絶滅日和

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 お会計の際、スマートフォンを置き忘れてきたことに、今更ながら気がついた。  まぁいいか、と思う。スマホがあればついスピッターを開いてしまう。スピッターを開けば、今のトレンドをつい覗いてしまう。そこに溢れかえった罵倒や嘲笑のスピットが目につき、嫌な気持ちにさせられる。それならいっそ、たまにはスマホ無しの生活を送ってみるのも悪くない。なにしろこんなにいい天気なんだから。  スマホはしばらく預かってもらおう。そして今度、置かせてもらったお礼にナポリタンを注文しよう。マスター十八番のナポリタンを。  なんとなくまっすぐ帰る気になれなくて、私の足は蓮池公園の方へと向いていた。  スマホが無くなっただけで、なんだかいやに身軽になった気がした。ふと思いついて、サンダルを脱ぐ。そうして裸足で車道の真ん中を歩く。  車にクラクションを鳴らされることも、おまわりさんに呼び止められることもない。「危ないぞ」と咎める通行人すらいない。無人の町、午後のアスファルトは火傷しそうなくらいに熱くって、おまけにでこぼこが足の裏に痛い。けれどもその熱さや痛みが、今はなんとなく快い。   少し気の早い蝉が、そこここで鳴いている。踏切の傍では、タチアオイが赤やピンク色の花を満開にさせている。とても気持ちのいい、初夏の一日。こんな日に一人きりの男の子とすれ違ったりしたら、たとえそれがどんなにつまらない男の子でも、思わず恋に落ちてしまうかもしれないな、なんてことを私は考えた。そして一人で勝手にこそばゆくなった。  この気持ち良さを、誰かと分かち合えればいいのに。  分かち合うどころではないのだ。今、必要もないのに外出をする者は、ほとんど人非人の如き扱いを受ける。他県ナンバーの車に石が投げつけられたり、営業を続けていた店にいたずらがなされた事件は記憶に新しい。  私は思う──そんな風に誰かを憎んでまで、守りたいものってなんだろう? 秩序? 正義? それは日々ストレスを溜め、したいこともせず、この素晴らしい夏の日を無為にしてまで守らなきゃならないものなんだろうか? だいたい失踪と外出の因果関係すら、未だに認められていないのに? 皆そんなに、この社会に未練があるのだろうか?  私は絶滅なんて、ちっとも怖くない。  とめどない自問にそうピリオドを打ち、ふと顔を上げるとそこはもう蓮池公園だった。  お目当ての睡蓮は、池の浅瀬に咲き乱れていた。  お弁当のゆで卵を思わせる、黄色の雄しべとのコントラストが素敵な白い花。触れればあっけなく破けてしまいそうな、桃色のグラデーションが瑞々しい繊細な花。丸くて平べったい、お皿みたいにおどけた葉っぱたち。  頭の中でその花言葉を反復しながら、水面を覗き込む──信頼、愛情、慎み深さ、清らかな心。そして滅亡。  一つだけ、あからさまに浮いている怖い言葉。私はその由来を、前にどこかで読んだことがあった。それはいったい何だったろう? 思い出せそうで思い出せなくて、もどかしい。  と、水面に映る私が、ニコッと笑いかけてきた。  あっと思った時には、はや、かき抱くように二本の腕が首に巻き付けられていた。  引き摺り込まれ、それの接吻を受ける刹那、私はようやく花言葉の由来を思い出すことができた。  睡蓮。学名ニンファー(Nymphaea)。  その名はニンフ──近づくものを水の中に連れ去る、美しい魔性の妖精にちなんでいる。
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