彼の桜はかく語りき

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彼の桜はかく語りき

ひらひら舞う幾十の花びら。 穢れることなく咲き続ける桜の木。 春を象徴する薄桃色の可憐な花びらは、毎年人々の出会いと出発を祝い、離別を惜しむ。 ひらひら舞い落ちる幾百の花びら。 散らない花はないのだと、桜の木は潔く空から花びらを降らせ続ける。 季節はめぐり、再び春が訪れる度に、桜の木は「私はここにいる」と人々の目を釘付けにするのだ。 はらはら舞い散る幾千の花びら。 「桜ヶ原」の名を持つ町にのこる、ただ一本の桜の木はこう語る。 「私を忘れないで」 桜が持つ異国の花言葉を、その桜は語り続ける。 私を忘れないで。私の見てきたものを、忘れないで。 はらりはらりと散る幾万の花たち。 散り逝く命は数えきれない。 しかし、散る瞬間の美しさは忘れることさえ忘れるほどに記憶に刻まれるであろう。 鮮明に。苛烈に。そして、 (ぱさり) 無常に。 今宵も桜が舞い散るだろう。 はらりはらりと、舞い散るだろう。 桜の木の下にはまだ誰もいない。しかしいずれは集まるだろう。親愛なるこの地に生まれし民たちよ。 君たちには彼の桜の花言葉が届くであろうか。 ひらひら舞い散る桜の花びら。 音もなく、花言葉だけが舞っている。
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