昼下がりの来訪者

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昼下がりの来訪者

 晴れた日には高層ビルの居並ぶ都市部を見晴らすことのできる丘……その上に佇むとある老人ホームで、僕は介護士として働いている。  仕事は忙しくて大変だけれど、最近すごくキレイな入居様の担当になって、少しうかれてたりもする。  その方とは201号室の原田さん。70代とは見えぬ美貌の持ち主で、ホームの中でその存在は一際目立っているんだ。  彼女は毎朝、窓際のテーブルに座り、宝石が散りばめられた大きな手鏡を取り出すと、鏡を覗き込み、髪を梳いて、お化粧をして……きちんと自分で身なりを整える。  そしてテラスから都市部を見やり、朝食をとりながら、挨拶に来た僕に毎朝こう語りかける。 「私には娘がいるの。なかなか会えないけど、あの街で毎日汗水流して懸命に、死に物狂いで働いている。その姿を想像するとなんとも言えない高揚した気持ちになるの。生きる気力を与えてもらえる、自慢の娘……」  面会に来るのはいつも目つきもガラも悪い男ばかりだけど、きっと娘さんは高層ビル街でバリバリ働くキャリアウーマンなのだろう。そして原田さんに似た美貌の持ち主に違いない。  そんなことをずっと妄想していた僕なのだけれど……。  その事件は突然起きた。今日の夕方のことだ。  見回りの最中、厳重に閉じられた屋上への扉が開いてることに気付いた僕は、驚いて階段を駆け上り、あわてふためきながら、開け放たれた扉をくぐった。  入居者が開けてしまったのかと思いきや、そこには今まで生きてきた中で見たことのないほど美しい女性が手摺から外を眺めるようにして立っていた。  ノースリーブの紺のワンピースを着て、夕風になびく長く黒檀のように美しい髪をなびかせて。肌はぬけるように白くて……モデルのようにすらりとした立ち姿の妙齢の美女。  左腕には彼女の肌のように白い、夕闇に淡い光を放つ大輪の白薔薇の花束を抱えている。 「そう……。やっぱり。今まで起きた一連のアレは全て彼女の……わかったわ。最後までありがとう。どうか、お元気で……さようなら」  彼女は誰かと通話中のようだ。話が終わったのを見はからい、背後から声をかける。 「あの、面会時間はとっくに過ぎてるんですが……」  女性がこちらを振り返った。想像通りだ。黒く長いまつ毛に、大きな黒い二重の瞳。真紅の紅をひいたふっくらした唇。作られた人形のように整った顔立ちの美女。彼女は僕の姿を見て、右手を口に当て、小さく頭を下げた。 「ああ。ごめんなさい。面会に来たんですけれど。連絡が入ってしまって」  彼女は携帯を肩に下げたブランド物の皮バックにしまい、その場から立ち去ろうとして……ふとやった視線の先にある都会の灯りに視線を奪われ立ち止まった。  超高層ビルの背後にあるネオン街の街灯が、日暮れ時のうす墨色の空に、ピンクとも紫ともつかぬ妖しい色の光を放射状に放ち始めている。 「……林檎」  彼女がつぶやいた。リンゴ? 首をかしげる僕に、慌てて後を続ける。 「私、ずっとあそこで働いていたんです。幼い時両親を亡くして、あの街に店を持つ親戚に引き取られてからずっと」  彼女はまるで独り言のようにポツリポツリと身の上話を始めた。 「私が高校に入学する直前、養母は突然姿を消しました。店と従業員と。騙し続けた男たちを7人も残して」 「……酷い目にあいました。従業員たちにどう生活すれば良いんだって責められるし。親と子ほど年の離れた男たちにはお前が代わりになれ、と迫られて」  彼女は俯く、血を吐くような掠れた声で続ける。 「逃げたかった。でも幼い時からあそこで育ち、あの街しか知らない私には逃げ方がわからなかった。だから全て受け入れるしかなくて」  ふと顔を上げる。強い女性の横顔。そういうシゴトをしていたようだけど、不思議と彼女には穢れを知らぬ純心、穢れを知らぬ凜とした雰囲気をまとっている。 「なんとか乗り越えてきました。次第に7人の男たちも味方になってくれて。あんなに嫌だったお店も我が家のようになったりして」 「都会のことを英語で「Apple」なんて言うらしいけど、歓楽街はまさに毒リンゴ。それを食らい続けて私は、見えない棺の中で生きたまま死んでいた。でも」  彼女は僕を振り返り、ニコリと花がほころぶようなあどけない笑みを浮かべた。 「私、街を出ることになりました。高層ビル街で働く男性と結婚して。彼、私の全て受け止めてくれたんです。この白いバラをくれて君の心は、この花の花言葉と同じ純真のままだからって……正真正銘私の王子様」  雪のように白い頬が赤く染まる。 「彼、海外で展開する大きな事業を任されて一緒に来てくれって。すでに年老いた男たちも祝福してくれたし、後継を育てたかいあって店の子たちも気持ちよく送り出してくれた。明日出立なんです。だから最後に……お世話になった方に会いに来たんだけど」  彼女は腕時計に視線を落とした。  ……「どうしてもというのでしたら」と切り出そうとした僕の言葉にかぶせるように彼女が言う。 「会えなくなっちゃいましたね。面会時間も終わってしまったし。……あきらめます。これ」  社員証で僕がここの社員だと分かったのだろう。大きなバラの花束を僕に手渡した。 「201号室のおばあさまにお渡し願えますか? セツからって」 「結婚することと。あと主人の仕事がひと段落したら。いつか……改めてお見舞いに参りますと」  彼女は僕に向かって深々と一礼すると、扉から姿を消す。軽やかに階段を駆け降りていった。  手すりから見下ろすと、いつの間にか玄関先に止まっていた1台の赤いフェラーリの助手席へと乗り込む。車はエンジン音を轟かせ、あっという間に走り去っていった。  あとは呆然とそこに残された僕がいるだけで……。 「まあキレイなバラ」  彼女に依頼された通り、僕はその足で原田さんの部屋に花束を届けに行った。 「セツさんと言う女性からです。面会時間が過ぎてしまって会えなかったから渡して欲しいと」  これだけ大きな花束となると、それなりの花瓶が必要だ。キョロキョロ部屋を見渡し、確か洗面所の下の棚に一つ来客対応用の花瓶があったことを思い出して。原田さんに背を向けて戸を開けて花瓶を探した。 「結婚された旦那さんが海外赴任されるそうで。しばらく会えなくなるけれど、また帰国されたらお見舞いに参りますと仰っていましたよ」  そう言い終えたと同時だった。 「雪子(せつこ)!?」  部屋いっぱいに心臓をぎゅっとつかまれるような、恐ろしい金切り声が響き渡った。 「旦那……結婚……海外?」  いつもの穏やかな原田さんとは思えない錯乱した様子、膝に置いていた手鏡がシーツから滑り落ち、ベッドの下に落ちる。乾いた音が響き、割れた欠片が辺りに飛び散った。 「原田さん?! どうされたんですか?」 「まさかそんな。あの子はあの街で。ずっとそのまま……弄ばれ……蹴散らされ、泥をすすり……それが、まさか。嘘でしょ……!?」  飛び散った鏡の欠片に、醜く歪んだ老婆の顔がいくつもいくつも映り込む。ゾッとしつつも花束を放り投げ、ベッドから滑り落ち過呼吸に喘ぐ原田さんを支えながら、僕は枕元の緊急用のコールボタンを押し続ける。  ふとした拍子に、足元に落ちているカードに気がついた。辺りに散らばった白薔薇の中で妙に際立つそれ。  ーーこのバラの名前なのだろうか?  雪のように白いカードには、『Schneewittche』という文字が、血のように赤いインクではっきりと印字されていた……。
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