運転手の話

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 一度聞いて以来、ずっと耳にくっ付いて離れなかった、あのか細く不気味な声。肌にへばりつくような忌まわしい寒さ。私は咄嗟にルームミラーを確認しました。長髪、白と茶色のブラウス、俯いて見えない顔……案の定そこには、空のはずの座席に座り込む女性の姿がありました。  前回と全く同じ状況。しいて違う点を挙げるとすれば、彼女が現れたのが付け待ち中だったか、流し営業中だったか、といった程度のもの。前回から引き続き幽霊にビビりまくりな上に、今回はバリバリの運転中。完全に逃げ場を失った私に、選択の余地はありませんでした。 「……分かりました。××商店街まで、送らせていただきます」  鏡を見るたび映り込む女性の姿と自身の怯え顔……それを認識するたびに、私の心臓は緊張と恐怖で、口から飛び出してきそうになりました。二夜に渡って人ならざるもののために運転せねばならない運命を、私は心の奥底から嘆きました。しかし……私は運転を続けるうちに、あることに違和感を覚えました。最初はそれが何だかは分かりませんでしたが、何度か後方確認を繰り返していると、一つ前回と大幅に異なる点を見つけたのです!  それは私の顔に纏わる変化でした。幽霊女に怯えまくっていたこともあり、私の顔は深い青色に染まっていました。でもその夜、鏡に映し出された私の顔には、ほんの僅かだけ正気が宿っていたんです。洒落にならないほど青ざめてはいましたが、それでも前回と比較すればまだ血色が良く、少なくとも死体に例えられる程酷い顔ではありませんでした。私はようやく気づきました。己が幽霊という異形の存在を相手に、ちゃんと仕事を全うできている事に。  冷静に分析してみると、顔色の変化以外にも前回との相違点が見つかりました。冷や汗の量が減少していたことや、手の震えが少し治まっていたことなどです。無論、幽霊を怖いと思う臆病な気持ちが消滅した訳ではありません。  しかしどう考えてみても、私は前回に比べて女性のことを恐れていませんでした。二度同じ境遇に置かれたことで慣れがきたのか、それとも直前に他の乗客の相手をしていたことで、その時のノリを持ち越すことができたのか……今でも真意の程は分かりません。  まあ何にせよ、自分がほんの少しだけ恐怖を克服できたという事実は、かなり心の支えとして機能しました。だからその欠片ばかりの勇気を抱えて、前回と同じく乗客を刺激しないよう、最新の注意を払いながら運転していれば、何も起こることなく事が収まる筈でした。  しかし……私は運転手で、運転手の仕事はお客さんを安全に、かつ快適に目的地まで送り届けることです。だから下手に勇気が湧いてしまったせいで、運転手として動けるようになってしまったせいで……私は少々危険な賭けに出てしまったのです! 「そういえばお客さん、昨日も利用してくださいましたよね?」
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