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第40話~就任祝い~
~新宿・歌舞伎町~
~居酒屋「陽羽南」歌舞伎町店~
お店までサレオスを連れて行き、他のメンバーに紹介を済ませ、料理の仕込みを済ませて17時。
さあ、いよいよ開店の時間だ、と僕が意気込んでいると。
時計の長針が12を指すと同時に、エレベーターの扉が開いた。
「いらっしゃいm……」
「マウロちゃん、店長就任おめでとう!!」
エレベーター前で頭を下げた僕の顔に、彩り鮮やかな花束が突き付けられた。甘く華やかな香りがなんとも芳しい。
僕が目を白黒させながら顔を上げると、満面の笑みで花束を差し出している松尾さんと目が合った。
「はいこれ、就任祝いの花束。お金はこれからしこたま落としていくからね!」
「あ、はい、そうですよね……ありがたくいただきます。えーと、今日は8名のお越しでよろしかったでしょうか?」
「そうそう」
花束をそっと受け取りながら松尾さんに視線を返すと、にっこり笑って頷く彼がそこにいる。
彼の後ろにはマルチェッロやレミなど、当店でもおなじみのメンツが合計8人。
何でも、「マウロちゃん店長就任を祝う会」とのことらしい。
僕は総じて笑顔の団体客ににこりと笑みを返しながら、店の奥へ誘導するように手を伸ばした。
「かしこまりました、お席にご案内いたします。A卓ご予約のお客様でーす!」
「「いらっしゃいませー!」」
店内に向けて声を上げると、いつものように挨拶の声が全ての店員から上がる。店長が変わっても、挨拶は前と変わらずにいい調子だ。
僕は松尾さんを先導してテーブルに案内するパスティータへと、カウンターの隅を指さしながら声をかけた。
「パスティータ、ごめん。クズマーノさん用の椅子をA卓に持って行ってもらえるかな。僕はこいつをバックヤードに置いて来るから」
「オッケー店長、任せといて!」
指示を受けたパスティータは僕にぐっとサムズアップして、口角を持ち上げながらさっさとお客様をA卓に案内していく。
僕もうかうかしてはいられない、すぐに動けるようにしなくては。バックヤードへと足を向けながら、内心では昂る気持ちを抑えるのに必死だった。
「(あぁ……仕事の場で言われると、やっぱり違うな)」
「A卓様、生中8いただきましたー!」
「「ありがとうございまーす!」」
早速注文を受け、元気な声を返すメンバーの声を背中に聞きながらバックヤードに入った僕は、テーブルの上にそっと受け取った花束を置いた。
本来なら、そのまますぐにフロアに戻るはずだったし、そのつもりだったのだが。そのまますぐに戻ってしまうのが、ちょっとだけ惜しくなって。
「ふふ……っ」
気が付いたら僕は、花束のフィルム部分を愛おしそうに撫でていた。
ハッと気が付いてバックヤードを飛び出すと、既にA卓で注文された生ビールが、寅司の手によって運ばれていったところだった。
「生中8、お待たせしましたー!」
「ありがとう、寅司君! さ、回して回して」
既に生ビールのジョッキが8つとも運ばれて回されているところを見ると、随分と僕はじっくり花束を撫でまわしていたらしい。
恥ずかし気に俯きながら厨房に入り、手を洗う僕の背中に、お通しの春雨サラダをお盆に乗せたサレオスが、にこやかに声をかけた。
「人気者ですね、マウロさん」
「祝われる側としては恥ずかしいですけどね……有難いことです」
サレオスに向けて眉尻を下げつつ微笑みを返すと、彼はその両腕をいっぱいに伸ばしてお通しを乗せた盆を運んで行った。
途中でひっくり返さないか心配で、その動向を見守っていたが、無事に運ぶことが出来ていた。魔力の充実によって働きぶりが大きく改善された、という話は本当のようだ。
かくして、お通しの小鉢と生ビールのジョッキが全員に行き渡り、松尾さんが立ち上がったA卓から。
「マウロちゃんの店長としての成功と、我々が愛する陽羽南歌舞伎町店のますますの発展を祈念して、かんぱーい!!」
「「かんぱーい!!」」
ガチャガチャと、ジョッキのぶつかる音が店内に響き渡った。
それからも陽羽南歌舞伎町店の店内には、次々にお客様がやってきては僕に祝いの言葉をかけていった。
中には新宿西口店の開店祝いをしてから、こちらに梯子酒してくださったお客様も複数人いらしたくらいだ。
さすがに花束を持ってきたのは松尾さんたちくらいだったけれど。
愛していただけているのが分かって、とても有り難い。
「2号店も出だしは順調みたいでよかったですね」
「立地もいいし、従業員が皆さん本物のプロフェッショナルだからなー……余程のことがない限りは、大丈夫でしょ。雁木さんもトップにいることだし」
僕の目の前では、一人カウンターに座って大七 純米生酛を満たしたお猪口を手に持つ津嶋さんが、手元の小鉢に目線を落としている。先程までらっきょうが入っていた小鉢は、既に空っぽだ。
昨月にグループでやって来た時に同行者がひと悶着起こし、居心地悪そうにしていた彼も、今ではすっかり馴染みの客だ。
ちなみに彼も新宿西口店に行ってきたらしい。あちらで多少飲んできたのか、既に頬がほんのりと赤かった。
「でもやっぱり、マウロさんのいる1号店の方がアットホームな雰囲気で、俺は好きだなぁ」
「そう言っていただけて嬉しいです……里芋の煮っころがし、お待たせしました」
既に酒が入って気が大きくなっているのか、臆面もなく僕達の店を褒めちぎる津嶋さん。
酒に酔っていても、他人を殊更に褒める人が傍にいるのは、嫌な気になるものではない。こちらの顔も自然とほころぶというものである。
注文されていた里芋の煮っころがしの小鉢をカウンターに置くと、早速津嶋さんは箸で摘まんで口に運んだ。
「ありがとう……やっぱりさ、スタッフが手練れだってのも店にとっては大事なことだけどさ。スタッフ皆が仲良くていい雰囲気を作っているってのも、大事なことだと思うんだよな」
「まぁ、前々からの付き合いがありますからね、僕達五人は……寅司君やディトさん、サレオスさんはここ一ヶ月での付き合いですけれど、それでも仲良くやっていますし」
「うんうん、マウロさん含めての五人は勿論だけど、途中参加の三人とも仲良くやってると思うよ、マウロさんとこは」
津嶋さんの褒め言葉は止まらない。聞いているこちらが恥ずかしくなるほどの褒めっぷりである。
正直、恥ずかしくて直視が出来ない。俯きがちになった僕の耳に、エティの声が飛び込んできた。
「C卓様お会計でーす!」
「ありがとうございます……あ、C卓様お会計? 今行く、ちょっと待ってね。すみません津嶋さん、外しますね。B卓様きゅうりどうぞー!」
「ん、こっちこそ仕事中にごめん、頑張って」
手元で作っていた塩だれきゅうりをカウンターの上に置くと、僕はレジに駆け寄ってエティが運んできたC卓の伝票を手に取った。
レジ打ちは店長による大事な仕事だ、ここで手を抜いたら後が困る。打ち間違いのないように伝票の内容を打ち込んでいき、最後に合計金額を伝票に書き留める。
C卓様は2人客だったが、それなりに長居していた様子なのでまぁ、高めにつくのは仕方ないだろう。
「……よし、7,949円、っと。エティ、これC卓様に持って行ってお会計してもらって」
「オーケー、店長」
金額を書き加えた伝票をエティに返すと、彼女もまた店長と僕を呼びつつ、お客様の元へと駆けて行った。
その声色に、微妙な隔たりを感じた気がして、少しだけ寂寥感に襲われた僕だ。
こうして、僕の店長就任一日目の仕事は、一見何の滞りもないままに進んでいったのだった。
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