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移り気
「博士、博士。助けてください」
ある青年が博士の研究室に駆け込んできた。住んでいる場所が近いので、博士と青年は昔からの知り合いなのだ。
「なんだね、そんなにあわてて。きみはすぐ他人に頼ろうとするところがいけない。すこしは自分で努力したらどうなんだ」
椅子に座ったまま博士が振り返る。そんな博士の小言が耳に入らないのか、青年は自分勝手に話しはじめた。
「実は恋人ができたのです」
「それはよかったじゃないか。なんだ、報告に来たのか」
「ちがいますよ。恋人ができたのはいいのですが、彼女が他人に心移りしないか心配で心配で。どうにかなりませんか、博士」
「きみは、わたしの話を聞いていたのかね」
博士があきれる。青年は不思議な顔をしていた。
「なにか言っていましたか。まあ、それよりもぼくの話のほうが大切なのです。どうか助けてくださいよ」
「もう、きみはしかたないな。しかし、他人の心をあやつる道具など、ろくなことにならないぞ」
「まさか、彼女の心をあやつろうだなんて思うわけないじゃないですか。いくらぼくでもそこまで落ちぶれてはいませんよ」
「そうか、そうか。じゃあ、なにが欲しいんだ」
博士が単刀直入に聞く。
「彼女の心がわかる発明品はありませんか」
「なんでそんなものが必要なのだ。おたがいに恋しているのだからいらないだろう」
「頭が悪いですね、博士」
物知り顔で青年が言う。
「人間は心変わりするのですよ。もし彼女の気持ちが醒めてしまったら、一方的に彼女に恋しているぼくがばかみたいじゃないですか」
青年なりの理論を自信満々で振りかざす。若いからなのか、持って生まれた性質なのか。博士には理解しがたい。
「恋というのはそういうものではないのかね。相手がどう思っているかわからないから、楽しいし、苦しいのだろう」
「博士はいつの時代の人間なんですか。古臭い考えは捨ててください。ぼくのためになりません」
「いや、しかしだね」
博士はまだ納得がいかない。青年はかまわずどんどんしゃべる。
「さては、他人の心を読む発明品がないのではないですか。自分には作れないものだから、くだらない恋愛論でごまかそうとしている」
「や、失礼なやつめ。それくらいの発明ならとっくにできている。わたしはきみのためを思って渡すかどうか悩んでいるのだ」
「なんだ。だったら、いますぐ渡してくださいよ。ぼくのためを思うなら助けてください」
青年がすり寄る。人に頼みごとをするときはやたら積極的だ。
「もう、どうなっても知らないぞ。ほら、これを持っていけ」
博士が机の引き出しからその発明品を取り出した。それを青年の目の前に置く。
「なんですか、これ」
青年が出された品をまじまじと見つめる。小さな植木鉢に一輪の花が植えられていた。特にこれといって特徴のない白いバラ。顔を近づけてみるが、なんの香りもしない。
「どうやって使うのです」
「これを気持ちが知りたい相手にプレゼントするのだ。すると、相手の気持ちに応じて花の色や香りが変化するという仕組みだ」
「ほう、すごいですね。どういう仕掛けなのです」
「それは教えられない。企業秘密だ」
助けてやるのと、金儲けは別の話である。さいわいこの青年は金儲けに興味はない。どちらかというと小遣いをせびるタイプだ。
「しかし、博士。いきなりこんな花を贈って不審がられませんか。どうしましょう」
青年が博士をじっと見つめる。よい渡し方を教えてくれということだろう。
「きみは、本当に、すこしは自分で考えたらどうだ」
「ぼくが考えるより、博士に教えてもらったほうがはやいじゃないですか。はやいほうがいいでしょう」
「きみというやつは。色が変わるめずらしい花を見つけたとでも言って渡せばいいだろう。簡単なことだ。きみたちは恋人同士なのだから」
「そういえばそうでしたね。博士に聞くまでもありませんでした。じゃあ、さっそく彼女の気持ちを確かめてきます」
軽く礼をすると、青年は駆け足で博士の研究室を去っていった。
「おいおい、くわしい説明は聞かなくていいのか」
博士が声をかけたときには青年のすがたは見えなくなっていた。
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