絶滅日和

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 それがいつから起こり始めたのか、誰にもわからない。もしかするとそれは、とっくの昔に始まっていたのかもしれない。私たちが然るべき関心を抱いてこなかっただけで。  メアリー・セレスト号という船をめぐる伝説がある。  一八七二年、ポルトガルの沖にて無人の状態で漂流している帆船が発見された。発見時、船内には直前まで生活が営まれていた痕跡──たとえば、まだ温かい食事、洗面所にとり残された石鹸と髭剃り──が残されており、あたかも船員たちが忽然と姿を消してしまったかのようだったそうだ。  そして今。このあまねく地上では、あの船上の神隠し事件の再現が、いたるところで起こっている。  最初に広く報じられたのは、とある限界集落における住民の集団失踪事件だったろうか。第一発見者は移動販売車のドライバー。いつものように食料品や日用品を満載してその集落を訪れた彼は、そこがまったくのゴーストタウンに成り果てていることを発見した。 「住民の中には、歩行もままならない方もいらっしゃいました。皆さんお揃いで慰安旅行へ行くなんて話は聞いていませんし、だいいちどうやってお出かけされたんです? 鉄道の駅までは十キロもありますし、どのご家庭にも車はそのまま残されていたんですよ」  そう証言した彼も、その数日後に煙の如く消え失せてしまった。夫の長すぎる入浴に胸騒ぎを覚えた妻が覗いた時、無人の浴室では出しっぱなしのシャワーが床のタイルを洗い続けていたという。  初めはワイドショーの話のタネ程度にすぎなかった事件は、やがて国会で取り沙汰されるほどの大問題に発展した。同様の現象が全国各地、ひいては世界中に広まったためだ。失踪した者の中には、有名なスポーツ選手や芸能人、果ては政治家までもがいるという。  ある首都近郊の小都市の住民が一斉に消失した頃、ついに政府は緊急事態宣言を発令した。 「馬鹿な役人どもめ、対応が遅すぎる」とマスターは毒づく。けれどももし、政府の対応がより迅速だったとしても、事態はまるで好転しなかったんじゃないだろうか、と私は思う。なにしろこれだけ監視カメラが普及しているにもかかわらず、そして事件が周知されてからはや三ヶ月が経過しているにもかかわらず、未だに誰も失踪の現場を押さえることすらできないでいるのだ。  今のところわかっている手がかりは、たったの二つ。  どうやら事件の発生現場は、水と密接に関わるところが多い傾向にあるらしいこと。  そして、現場にはどういうわけか、おしなべて同じ種類の花が一輪残されているらしいこと。
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