Scene8 終幕は突然に

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Scene8 終幕は突然に

「ん……」  ブラインドを上げっぱなしの窓から、直接当たる太陽の光が眩しくて、ベッドから起き上がる。。  朝、寝るときに下げるの忘れたんだっけ。  レイジも気が付いたら下げて行ってくれればいいのに。もう。  Tシャツの首元に入り込んだ髪を手櫛で解きながら、私はパソコンの電源を付けた。  暫くして立ち上がった画面の時計には、『15:23』と表示されていた。  最近は朝方までチャットをして、寝て。昼に起きる。  そのうちレイジが仕事から帰ってきて、ご飯食べて。またチャットやって。それの繰り返し。  楽といえば楽だった。部屋は常にクーラーがついてて快適だし、話し相手は誰かしらチャットに居る。  ゴハンの心配だって無いし……何よりレイジが傍に居るし。 ―――――――――――――――――――――― 案内>アイさんが入室しました! ――――――――――――――――――――――  いつもみたいに、入室ボタンを押してチャットに参加する。  今日は『ミカ』、『かのん』、そして『あきら』が居た。夏休みだから、比較的昼の参加者は増えている。  そういえば、この頃『樹』の姿を見ない。  夏期講習かな?それとも受験生とか。どっちにしろ、少し淋しい。と同時に、漠然とした不安に襲われる。  今の時期、学校の皆はさぞ忙しい思いをしているんだろう。本当なら私もそうじゃなきゃいけなかった。  ――私は本当に、此処に居ていいのかな?  毎日、嫌な事なんて何もなくて、楽しいと思う。でも、妙な違和感を覚え始めた所だった。 ―――――――――――――――――――――― ミカ>アイだ(^^)夏休みは塾だっけ?>アイ ―――――――――――――――――――――― かのん>アイチャン、コンニチワvv ―――――――――――――――――――――― あきら>こんちわー>あい ――――――――――――――――――――――  私はこの子達に、家を出たことを言ってない。  一応、夏期講習に通っていることにしている。 ―――――――――――――――――――――― アイ>ん、まぁね。受験生だし(^^;>ミカ ――――――――――――――――――――――  受験生。  自分の打った三文字に、胸が苦しくなった。 ―――――――――――――――――――――― アイ>ごめん、また後で来る。落ちるね>ALL ――――――――――――――――――――――  そうタイプするや否や、私は退室ボタンを押していた。  落ち着かない。気持ちがざわざわする。  何ていうか、全力で楽しめないんだよね。  自由になりたい。その一心で家を出たはずなのに。  何かが違う。  今まで気がつかない振りをしてきた違和感が、少しずつ、背徳感に変わっていく。 「ふぅ………」  チャットウインドウを消した後、大きく溜息をついた。  レイジまだかな。こういう時、傍に居てくれれば気が紛れるのにさ。  今日は確か、九時に出ていくって言ってたな。六時簡以上も経ってるよ。  ……仕事、長引いてるのかな?  未だに、私はレイジの仕事はおろか本名も知らない。  最初の頃はそんなことどうでもよかった。  でも。レイジは私の事を誰よりも知ってるのに。  嬉しかった事が、近頃は何となく不安要因に思えてきて……。  ふと、デスクトップ上に散らばる沢山のファイルやフォルダに目が行った。  レイジが、仕事に関係するものだから絶対に見るなって言ってたやつだ。 「…………」  見ちゃおうかな。  別に悪用するわけじゃないし。安心するために見るんだから別に良いじゃない。  それに、私に見られて困るようなものなんて、何も無いでしょ。  大したことないだろうという気持ちと、何日も一緒に暮らしているからという気安さもあり、私は好奇心に負けてそれらのファイルのうちの1つをクリックした。  ファイルタイトルは、「0701_a」  何だろう。四桁の数字……と、アルファベット。  直ぐにメモ帳が起動して、白背景に黒文字が浮かび上がった。 ―――――――――――――――――――――― アイ>そう(><)落ちたら親に殺される…。 ―――――――――――――――――――――― 樹>アイって受験生ダッタよね ―――――――――――――――――――――― アイ>うちももーすぐ。ヤダなぁー ―――――――――――――――――――――― 樹>今ってテストシーズンか。 ―――――――――――――――――――――― アイ>んー、そうみたい。皆テストかな。 ―――――――――――――――――――――― 樹>コンバンワ。今日はアイだけ? ―――――――――――――――――――――― アイ>こんばんはー ―――――――――――――――――――――― 「………?」  一瞬、意味がわからなかった。  これは確か、ちょっと前に樹とチャットした時のログだ。  レイジはどうして、こんなものを持ってるんだろう。更にログを読み進めて思い出してみる。  この日は確か、結局私と樹しか来なかった。  だからこのログを保存することができるのは私と樹だけなのに――― 「……えっ、じゃあ……」  バラバラだったパズルのピースが1つに組み合わされていくような感覚を味わう。  何故レイジが私の細かい好みまで知っていたのか、今なら解かる。  リアルの友達しか知らないことでも、ネットでよく顔を合わせる子とは、何気ない会話の中で言っていたかもしれない。  『樹』と『アイ』は、パソコン上ではほぼ毎日顔を合わせていた。  それに。『樹』を、家を出る前日――レイジに初めてチャットで会った日以来、見かけていない。  だとすると。 「『樹』が……レイジだったの……?」  パソコン一台で、二人の人格を作ることは可能だ。同じ部屋に入室することも。  ファイル名の数字は多分日付。そしてアルファベットは、『アイ』――『ai』のaだろう。  謎が解けてしまうと、私は酷く虚しい気持ちになった。  私にとってレイジは都合が良すぎるヒトだった。  何の役にも立たない私を、此処へと連れてきてくれた優しいお兄さん。  見返りもないのに、どうしてこんなに良くしてくれるのか、いつも気になっていた。  『楓さぁ、それは単にからかわれただけだったんじゃない?』  学校で葉月と交わした言葉が、耳の中に重く響く。  そっか―――レイジはからかっていた。ただ、それだけだったんだ。 「ただいま、アイ。どうしたの?ボーっとして……」  唐突に聞こえたレイジの声に、彼が帰ってきたことに気が付く。   パソコンの画面を凝視したままの私を不審に思ったのか、一歩一歩、レイジが歩みを進める。 「………アイ、そのファイル見―――」 「嘘吐き」  『樹』のログファイルを見つけた彼が目を瞠り、言葉を紡ごうとするのを私が遮る。  そんな私の様子に、レイジは困惑した表情を浮かべるばかりだ。 「私のコト、ずっとからかってたんでしょ?」  レイジを信じていただけに、『裏切られた』という思いで感情が昂ぶる。  彼は抱えていたバッグを下ろして、私の隣に座り込んだ。 「―――――ごめん」  無上の絶望感が、私を覆い飲み込んだ。  気が遠くなりそうだった。  まだ、違うよって否定してくれれば信じたかもしれないのに。  そういう思いが少なからずあったんだろう。 「でもね、アイ。これだけは信じて。俺はアイをからかったワケじゃない」 「嘘。じゃあ何で『樹』だって言わなかったの?」  私は強い言葉でレイジをつっぱねる。  だって、一人二役やる必要なんか何処にも無いじゃない。  俯いたレイジの瞳が、赤茶の髪の下で揺れていた。 「……言えなかったんだ」 「何で」 「『初めて会ったのに、何でも解かってくれる』って嬉しそうに言うアイの顔を見てたら……何か、言えなくなった」  そうだよ、嬉しかったんだよ。  でもそうじゃなかった。  レイジにとっては『樹』として、前もって知っていることだったから。  そう言えば、いつか彼が何か言いかけていたことがあったような気がする。 『私のコトなんて何も知らないはずなのに、解かってくれてて……心地良いの。レイジと居ると』 『アイ、それは―――』 『あ、こんなこと言われても困るよね』  喜びに高揚してた部分の気持ちが、すっ、と醒めて行く。 「俺はただ、『助け』たかっただけだった。そのために名前を二つも使ったことに対しては謝る」 「…………」  そうやって真正面から謝られると、許しても良いのかなという気分になる。  今までレイジが私にしてくれたことに比べれば、こんなの何でもないじゃない。  『別にいいよ』って言葉が出かけた時だった。 「けど最近、俺は本当にこれでよかったのかなって思ってる」 「え?」 「これが本当にアイのためになるのか、解からなくなった。……ううん、きっと、アイのためにはなってない」 「何を――――あ」  パソコンの傍らに置いた携帯が振動音と共に青色に光る。  青色に設定してある人物なんて一人しか居ない。  私はレイジとの話の途中、携帯のウインドウを開けて受信したばかりのメールを開封する。 ―――――――――――――― 受信者:紺野 楓 送信者:土屋礼司 本文: お前が居るマンションの下に いる。出て来い。 ――――――END――――― 「土屋……?」  え……?  驚きに思わず立ち上がり、窓越しに少しだけ窺える外を見遣った。  其処にはメールに書かれたとおり、Tシャツにジーンズ姿の土屋が居た。  どういう状況だか解からなかった。  土屋がレイジのマンションを知ってるはずが無い。  大体、葉月にさえ此処に居るなんて事は知らせて無いんだから。 「『カキ氷』の彼から連絡きた?」 「………どうして」  土屋だって解かるの?  ううん、それより。どうして土屋だと思ったの?  訊きたい事はたくさんあった。 「もう一つ謝らなきゃいけないことがあるんだ」 「………」 「アイに隠れて、アイの友達と連絡とってた」 「そんな………」  そんな事は出来ない筈だった。  私の携帯を覗かない限りは。  ………まさか。 「勝手に携帯見て、連絡したって言うの? 酷い!」 「ごめん、酷いことしてるのは解かってた。でも、もういいだろ?」  真摯な瞳で私を見上げるレイジ。  嫌な予感がした。背中に、ゾクリしたものが走る。 「こんなこと続けてもアイのためにはならないんだ。もう、やめよう」 「………え?」 「今ならまだ大丈夫だから。家に帰ろう」  それはこの生活の終りを告げる言葉。  いつか、レイジから言われるんじゃないかと怯えていた言葉。  目の前が真っ暗になった。 「……何で」 「だからこんなことを――」 「違う! ならどうして私を連れてきたりしたの!」  全ての苦痛から解放されたくて、私はレイジについて来たんだ。  切り離される悲しみを味わうためじゃない。  両目に熱いものがこみ上げてきて、視界がぼやける。 「お願いレイジ、突き放さないで。もう私にはレイジしかいないの」 「アイ、聞いて」  レイジは立ち上がり、そっと私の頬を撫でる。  そしてぽろぽろと零れる涙を拭ってくれながら、言った。 「俺はアイの事嫌いじゃないよ。好きだ。でも、アイの周りには、もっともっとアイのこと思ってくれてるヒトが居る。」 「そんなヒト、いないよ」 「違う。それはアイがわかってないだけだ」 「……私が、わかってない?」 「そう」  しっかりと頷き、ぽんぽんと子供をあやすようにレイジが私の頭を撫でた。  彼の言葉の続きを求めるように、茶色がかった瞳を見つめる。 「悪いとは思ったけど、アイが此処に来てから連絡貰ったっていう友達にメールを送ったんだ」  女の子の方だよ、とレイジは付け足した。  メールをくれた女の子……葉月だ。 「その子、心配になって自宅にも電話掛けたんだって。でも、お母さんの返事が曖昧で気になっちゃって。それでアイが『レイジ』の話をしていた事を思い出して、例のチャットサイトに足を運んでみたらしい」 「葉月が……」 「サイトとハンドルネーム、教えてたんでしょ?」  レイジの問いに、私はこくりと頷いた。  葉月とだけはそういう話をしていたから。 「調べたら、毎日『アイ』はチャットに足を運んでるみたいだし、どうやらレイジと会う約束をしてたらしい。でもそれ以上のことは解からない。一体『アイ』は何処にいったんだろう、って………彼女、丁度いいタイミングでメールをくれたって喜んでたよ」 「………」  葉月は、私を心配して手を尽くしてくれていた。  美術系志望の葉月はデッサンの課題やらで今が一番忙しい時期なのに、私のために時間を割いて。  その事実に何も言葉を紡げなくなる。 「当然、葉月ちゃんは直ぐに『アイ』が帰るように説得してって言ってきたよ。でも少し待ってって伝えた」 「………ど、して?」 「アイを休ませてあげたかったから。そのまま帰しても、またアイはプレッシャーに負けて潰れる。そう思った」  レイジは私の隣に立って、マンションの下でひたすら私を待っている土屋を覗く。  そしてクスクスと笑った。 「これ見てよ。どうでもいい女のために、知らない男に呼び出されて来ると思う?」 「…………」 「葉月ちゃんも、『カキ氷』の彼も、ずっとアイのこと心配してたんだよ。解かるでしょ? それだけじゃない、アイの親だってそうだ。葉月ちゃんの話だと、お母さん、血の気の無い顔をしてるって」  そう言って、レイジはブラインドを下げ、再び私に向き直って目を伏せた。  きっとそれはこの生活が終わってしまうサイン。  私は小さくかぶりを振った。 「嫌だ、私は此処に居たい」 「アイ」 「私の居場所を見つけたの。どうしてそれを奪うの」 「アイ!」 「この場所を……レイジをとらないで」  もう顔がぐしゃぐしゃになるのなんて気にしないで、私は泣いた。  何のためなのか。それは私自身にもわからなかった。  淋しいから? 悲しいから? 自問しても、答えは出ない。  レイジは私の身体を抱きしめながら、そっと背中を撫ぜる。  そして、耳元で囁いた。 「もう自分でも気づいてるだろ? このままじゃいけないって」 「………」 「俺はアイが気持ちの整理をできるように此処へ連れて来た。でも今のアイは、思い描いていた自分と程遠くなってしまったのを許せないから、逃げてるだけだ。それじゃいつか後悔する日が来る」  私は、私を許せなかった?  家族からの期待に応えられない私。  土屋に思いを伝えられない私。  レイジの傍で何もしない日々が続く私。  ……そうかもしれない。  ジレンマだらけの自分に嫌気がさして。  私は何処かへ逃げ出したかった――ー 「それに、アイは錯覚してる。アイが欲しいのは俺じゃなくて、俺と同じ名前の『カキ氷』の彼。違う?」  …………。  何も言い返せなかった。  もう、レイジには全て解かっているんだ。  私の気持ちも、私が本当はどうしたいのかも。  彼は少し身体を離すと、涙に濡れ戸惑った表情を浮かべる私ににっこりと微笑みかける。 「自分の出来る範囲で良いんだ。無理はしなくていい。だから、もう少し頑張ってみよう? せめて、自分を許して上げられるように」 「レイジ……」 「『アイ』が、『楓』を許して上げられるようにさ」 「っう――――……」  それこそ、私は子供のように泣きじゃくった。  こんなに周りを顧みず、わんわん声を上げて泣いたのはどれくらい振りだろう。  目が腫れるまで、声が嗄れるまで、泣いて。泣いて。  ヒドい顔になった私に、レイジが優しく言った。 「『楓』の居場所へ、戻ろう」
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