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一、
昔々、あるところに人嫌いの翁がおった。翁は人里離れた山の奥に住んでおり、藁葺き屋根の家で生活していた。家の前に五畝の畑と一反の田んぼで作物を育て、自給自足をして暮らしていた。
ある冬の夜。翁は家の前でしくしくと泣く声を聞き、扉を開けた。
扉を開けるとそこには子供が立っておった。子供は冬の格好には些か心もとない出で立ちで、来ていた服は半袖、短パン、頭だけボロ布のターバンを頑丈に巻いており、不恰好であった。子供は手足が真っ赤で、震えていた。外は雪がちらついており、風が扉をガタガタと揺らした。
「や、どうした童よ、一人か?」
翁は周りを見回した後、子供を家に招き入れた。子供は年端十も満たしていないように見えた。翁は可哀想に思い、囲炉裏で暖を取らせようと子供の手を引いた。子供は土間から申し訳なさそうに板の間に上がり、伺うように翁を見た。
「ぼ、ぼく、あ、あの…」
子供が囲炉裏に手を伸ばすと、手足の赤さが人間の色より異様に赤いことに翁は気がついた。
「童、お前…」
翁の言葉に子供は体をビクつかせた。その拍子に頭に巻いていたボロ布がハラリと落ちた。子供の頭の上には黒と黄色の横シマ模様の角が二本生えていた。
「お前…、その角…それに」
よく見ると子供の手足は皮膚が赤いだけではなく傷だらけで、頬にも煤が付いていた。子供は怯えながら、翁に頭を下げた。
「ぼ、ぼくは、人間ではありません。お父さんとお母さんは下の里で正体がバレてしまい、殺されてしまいました。ぼくは、なんとか逃げて来ましたがひょっとしたらここが鬼の生き残りの家ではないかと思って訪ねて来たのです。あなたは鬼ではないのですか?」
翁は首を振った。
「わしはただの人じゃ。お主が探している仲間の鬼ではない。残念だが…」
翁はそう言って立ち上がり、土間にある土の付いた鍬を見た。
「こ、ころさないで、ください! ぼ、ぼく、なんでもします! 行くところがない、んです、ぼくは、一人ぼっちに……」
子供はそこまで言って額を床の間にくっ付け、頭を下げた。悲痛な頼みに翁は腕を組んで考えた。
里に居た時、鬼は人に害を及ぼすものとして見つけたらすぐに処分するのが決まりであった。しかし、今は違う。里に属せず一人、時給自足の生活を送っていた。鬼が大きくなれば匿うのは難しいだろうが子供の時分であればなんとかやり過ごせるかもしれない。しかし、鬼という生き物は成長するにつれて凶悪になると聞く。今は子供の外見をして、涙を浮かべて助けを乞うているが、いつ寝首を搔かれるかもしれない。完全に信頼することはできない。
「童、わしは人だ。だが、人も鬼も同じほど信頼はしておらん」
翁の言葉に子供は大きな目に涙を浮かべた。翁はその姿を見て少しばかり同情した。
「わしも半端者だ。お前が鬼だからと言って、里のルールに則りすぐに命を奪うことはせん。しかし、いつまでもおいてやる気はない。昼間は田畑を耕し、山の動物を狩り、生活を手伝い、わしに害を及ぼさないと約束するのならこの家に住まわせてやろう」
「…あ、ありがとうございます」
子供は歯を出してニコッと笑い、翁は苦笑いを浮かべた。
翁は生まれてこの方、自分以外の者と暮らしたことはなかった。偏屈で動物すら飼った事もなかったが、まさか自分が齢七十を過ぎて、人ではなく鬼の子と過ごすとは想像もしなかった。
翁は土間に置いた大根と芋の煮た鍋を囲炉裏に運んだ。
「童よ、名前はなんという?」
「ぼ、ぼくに名前はありません。赤鬼の子と呼ばれていました」
「ふむ」
翁は考えた。童、と呼ぶのも呼びにくい。
「アカ…、お前の赤い見た目から、そのままだが、アカオという名前はどうだ?」
「名前をくれるんですか?」
子供は喜んで、目を輝かせた。
「ぼく、アカオになります。アカオがいいです」
翁は笑って、囲炉裏に運んだ鍋の中の芋と大根を器に入れ、アカオに差し出した。
アカオは泣きそうな笑顔を浮かべて両手でその器を受け取った。器から昇る湯気にアカオはふうっと息を吹きかけた。
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