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よく晴れた日、博士が静かに研究をしていると、
「博士、博士。たいへんです」
「また、きみか。どうしたんだ」
ばたばたと足音を立てて例の青年がやってきた。ここまで走ってきたのだろうか、苦しそうに肩で息をしている。静かだった研究室が一気にさわがしくなった。
「どうしたんだ、じゃないですよ。博士からもらったあのバラがたいへんなのです」
膝に手をついて青年は話している。
「さては、もうふられたのか」
「失礼ですね。ちがいますよ」
青年が息を整え、あらためて話しはじめる。
「ぼくがバラをあげたら彼女はとてもよろこんでくれました。そのときの彼女ったら世界一しあわせな顔をしていましたよ。その場で永遠の愛を誓い合ったくらいです」
「ふむ、だとしたらなんの問題もないじゃないか」
「それが大ありなのです。それからしばらくしてバラの色が変わってしまったのです」
「ほう、それは」
博士があごに手を当てる。興味深いできごとだ。
「ちなみに何色から何色に変わったのかね」
「赤色から黄色ですよ。そう言えば色だけじゃありません。匂いも変わりました。甘い香りから、ちょっと酸っぱい香りにです」
「ふん、ふん」
博士がうなずく。冷静な博士とは対照的に、青年は大げさな身振りと手振りでバラの惨状を訴えかけていた。
「考え込んでないで色の意味を教えてください。どんな意味があるのです。まったく、意味を知らないから、ぼくはパニックですよ。もう、どうして、色ごとの意味を教えてくれなかったのです。前もって教えてくれていれば、こんなにあわてることはなかったのに」
青年が不服そうな顔を向ける。博士はそんな顔をされる覚えはなかった。
「きみが話を最後まで聞かないからだ」
「そうでしたかね。まあ、いま過去のことを振り返ってもなんの意味もありません。それで、彼女の心はどんなふうに変わったのです」
「ふむ、赤色のときはまちがいなくきみを愛していた」
「それはそうでしょう。結婚の約束をしたくらいですから」
「しかし、黄色となるとちょっとまずいな」
「どこがまずいのです」
「きみへの気持ちが醒めかけている」
「それは困りますよ。永遠の愛も結婚も誓ったのですよ。いったいぼくはどうしたらいいのです」
青年が博士に、にじり寄る。
「それはきみが考えることだ。わたしにどうこうできるものではない」
「なんでです」
「そのくらい考えなくてもわかるだろう。わたしはきみの恋人がどういう人間か知らないのだ。それに恋愛の専門家でもない。アドバイスしようがない」
「そんな、ぼくだけでどうにかしろということですか」
「当たり前だ。きみと彼女の問題なのだ。わたしが口をはさむことではない。せいぜい、バラが赤色に戻るようがんばるんだな」
博士がきっぱりと言い切る。真実を伝えるのも青年のためなのだ。
「助けてくれないのですか」
「そんな目で見てもむだだ。もとより助けようがない。はやく帰って彼女になにができるか考えるんだな。さもないと、さらにひどい色になるぞ」
「そんな」
青年はひどくショックを受けたようだ。来たときの元気は跡形もない。肩を落として研究室をあとにする。
「がんばりたまえ、若者よ」
「とほほ、ひどい目に遭ったものだ」
他人ごとのように青年はつぶやいた。
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