第8話

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第8話

「何だーそっか。新メンバーってキミのことだったのかあ」 「アンの知り合い?」  オレと赤スニーカーの間にひょっこりと入ってくるのは、アニメ声の発信源であるリリー。何やら両手に野球のボールのような形状の赤い果実を抱えている。  彼女が訊くと、アンという名らしい赤スニーカーが笑って頷いた。 「ん、さっきちょっと、ね――や、まさかもう一度会えるなんて思ってなかったよー」  アンはオレへ歩み寄りながら、今度は不思議そうにリタさんを見た。 「……んで、そっちのカノジョは? どなたー?」  どなた、って……まさか、初対面? 「あ、ごめん、言ってなかったっけ。新メンバーはね、二人いるの、二人」  事情が飲み込めていない様子のアンに、リリーはぺろっと舌を出して言った。  おいちょっと待て、先に伝えておかなければマズいところじゃないか。  クリミナルは纏まって動くのが得策なのかもしれないけど、味方の皮を被りつつ虎視眈々と蜘蛛を狙うような輩がいないとも限らない。人数が増えるのはそうしたリスクも増えることを意味しているんだから。 「あ、そーなのね。それはそれは」  ところが、アンはさほど気にしないといった様子ですんなりと受け入れていた。寧ろ、歓迎している風にも見える。  多少なりともリリーを咎めるのではと予想していたオレはちょっと拍子抜けした。 「――てか、どした? 具合でも悪いの?」  小刻みに震えているリタさんを見て、アンが心配そうに訊ねる。 「……あっ……」  自分を落ち着けるように両手で腕を擦るリタさん。その顔色は真っ青だった。 「やだっ、今度はリタが調子悪くなっちゃったのっ!?」  リリーがハッと表情を変え、アンやオレを押し退けて様子を窺う。 「……う、ううん」  リタさんは弱々しく首を横に振った。そして。 「ご、ごめんなさい、ちょっと、外の空気が吸いたい……あとできちんとご挨拶させて?」  切羽詰った感じでリリーへとそれだけ告げて、足早に洞穴の外へと向かった。 「リタ――……あ、行っちゃった。ねえアン、わたし、付いていった方がいいかなあ? 外、危ないよね?」 「んー、そんなに離れなきゃ大丈夫だと思うよ。……それに何か、一人になりたい風だったしね」  言いながら、アンがじっと俺を見つめる。  ……な、何だ?  リリーに助けを求めそちらを向いてみると――彼女も、オレのことを疑わしそうに見ていた。 「ちょっと! リタに変なことしたわけじゃないよね?」 「しっ、してないって!」  慌てて否定してみるけど……いや、百パーセント俺の責任じゃないとは言い切れないか。リタさんの様子がおかしくなったのは、オレが爪を見せて貰おうと手を伸ばしたときからだ。 「ホントに? じゃあどーしてあんなに怯えた顔してたのっ?」 「お、オレが教えて欲しいくらいだよっ。それまで普通に話してたのに――手を握ったら、急に突き飛ばされて」 「手を握った? それ、リタの手をってこと?」  彼女の腕の中にあった果実が一つ、ぽとんと地面に転がり、リリーの瞳が嫌悪感で細められる。……何か、誤解されてないか?  オレは腰を屈め、それを拾い上げてから頭を振った。 「いや、勘違いされると困るんだけど、初めて会った気がしなかったからっていうか、それに――」  そして、さっきの流れを脳裏で反芻する。 「最初、肩を掴んだときはあんな風に動揺したりしなかったんだ。それなのに」 「肩を、掴んだ?」  ――マズい。リリーの声のトーンが明らかに低くなっている。 「待て、オレの説明の仕方が悪かった、別に邪な気持ちが働いたワケじゃ――」 「わたしたちが居ない間にヘンなことしようってコンタンだったんでしょ!? サイテー!」 「ちっ、違うっ! オレはただっ……」 「ってことは最初に倒れたのも演技だったのっ!? 倒れて油断させようってこと?」 「そうじゃないって!」  リリーの不在の隙をついて、リタさんにちょっかいを掛けたと思われているんだ。 「そういう卑怯な人じゃないって信じてたから連れてきたのにっ、シツボウしたよっ!」 「違うって言ってるだろ! 勝手に失望するなっ」  オレだって、そういうセコイやり方には反吐が出る。  リタに証言して貰えれば早いんだけど、あの感じじゃ彼女の方だってどんな風に捉えてるかわからないし。うーん、困った。 「まーまー。落ちついてよ二人とも」  それまでオレたちのやり取りを何も言わずに眺めていたアンが、気が抜けるくらいのんびりした声で呼びかけた。 「落ちついてなんていられないっ。仲間に手を出すなんて許せないもんっ」 「まだ手を出したって決まってないでしょ」  眉を釣り上げて怒るリリーを窘め、アンが続けた。 「まず新入りくんの言い分をちゃんと聞いてみようよ。それから後で、えーと……リタ、だっけ? 彼女にも事情を聴けばいい」 「…………」  リリーは大きく息を吐いて、納得したと示すように頷いたので、オレは目覚めてからのやりとりを正直に話した。 「なるほど。じゃあ新入りくんはー、見覚えのあるネイルだなーと思って、彼女の手を取ったってこと?」  洞穴の中心でリリーが抱えていた果実の山を囲むように車座になり、事情を話し終えると、顎に手を当てたアンがそう纏める。 「はい。別に下心があってそうしたわけじゃない。少しでも自分の記憶の手掛かりが欲しくて」 「ねえねえ、ホントなの? リタが、おにいさんの知り合いかもって話」  さっきよりは態度を和らげてくれているものの、半信半疑という風にリリーが訊ねる。 「事実がどうかは知らないけど、可能性があるのは本当だよ。……ただ、リタの方には全然覚えがないみたいで」 「ふうん、そ」 「……リリー」  頷きながらも、オレを避けるようにぷいっとアンの方を向くリリー。その何処となく冷たい返事に弱ってしまう。  本人が居ない中、潔白であることを証明するのは難しい。まあ、あの状況じゃ不審がられても仕方ないんだけど……。 「俺は、新入りくんの言うことが嘘って気はしないなー」 「アン! ……信じてくれるんですか?」  弱っていたところにアンからの助け舟が来て、目の前がぱあっと明るくなる心地がした。 「どうしてよ?」 「んー。まず一つ、さっき見た感じではリタの衣服に乱れはなかったでしょ?」  アンは「1」と示すようにサッと指を立てる。 「あの子が着てたブラウスには大きなリボンが付いてたよね。疾しいこと考えてるなら、まずそのリボンを解くところから始めると思うんだよ。あのタイプの服って、そうじゃないと脱がせたり手ぇ突っ込んだり出来ないから」  妙に確信めいた口調で語るアンを、オレもリリーもきょとんと見つめていた。  ……状況証拠って意味では間違っていないんだけど、そんな下世話な理由が一番に挙がるのか? 「こ、これから解くところだったのかもしれないでしょ。そんなの理由にならないよっ」 「まぁリリーが理解するのはまだ早いかな。何つーか、オトコの勘だよ、勘」 「むぅ、子供扱いしないでよー! 勘っていうのも認めないっ!」  気を取り直したリリーが慌てて反論するのを、アンは笑みを浮かべてかわしつつ、立てた指の本数を増やした。 「二つ目……もし俺が新入りくんの立場だったら、身体なんて後回しで蜘蛛を狙うね」 「蜘蛛を?」  オレが訊ねると、アンはこくんと頷いて続けた。 「うん。……リリー、自分の身に置き換えて考えて? こんな得体の知らない世界にやってきたばかりの人間は、やらしー気持ちに駆られるどころじゃないだろ。この状況を少しでも好転させるように必死だったはずだ」  リリーは緑色を纏った瞳を瞬かせながら、そのときのことを思い出しているようだった。 「……確かにそうだね、『どうしよう、どうやって此処で過ごしていこう』って気持ちに押し潰されそうになって……早く元の世界に帰りたいって、それだけだった」 「でしょ? 生きるか死ぬか、まさに絶体絶命の窮地に追い込まれているわけだからね。その状況下で、女の子と一対一になるチャンスが巡ってきたら――彼女の身体じゃなく、蜘蛛を狙うはずなんだ」 「ええっ!? じゃ、じゃあ――おにいさんは最初からリタの蜘蛛を狙って……?」  リリーから、驚きと共に敵意剥き出しの鋭い視線を向けられる。  オレが否定するより先に、アンが首を横に振った。 「いやいや、それはないね。新入りくんが蜘蛛を狙ったとは考えられない」 「どうしてよ?」 「蜘蛛を狙われるってのは、命を狙われるのと一緒でしょ。もしそういう傾向が少しでも見られたなら、リタの方からリリーに助けを乞うと思わない? 俺たちが帰って来たタイミングにでもさ」 「あ……」 「それにね、リタの蜘蛛の場所――って、初対面の俺は勿論知らないんだけど、おそらく洋服や靴で隠れてる場所に出てるんだと思うんだよね。……ちなみに、新入りくんはリタの蜘蛛の場所、知ってる?」 「いや、知らないです。っていうか、今言われるまで気にも留めてませんでした」  アンの言う通り、少なくとも露出はしていなかった。目に付くところには表れていなかったと記憶している。 「蜘蛛の場所を知らないのに、いきなり襲うっていうのはナンセンスじゃないかなあ。相手が女の子とはいえ、探してる間に抵抗する隙が出来ちゃうんだから。普通は、下手に出て蜘蛛の場所を聞き出してから実行に移すと思うよ」  オレの目の前で灰になってしまった――中国系の女。そういえば彼女も、それまで親しげな素振りを見せていた男に、蜘蛛が露わになった瞬間、手のひらを返されるような仕打ちを受けていた。 「…………」 「あくまで俺の意見だけどね。本当のところはやっぱり、リタ本人に訊くしかないな」  アンの意見には筋が通っている。あれだけ不快感を露わにしていたリリーもすっかり大人しくなった。そして。 「そうだね。ウソかホントかは、リタに直接訊くことにする。……とりあえず今は、おにいさんのことを信じてあげる」 「……それはどうも」  尊大な言い方に苦笑する。どうであれ、ひとまず嫌疑が晴れたのであればよかった。 「――あっ」  と、リリーが急に何かを思い出したような声を上げた。 「どうした?」 「そういえば、まだおにいさんの名前を聞いてなかった!」  言われてみればそうだな。リリーの名前を聞いたときにオレも名乗るべきだったんだけど、すっかりタイミングを失ってしまった。 「そうだな、オレは――」 「ねえ、『ダイアナ』っていうのはどうっ?」  エメラルドのようにキラキラと瞳を輝かせながら、リリーが勢い込んで訊ねる。 「だ、『だいあな』?」 「うんっ。『アン』の友達だから『ダイアナ』! いい案でしょっ?」  リタにそうしたように、オレにも名前を付けてくれるっていうんだろうか。それが『ダイアナ』……?  リリーが何を言ってるのか、サッパリわからない。それに、アンには一方的に世話になったってだけで、友達って言えるほどの仲ではないんだけど。 「リリー、せめて男の子の名前を付けてあげなさいって。流石に『ダイアナ』は可哀想じゃない?」 「えー、『アン』も女の子の名前だけど、気に入ってくれてるでしょー?」  眉をハの字にして笑うアンが窘めるけど、リリーは口を尖らせて退く気配がない。 「あーたが強引に言うから折れただけでしょ。……まー、耐えられるレベルだからいいんだけどさぁ」  どうやら『アン』という名前は、彼女が付けたらしい。  彼の頭髪――赤茶色の髪を捉えてハッと閃く。そうか、そういうこと。 「いーじゃない、ピッタリだよー。『赤毛のアン』♪」 「俺は三つ編みでもないし、そばかすだってないですからねーだ」  言いながら、アンがくしゃりと自分の前髪に触れ、その綺麗に染まった髪を恨めしそうに見遣る。……やっぱり、不本意なんだな。 「名前がないなら、付けないと不便でしょ。ねっ、おにいさんは『ダイアナ』で――」 「生憎だけど、オレは自分の名前、分かってるから」  アンの二の舞はごめんだ。皆まで言わないうちにそう遮る。 「……分かってる? 名前を?」  その瞬間、リリーがちょっと怯えた目をしたのを、オレは見逃さなかった。 「ってことはおにいさん、まさか……!」 「いや。彼はまだ『そういう』仕組みを知らないんじゃないかな」  驚いたのかたじろいだのか、立ち上がろうとするリリーの身体の前に片手を差し出し、制したアン。  『あなたが自分の名前を思い出したこと、他の『クリミナル』には黙っておくことをお勧めします。……誤解、されてしまうから』  『……誤解されてしまう?』  『……いえ。その方が、あなたのためだと思うからです』  あのとき、能面女が口にした言葉が思い出される。  どうして彼女がそんなことを言い出したのか、オレには見当がつかなかったわけだけど……。 「名前を思い出したのは、マズいことなのか?」 「…………」  リリーは、さっきとは違った意味合いで探るようにオレを見るだけで、答えてくれない。  嫌悪に満ちていた瞳には恐れが上塗りされ――まるで、リタが怯えていたときのようで。 「――いったい何だっていうんだよ」  この世界で目が覚めてからというもの、息吐く暇なく、張り詰めっぱなしだった神経がプツリと切れ、オレは喉奥から絞り出すようにして言った。  誰かに怯えたり、怯えられたり……もうウンザリだ。  自分が誰かもわからず、何処に存在するのかわからない世界にいるってだけで十分に戸惑っているのに。 「なあ……頼む。この世界で二人が知ってること、一から全部教えてくれよ。あまりにも知らないことが多すぎて、頭がどうにかなりそうだ」  そう言って、オレは二人の瞳を交互に見つめて、深々と頭を下げた。 「おにいさん……」 「……不安なんだよ。リリーと会う少し前、目の前で人が消滅する瞬間を見た。それまできちんと人間として活動していたはずの彼女が、真っ白な灰に変わってしまったんだ。……近い将来、オレだってあんな風になる可能性があるってことだろ? そんなの、耐えられない」  弱音を口にしたところで現状が変わらないことくらい理解している。だけどその現状が、受け止められる容量を越えていた。次から次へと増えて行く疑問符を抱え、これからを過ごしていく自信がない。  オレは再び顔を上げて言った。 「だから頼む、教えてくれ。アンやリリーが把握していること、何でもいいから……この世界を生きるためのヒントが欲しい」 「――わかった」  アンがリリーを一瞥してから頷いた。 「……そうだよね。あーたはついさっきこの世界にやってきたばかりだもんね。怖くて仕方がないっていうのは、わかってるつもり」  そこまで真剣な顔つきで述べると、表情を和らげる。 「もう一度会えたのも何かの縁だし――俺たちの知ってること、全部話すよ。いいでしょ、リリー?」 「うん」  隣のリリーへと問いかけると、彼女も素直に頷いてくれた。 「……ありがとう、助かるよ」 「いーえ」  にこっと親しみやすい笑顔を浮かべ、アンが続けた。 「で、あーたの名前は? 思い出したんでしょ」 「多分だけど」  オレはジーンズの後ろポケットに入っていたスマホのストラップのことを話した。 「――ユーキ。そうネームが入ってた」 「ユーキ、な。改めて宜しく」 「宜しくね、ユーキ」  アンとリリーが優しく言葉を掛けてくれると同時、赤い滝のカーテンに覆われた入り口に誰かの気配を感じた。それぞれがそちらへと注目する。 「……リタ! もう気分はいいの?」 「心配掛けてごめんね。……もう大丈夫」  そこにはリタさんが立っていた。  青ざめていた顔色はすっかり元に戻り、言葉通りもう大丈夫そうだ。リリーの呼びかけに笑顔すら浮かべている。 「――よし、じゃあ皆揃ったことだし、自己紹介も兼ねて歓迎会を始めよっかー」  アンは無造作に積まれた赤い果実へ視線をやると、膝をぽんと叩き、とびきり明るい声でそう言った。
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