四、

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四、

 カラスは麓の里に行って人間達の話を聞いた。人間達の話によると、この里から南西に四里(よんり)ほど離れた場所に優れた医者が居ると言う。アカオはすぐさまその南西の里を目指した。 「四里、(さる)(こく)には着くカァ」 「じゃあ、急いで行こう」 アカオは高い太陽と短い木陰を脇目に足を踏み出した。 「それにしても、人間は弱っちいカァ、オレみたいな化けガラスは二百年、生きるぞ」 「ぼくだって二百年ぐらいの寿命だよ。人間に掴まらなければの話だけど」 「それはオレも一緒カァ、人間は弱いのにすぐに人間以外の命を狙うんだからなぁ」 「弱いから狙うのかもなぁ。知らないからぼくたち鬼やカラスの命を狙うのかもしれない。ぼくに敵意がなくて、ただ人間と仲良くしたいだけだって説明すれば分かってくれる人もいるよ。現におじいさんがそうだったじゃないか」 「あの爺さんはただ単に偏屈だっただけだカァ、そんなに人間は優しくないカァ」 「そうかなぁ、優しいけどなぁ」 アカオはそう言って、自分が羽織っていた服を優しく撫でた。  四里は人の足では半日程度かかる道のりであったが、アカオの足と体力を持って一刻(いっこく)半で辿り着く事ができた。 「あっと言う間に着いたカァ」 「そうだね、早くお医者さまを探さないと…」 「医者はハヤシと言う名前だと麓の里の人間は言ってたカァ、あ、あの緑の暖簾がかかっている家にハヤシって書いてないカァ」 「本当だ。ハヤシって書いてあるね」 アカオとカラスは建物の物陰に隠れながら、人々が医者の家の前を通る波が途切れたのを見計らって、素早く緑の暖簾をくぐった。 「す、すみません」 「はーい、……え?」 家の中には壁一面に薬箱、板の間では小太りの色の白い男が薬研(やげん)(薬作りの道具。深くV字に窪んだ船と木製のハンドルのついた円盤状のローラーで成る。薬草を粉砕する道具)を動かし、部屋には薬草を磨り潰したなんとも言えない鼻を刺すような刺激臭が漂っていた。 「お、お前、お、お、鬼だな」 白衣を身につけた医者は慄いたようにアカオを見て、持っていた薬研から思わず手を離した。頭に頑丈に布を巻いていても、肌の色と体の大きさを見れば人ではないのは一目瞭然であった。医者は白衣から短刀を抜いて、アカオに刃先を向けた。 「お、お、鬼は見つけたら処分する決まりになっている。そ、それに私は医者だから食べても不味いぞ、薬臭くて、か、かなわんぞ」 「ぼくは鬼です。でも、あなたを食べに来たわけじゃありません。お願いがあってきました」 「お、お、お、お願いとはなんだ」 アカオは土間に膝をつき、頭を下げた。昔、翁と出会った時も額を床につけて土下座をして頼み込んだ。人間には精一杯の行動を見せたら伝わるとアカオは信じていた。 「ぼくのおじいさんのために、薬を作って欲しいです」 「く、薬? 私は人間の医者だ。鬼に薬なんて作らない」 「違います。ぼくのおじいさんは、人です。咳をしたら、血を吐いていました。体も随分痩せてしまった。何か心当たりのある病気はないでしょうか」 アカオは土下座をし、縋るように医者を見ていた。医者はアカオが鬼にしては上等な羽織を身につけている事を疑問に思った。 「よ、よ、よし。じ、じゃあ、薬を作ってやろう」 「えっ! ほ、本当ですかっ!」 「しかし、私の薬は高い。金は持っているのか」 「いいえ、お金は持っていません」 「じゃあ、代わりにその群青色の羽織着物を置いて行け。それを薬代にしてやろう」 アカオは自分の羽織を見た。翁に貰った大切な物ではあるが、翁の命には変えられない。 「……わ、分かりました。この服を差し上げます。薬をお願いします」 医者はそれを聞いてニヤリと笑った。 「心当たりのある病の薬は調合に一日かかる。明日の陽が昇る頃までに調合しておくから、またその時に来い」 アカオはそれを聞いて立ち上がると、医者はアカオを引き止めた。 「前金として、その服は置いて行け。お前は鬼だ。鬼に薬を作ったと知れたら私は殺されるかも知れない」 アカオはその言葉に頷いて、羽織を脱いで、医者に渡した。 「おじいさんの薬、よろしくお願いします、あ、あと、鬼が人間になる方法を知りませんか」 「鬼が人間に?」 医者は、ははは、と短く笑った。 「頭に角があるだろう。それを抜いたら人になれるぞ。しかも、その角は高額な金にもなる。なんなら、角も置いていくか?」 「角を抜いたら人間になれるのですか」 「私も聞いた話だから、詳しくは知らない。だが、角を売るのなら手伝ってやる」 アカオは迷った。角を差し出せば金も手に入り、翁と今より良い生活を送れるようになるかも知れない。しかし、角を抜いた鬼の話は聞いた事がなかった。 「角を全部抜いたら人間になれるのですか?」 「一気に、二本は体に負担がかかるから、一本ずつ抜いたら良い。私が預かって、お金に交換しよう」 それを聞いてアカオは頭に巻いていた布を剥ぎ取った。鋭く伸びた爪のある赤い手で右の角をへし折る。痛みと衝撃、そして脱力感がアカオの体を包んだ。アカオは膝をついて、体を震わせた。 「私がその角を預かろう。早くよこせ」 「よ、よろしくお願いします」 医者の差し出された手にアカオは自分の角を乗せた。その後、医者に頭を下げて、アカオは医者の家を後にした。 「そんなに簡単に人間を信じていいのカァ」 カラスはアカオの肩に乗った。大丈夫だよ、アカオは返事をして明日、薬ができる時間まで山に身を隠すことにした。
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