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第41話~思わぬ遭遇~
~新宿・四ツ谷~
~リンクス株式会社研修センター~
週が明けて、月曜日。午後1時。
僕は陽羽南の店舗がある歌舞伎町ではなく、四ツ谷にある、とあるビルの中にいた。
簡素な部屋の中にはホワイトボードと机と椅子のみ。
周りの椅子には先月までに僕と同じく新しく店長になった、各店舗の店長たち。
そんな僕達を見つめる形で立っている、コンサルタントの先生。
僕はリンクス株式会社が定期的に開催している、「新店長向け業務セミナー」に参加するため、この研修センターに来たのだ。
細身のスーツに身を包んだコンサルタントの先生が、ホワイトボードマーカーを後ろのホワイトボードに向けながら口を開く。
「はいっ、それじゃあセミナーを始めますけどね、皆さんはリンクスの居酒屋の店長さんとして、日々お仕事に励んでらっしゃることと思いますけれども。
店長というのは、ただお店の中で一番偉い人ってだけの立場じゃありませんのでね。今日のセミナーでは店長のお仕事や役割について、皆さんに勉強してもらおうと思います」
トーンの高い早口でつらつらと述べながら、先生は赤のマーカーの蓋を外した。
そして手早く大きく、ホワイトボードに字を書いてみせる。書いたのは「顔」だ。
書かれた顔の字に、かつんとマーカーの先が当たる。
「まず居酒屋の店長というのはですね、一言で言いますとお店の『顔』なんですね。
お客さんが真っ先に目にして、真っ先に覚える店員としての顔。経営する会社がお店を紹介する時に、表に立って紹介される代表としての顔。お店に仕入れを行う業者さんが、実際にやり取りする客としての顔。
これらを全部、店長さんが担うわけなんですね」
マーカーの先端がぐるりと僕達全員に向いた。
僕はごくりと生唾を飲み込む。お店の顔という意識はあったけれど、会社から見た場合や業者さんから見た場合にも、顔になるというところは思い至らなかった気がする。
そういえば辞令を渡された時に一緒に見せられた陽羽南新宿西口店のオープンのチラシにも、澄乃の顔写真が掲載されていたんだったか。
「それでですね、経営する会社から見ても店の顔になるということは、もし皆さんのお店を経営する会社から何かアクションがあったとします。
査察が入る、評価を付けられる、広報の為に記事を書かされる。
そういう時に一番評価される対象になるのが、大概の場合店長さんなんですね。
ですから皆さんがお店の中で王様みたいに振る舞ったとして、店員さんから反感を買っていた場合。逆に弱気になりすぎて、横柄なお客さんに謝ってばかりで頼りなく見られていた場合。
そのマイナス評価が自分自身にどーんと跳ね返ってくるわけなんですね。レスポンスの早い会社さんでしたら特にすぐに影響が出ます」
顔、の文字の周りに何本もの矢印を書き足しながら先生は話し続ける。
確かに、会社から何か連絡や通達があった際にまず店長に話が行くのであれば、評価がまず行くのも店長になるのは自然の流れだ。
そして横柄な振舞いをしたり気弱な振舞いをして店員の信頼感を損ね、それが会社に伝わったら、すぐさま会社から相応のお達しがあるだろう。
正常に機能している会社なら、それが自然だ。
「ですから、皆さんは店長だからと言って自分には権力があるんだー!と勘違いしちゃいけませんし、自分が全部の責任を負わなきゃ!と恐れることもないわけなんですね。
そもそも居酒屋の店長という仕事は……」
先生の話は終わりが見えない。
僕達受講生は一様に、止めどなく動き続ける先生の口に呆気に取られながら、ノートを取り続けたのであった。
時間は流れ流れて、午後5時半。
都合4時間半、間に一度トイレ休憩を挟んだ程度であとは座りっぱなしの話を聞き通しだった僕達は、ビルの外に出てぐっと身体を伸ばした。
「お疲れ様でしたー」
「あー疲れた、早く飲み行くぞ」
受講生たちが思い思いの方向へと、ある人は一人で、ある人は連れ立ちながら去っていく。
今日は月曜日、本来だったらそれぞれのお店で業務にあたっているところを、今日は研修という形でこちらに参じていたわけで。
普段は動けない時間に動けるようになっているので、開店している居酒屋や料理店も数多い。ただでさえ研修から解放されて、気分も晴れやかになっている。
僕の後ろから、先程まで隣の席に座っていた鳥天地 飯田橋店店長の牟礼さんが、姿を見せながら声をかけてきた。
「カマンサックさん、お疲れー」
「お疲れさまでーす。この後どうします?」
「あー、折角だから四ツ谷で食べて帰ろうかなーと。しんみち通りに居酒屋いっぱいあるし、何ならそこの角のサルヴァトーレでも。来る?」
牟礼さんが四ツ谷駅の方向に指を向けながら口元に笑みを浮かべる。
折角出来た、同じ会社の人と飲める機会だ。ここで逃したらとても勿体ない。
このあたりのお店については全く分からないので、付いていくだけになってしまうだろうが。
「そうですね、正直四ツ谷は初めてで、全然分からないので、ご一緒させていただけるならありがた――」
そうして僕が返事を返している時に。
僕達が出てきたビルの1階、赤青白の三色で塗り分けられた壁の全体が回るように動いた。
同時にチリンと鳴るドアベル。どうやらあの壁は回転扉になっていたらしい。
そしてその中から、レトリバーを思わせる頭部をした犬の獣人の女性が、にこやかな笑顔で出てきた。
「ごっそーさまー! 今日もありがとね、師匠ー!」
「い……え??」
その彼女から発せられる声にどことなく覚えがあるような気がして、そちらを見やった僕は思わず目を剥いた。
そして見られた相手も僕の顔を見ると、顎が外れんばかりの表情で口を開いている。
気が付くと僕は、回転扉の中から出てきた獣人の女性に、がっしと両肩を掴まれていた。
「え、ウッソ!? えっなんで、何でここにいんの!?」
「へ、え、えーと……」
「カマンサックさん、なに、このお姉さんと知り合い?」
自分と同じような小麦色の毛並みが鼻先に触れんばかりに、僕に顔を近づけて叫ぶ女性に気圧されていると、隣の牟礼さんが怪訝そうに話しかけてきた。
確かにここまでの反応をしていて、全く見知らぬ人ですなんていう回答は出来ないだろう。女性の反応がそれを如実に物語っている。
しかし、確かにどこかで会った記憶は朧げにあるのだが、何処で、いつ、という情報がなかなか思い出せない。
結果的に困惑を顔に貼り付けたままで、僕は牟礼さんに視線を投げ返す。
「いやその、知り合いっていうか……その……」
「えっ、カマンサックってことはなに、あんた本当にマウロ・カマンサック? 岩壁の?」
「いやまぁ、確かに僕はマウロ・カマンサックですけれど……あの、失礼ですがどちら様で……」
岩壁、の二つ名を知っているということはチェルパの、それもシュマル王国の人か。
あちらの世界で出会ったことのある人だろうか、と思いながらおずおずと問いかけると、信じられないとばかりに目を見開いた彼女が、僕の額を強く小突いた。
「あいたっ!?」
「バッカあんた、いくら十年会ってないからって私の顔を忘れる!?
ジーナよ、ジーナ・カマンサック! あんたの姉の!!」
額を押さえる僕に、彼女――ジーナは文字通り噛みつかんばかりの勢いで僕に迫った。
その言葉が脳内に到達した瞬間、僕の目がこれ以上ないほどに見開かれる。
恐らく、隣の牟礼さんも驚いた顔をしているのだろうが、そちらを見ている余裕はない。
ジーナ・カマンサック?
4つ上の僕の姉が?
グレケット村を飛び出して以来一度も顔を合わせていなかった僕の姉が?
なんで地球の、新宿区の、四ツ谷にいる???
疑問が頭を埋め尽くす中で、僕は叫んだ。
「は!? え……あ、姉貴!? なんで地球にいるんだよ!?」
「それはこっちの台詞だっての! あんたSランクでしょ、冒険者の仕事はどうしたのよ!?」
「あー……じゃあごめんカマンサックさん、折角の再会なんだし、姉弟水入らずってことで」
「あっちょっ、牟礼さん!? 待ってください牟礼さん、置いてかないでください!」
店の前で怒鳴り合いを始める僕とジーナ。
牟礼さんはそそくさと四ツ谷駅の方に足早に去って行ってしまった。
いや、確かに十年越しの再会ではあるけれど。こんなタイミングで水入らずも何もあったものではない。
しかしジーナは僕の心情などお構いなし。僕の手をぐいと引っ張りながら、先程出てきた回転扉に再び手をかけた。
「なによあんた、折角久々に会ったんだから話しましょうよ!
師匠ー!ご めん、出たばっかであれだけど、またカウンター席取ってもらえるー!?」
「ちょっ、姉貴!? 待てよ、待てってば!?」
抵抗むなしく、僕の身体はジーナに引っ張られるままに、トリコロールの回転扉の中へと引きずり込まれていく。
チリンというドアベルの音とともに、回転扉がバタンと閉じた。
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