、足元に気をつけてね」
明るく言ってのけたけど……え、滝?
「滝なんて行ってどーすんだよ。『基地』に向かうんだろ?」
「そうだよ」
会話の合間にも、リリーはオレの手を引きながら滝壷に近づいていく。
少し前からホワイトノイズに似たサーっという音が耳についていたのは、こういうことだったのか。スニーカーの靴底からぐにゃりとした柔らかさが消え、岩の角ばった感触に切り替わっていく。
「言ったでしょ。私もアンも争い事が好きじゃないから、他人の寄りつかなそうなところを選んだんだって」
いや、だからって――
「ふふ、今『だからって滝壷では暮らせないだろ』って思ったでしょ?」
滝壷の手前で立ち止まると、リリーはそう尋ねながらテカテカ光るエナメルの靴の表面に付いた土の汚れを払うため、上体を屈めた。
図星だったので彼女が起き上がるのを待って顔を覗くと、得意気に鼻を鳴らして言った。
「さて、第二問。私たちの『基地』は何処でしょーか?」
「は?」
いつの間にクイズ形式……とツッコむことも忘れ、オレは目の前の滝や滝壷をまじまじと観察する。
岩棚は四、五メートルくらい高さで、岩棚そのものが洞窟であるように抉れている。その中央が窪んでいて滝が緩やかに流れ落ちているという図。
水の色は、平原にあった池と同じく真っ赤。重力に従い飛沫に変われば白みを帯びるけれど、滝壷に着地した瞬間、血のように毒々しい色彩に戻る。
既に一度目にしているとはいえ、改めて真の当たりにするとインパクトがありすぎだ。もともと曇り空ではあったけど、岩棚の形状のせいで更に薄暗く、余計に不気味に感じる。
「何処でしょうって言われてもさ、何にもないじゃん」
「なくないよー。もっとよーく見てー?」
もっとよく見る――これ以上?
周囲は岩棚に囲まれているし、針葉樹林の群れも途絶えている。足場にはデコボコした岩場しかないし、目に付くものは赤い滝だけなんだけど。
「よく見た。でもやっぱり何もないぞ」
「ふふ、降参?」
……そんな嬉しそうな顔で訊くな。
不本意ながら頷きを返すと、リリーは満足げに微笑んだ。
「正解は――」
「あっ、おい」
彼女は再びオレの手を取ったと思ったら――何と、滝壷に向かって前進し始めた。
「危ないぞ、落ちたりしたら……!」
オレが止めるのも聞かずに、彼女は滝壷の横から岩棚の抉れた部分を足場にして、滝の裏を示す。
「滝の向こう側、でしたー」
……なるほど。滝の裏側もまた、洞窟になっているということか。
「どう、凄いでしょ! アンと二人で見つけたのー。此処なら一見分かり辛いし、隠れるには最適でしょ?」
そうかもしれない。外の光は届きにくいかもしれないけれど、身を隠して居る分には丁度いい。
「ただなぁ、明かりがないと不便じゃないか?」
「ふふん、それは中に入ってみてから言ってよね!」
リリーは自信ありげに言うと、細かな砂利や石を踏みしめながら滝の裏側の洞穴に入って行く。
滝と岩棚の間にはある程度の隙間があり、服や身体を濡らさずに入ることが出来た。、
洞窟の内部は意外にも、中の様子をきちんと見渡せるくらいに明るい。どちらかと言えば縦に長く、六畳から八畳くらいと思われる空間が存在し、奥には細く暗い通路が続いているようだった。
それにしてもこの明かりの正体は何なのだろう?
疑問は直ぐに解決した。かがり火だ。オレの目線よりも少し上あたり、デコボコした岩壁の数か所に点々と置かれたかがり火が、洞窟の中を照らしている。
そしてその明かりの下――ゆらりと動く人影を捉える。その人影は、洞窟の奥に壁に背を預けて座りこんでいたけれど、オレたちがやってきたことに気がつくなり、サッと立ち上がった。
「リタ、ただいまー!」
リリーが朗らかに声を掛ける。
「お帰りなさい、リリー」
リタと呼ばれた人物は、ホッとしたみたいな口調で言った。もしかしたら一瞬、別の『クリミナル』がやってきたと勘違いしたのかもしれない。
こんな逃げ場のなさそうな洞窟で独り、侵入者に遭遇したらさぞかし心細いだろう。
「あのね、リタ。早速新しい仲間を連れてきたの」
「仲間?」
「そう。仲間は多い方が心強いでしょ?」
リリーはリタに呼びかけながら、オレの手を引いて彼女へと距離を詰める。一歩、二歩。近づくごとに、彼女の容貌が鮮明になる。
袖が透けるネイビーのボウタイブラウスにベージュのショートパンツを合わせた彼女は、ほんの少し広がった裾から伸びた脚には黒いタイツを纏い、それを辿ると同色で細かいラメの入ったワンストラップのパンプスに行きつく。
女性にしては背が高い方だ。おそらく百六十センチ後半くらいはある。リリーと並んだら身長差は歴然となるだろう。身体の線は細く、シルエットの緩いブラウスを着ていてもスレンダーであるのは一目で分かった。
オレたちは触れ合うことのできる距離で向かい合う。
「で、はいっ。この子がさっきから話してたリタだよ!」
「……あの、はじめまして」
リリーはオレの手を放すと、オレとリタの間に立って言った。それに合わせてリタが頭を下げる。かがり火の照明に透ける髪はほんの少しオレンジみを帯びた茶色で、肩上までの品のいいボブスタイル。彼女が再び顔を上げると、パーマのかかった軽い毛先が顎周りでゆらりと揺れた。
「――――」
リタの顔を真正面から捉えたオレは、身体中の血液が逆流したみたいな、奇妙な感覚に囚われた。
……何だ? この感じ。
寒いような、熱いような、苦しいような、むず痒いような……上手く言い表せないけれど。
「ほーら、あ・い・さ・つ!」
黙ったままのオレにリリーが強い口調で促す。けど、今は言葉を紡ぐ余裕なんてなかった。
やや面長な顔立ちに、綺麗な曲線を描く優しげな眉。下唇がやや厚めの唇。彼女に会うのは初めての筈なのに、何処か懐かしく、見覚えがある。
特にその目。丸みのある愛らしい瞳はいつも何処か寂しげで、物憂げな印象。それは笑っているときでさえも――
『ユーキくんたら、男の子らしくないな。そういうときこそ、名前通り勇気出さなきゃ』
「っ!!」
オレの中で、ザワザワと騒ぎ立てる何か。
ユーキという名を思い出したときに浮かび上がった女のシルエットが、色彩を持ち、陰影を持ち、表情を持ち――やがてリタの姿に重なっていく。
言葉通りにオレを元気づけてくれる、ふわりとした優しい微笑み。
それはまるで、綺麗な花が開く瞬間のような……
――っ、何だっ……あ、頭が割れるように痛い!
オレはリタに釘付けになったまま、突然襲ってきた激痛を封じ込めようと両手で頭を抱えた。
「ちょ、ちょっとっ、どうしたのっ??」
リリーはオレの様子がおかしいことを察したようだ。慌ててオレの肩を叩く。
その衝撃にすら耐えられなくて、オレは片膝をついた。
「あっ……あの、リリー? この人、どうしたの……?」
「わ、わかんないっ。おかしいなぁ、さっきまではピンピンしてたんだけどっ」
二人の声がどんどん遠くなる。
「ねえねえっ、何、頭が痛いの?」
リリーが柄にもなく、真剣な声音でオレに呼びかける。
そう、頭が痛い。でも、それだけじゃなくて。
……何でだろう。まるで、悲しい物語を読んだあとみたいに胸も痛むんだ。
「…………」
困惑気味にオレを見下ろすリタの瞳に、心の内で問い掛ける。
――君は、一体何者なんだ?
――オレはどうして、君を知っているんだ?
縋るように彼女へと片手を伸ばしながら、オレは気を失ってしまったのだった。
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