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彼女の名はクロワと言うらしい…
私の名は…相変わらず思い出せないままだ。
日が過ぎていくごとに、身体の傷は癒えていったが、記憶だけはまだ何も思い出せないままだった。
身元を示すようなものは何も、私は身に付けてはいなかったようだ。
いや、もしも、彼女の言う通り、船から投げ出され荒波に揉まれたのなら、そんなものを身に付けている方がおかしいというものだ。
なにもかも、海の中に沈んでしまったのだろう…
私自身が沈まなかったのが不思議なくらいだ。
「そうだわ!
『マルタン』っていうのはいかがですか?」
「…マルタン?」
それは、私がようやく床を離れ、歩く練習を始めた二日目のことだった。
「…おいやですか?
いつまでもお名前がないままだと不便だと思い、本当のお名前を思い出すまでの仮のものを考えていたのですが、今、ふっと思い付いて…」
マルタン(カワセミ)か…
無理もない…
私の瞳は青い色と赤味を帯びた栗色…
そして、髪は燃えるような赤なのだ…
鳥ならば、様々な色の体毛を持つことが美しいと称賛もされるだろうが、人間は違う…
美しいマルタン(カワセミ)と同じ名前で呼ばれるだけでも感謝しなくてはならないのかもしれない…
どこか自虐的な笑みがこぼれた。
「…あの…もしも、お気を悪くされたのなら、ごめんなさい…
私は…」
「いえ…
そんなことはありません。
そうですね。
そうしましょう!
私は今日から『マルタン』です。」
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