椿姫 壱

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椿姫 壱

俺はその晩、噂に聞く町外れの日本家屋へ向かった。 もともとは友人が経営するゲイバーのお客さんから聞いた話だが、どうにも胡散臭い。 なのにここに足を運んだ理由は、もしかしたら彼に会えるかもしれないと踏んだからだった。 一年前くらいに、その友人に誘われて、その屋敷をのぞきにいったことがある。 江戸時代の大名屋敷のような門構えに灯りがついていれば、営業中だと友人は言った。やんちゃな彼は、制止も聞かずに格子戸を開け、整えられた庭園に足を踏み入れた。 「ここ、完全予約制なんだろ、だめだよ勝手に…」 「いーからいーから、だれもいないし……あっ」 友人が急に立ち止まり、俺は勢いよく顔をぶつけた。 黙りこくって立ち尽くす友人の視線の先を追って、俺も一緒に固まった。 庭園に面した部屋の灯りがついていた。大きな窓にはカーテンもブラインドもなく、部屋の中がはっきりと見えた。 日本家屋らしい、畳の部屋に一組の布団。 四つん這いになった中年の男を、若い男が激しく突き上げていた。 中年の男は裸で顔も見えないが、若い男の方は着物を着崩し、花魁のように衿がおおきく抜けていた。前の合わせが開いて、太腿が見え隠れしていた。 俺は、下腹部にうねるような波を感じた。 突き上げる度にゆれる、前下がりの前髪、半開きの瞳。時折顎をあげて、唇を噛みしめ、かと思えば眉根を寄せて吐息を吐き出す。 一目惚れ、と言う感覚じゃなかった。 抱かれたい。 ただそれだけだった。 我に返った友人があわてて俺の腕を掴んだが、俺の足は鉛のようになってしまい、すぐには動けなかった。 そして、目が合ってしまったのだ。 彼と。 組み敷く男を貫きながら、彼はこちらを向いた。 確かに目が合ったと思う。 整った顔立ちに汗を滲ませて、彼は振り向いた。その表情と、着崩した黒に大きな白い花の描かれた着物が、俺の心を掴んで持って行ってしまった。 それから、その屋敷の客になるにはどうしたらいいのかを夢中になって調べて、ある話を聞いた。 それは信じがたいほど簡単なことだったが、試してみる価値はありそうだった。そういえばオペラか何かで、白い椿は今夜はOKの印、そんな気障な物語があった。 仲介人に馬鹿高い金額を支払い、俺は花屋へ向かった。 ひとりで花を買うなど、母の日でもない限りまずないことだ。 それも、白い椿。何も知らないで近所の花屋に椿がほしいと言って、困惑されてしまった。 確かに冬の花ではあるが、なかなか扱う店もなく、すぐに花が落ちるから切り花として売るには不向きだという。どうしてもほしいなら、と、その店主がくれた名刺に書かれた花屋へ赴いた。 その花屋は、あの屋敷の近くだった。看板もなく、個人住宅のような入り口を入ると、一転して花と植物だらけの空間が広がった。詳しく聞いていなければ、ここが花屋だとはわからなかっただろう。 30代半ばくらいの背の高い男が奥から出てきた。無精髭とあちこち跳ねた髪、黒いエプロンをして、花鋏を手にしている。笑いかけられたので、愛想笑いを返した。身なりをきちんとしたら、いい男だろうに、と俺は思った。 白い椿を一輪、というと、その店主は目を丸くした。 ああ、そう、椿ね、と独り言のようにつぶやいて、彼はバックヤードに消えていった。すぐに戻ってきたその手に白い椿があるのを見て、俺ははっとした。この時初めて、あの屋敷で見た着物の柄が椿だったことを知ったのだ。            店主は椿を紺色の包装紙と白いリボンでラッピングして、俺に手渡した。 代金を支払う俺の顔をまじまじと見つめ、店主は失礼だけど、と言った。 「君……いくつ?」 「え?」 「あ、いや、こんな若い子が椿の切り花欲しがるなんてめずらしいと思って…大学生?」 「えと…一応働いてます」 「あ、それなら良かった」 「え?」 「いや…」 意味深な言葉をそこで切って、店主はありがとうございました、とおつりを差し出した。 俺は花屋を出て、時間をつぶすことにした。 適当なカフェでコーヒーを飲みながら、知人に聞いた話を整理した。 一見さんお断り。 仲介人を通し、かつその仲介人が認めなければお断り。 基本キャンセルは受け付けず、ドタキャンの場合その後二度と敷居は跨げない。 かならず一人で訪れること。 指定されたものを持って行くこと。 時計をはずしてくること。 いわゆる高級な風俗にしては、京都のお茶屋遊びのような敷居の高さだった。支払う代金も、正直一晩の対価としては目玉が飛び出る金額だ。 それでも俺は、どうしてもあの屋敷に行きたかった。
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