移り気

2/3
前へ
/3ページ
次へ
 よく晴れた日、博士が静かに研究をしていると、 「博士、博士。たいへんです」 「また、きみか。どうしたんだ」  ばたばたと足音を立てて例の青年がやってきた。ここまで走ってきたのだろうか、苦しそうに肩で息をしている。静かだった研究室が一気にさわがしくなった。 「どうしたんだ、じゃないですよ。博士からもらったあのバラがたいへんなのです」  膝に手をついて青年は話している。 「さては、もうふられたのか」 「失礼ですね。ちがいますよ」  青年が息を整え、あらためて話しはじめる。 「ぼくがバラをあげたら彼女はとてもよろこんでくれました。そのときの彼女ったら世界一しあわせな顔をしていましたよ。その場で永遠の愛を誓い合ったくらいです」 「ふむ、だとしたらなんの問題もないじゃないか」 「それが大ありなのです。それからしばらくしてバラの色が変わってしまったのです」 「ほう、それは」  博士があごに手を当てる。興味深いできごとだ。 「ちなみに何色から何色に変わったのかね」 「赤色から黄色ですよ。そう言えば色だけじゃありません。匂いも変わりました。甘い香りから、ちょっと酸っぱい香りにです」 「ふん、ふん」  博士がうなずく。冷静な博士とは対照的に、青年は大げさな身振りと手振りでバラの惨状を訴えかけていた。 「考え込んでないで色の意味を教えてください。どんな意味があるのです。まったく、意味を知らないから、ぼくはパニックですよ。もう、どうして、色ごとの意味を教えてくれなかったのです。前もって教えてくれていれば、こんなにあわてることはなかったのに」  青年が不服そうな顔を向ける。博士はそんな顔をされる覚えはなかった。 「きみが話を最後まで聞かないからだ」 「そうでしたかね。まあ、いま過去のことを振り返ってもなんの意味もありません。それで、彼女の心はどんなふうに変わったのです」 「ふむ、赤色のときはまちがいなくきみを愛していた」 「それはそうでしょう。結婚の約束をしたくらいですから」 「しかし、黄色となるとちょっとまずいな」 「どこがまずいのです」 「きみへの気持ちが醒めかけている」 「それは困りますよ。永遠の愛も結婚も誓ったのですよ。いったいぼくはどうしたらいいのです」  青年が博士に、にじり寄る。 「それはきみが考えることだ。わたしにどうこうできるものではない」 「なんでです」 「そのくらい考えなくてもわかるだろう。わたしはきみの恋人がどういう人間か知らないのだ。それに恋愛の専門家でもない。アドバイスしようがない」 「そんな、ぼくだけでどうにかしろということですか」 「当たり前だ。きみと彼女の問題なのだ。わたしが口をはさむことではない。せいぜい、バラが赤色に戻るようがんばるんだな」  博士がきっぱりと言い切る。真実を伝えるのも青年のためなのだ。 「助けてくれないのですか」 「そんな目で見てもむだだ。もとより助けようがない。はやく帰って彼女になにができるか考えるんだな。さもないと、さらにひどい色になるぞ」 「そんな」  青年はひどくショックを受けたようだ。来たときの元気は跡形もない。肩を落として研究室をあとにする。 「がんばりたまえ、若者よ」 「とほほ、ひどい目に遭ったものだ」  他人ごとのように青年はつぶやいた。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加