調香師

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どこでもいい、入り組んだ裏路地に花を持って入るんだ 一輪だけだよ?数はいらない ーー初めて聞いた時は、嘘らしいと思った そのまま感を頼りに進むんだ 気がつくと視界の端に赤い提灯が見えてくるはずだから ーー実際に見てからは、嘘みたいと思った 赤提灯と、紐を通して連なった鬼灯を下げた軒先に濃い藤色の暖簾がかけられている 引き戸には赤い光で細かく光る片板硝子が嵌められていて…どこか古風な雰囲気を感じた 『調香師』 ほんの少しの噂と、真実が織り交ぜられた情報を私はあまり信じていなかった 元々機械音痴だったからかもしれない 同い年の、そこそこ歳を重ねた人達も使いこなしているそれを私はうまく、使えなかった 人と会話をするのが辛い? そんなことない、私は会話を楽しむタイプ ただ…私と話した後で、私以外の輪で何を言われているのか怖くなってしまっただけ 「うまくいかないと、こんなにもつまらないものなの?」 私の人生も、私の過ちで輝いていた道を逸れて藪道を進んでしまった いいえ…実際は私が悪いのではなくて、一生の誓いを交わしたはずのあの人がいけないのだと思う 私の知らないところで、私が知らない人と、私が知らない時間を過ごしていたあの人 私は十二年住んでいたマンションを飛び出して、実家に戻ってきていた…会社は有給を使っている 「だから、逃げてきちゃった」 「…はぁ、だからあの男はやめなさいと、再三言ったのに。この人と結婚するって聞かなかったのは由花じゃないの」 「でも…」 「父さんも何か言ってよ。この子ったら……」 「なにか言えって言われてもなぁ。由花も喜んでいたし、見た目だけで中身は真面目だと思ってたからな。ほら、何回か話したけど好青年みたいだったじゃないか」 「そうだけど…」 小さいティーカップに注いだ紅茶をちびちびと飲みながら、何度目かのため息が出る 有給は後4日、それが終わったら嫌でも戻らなくちゃいけない 普通に振る舞える自信がないから、なんとか蹴りをつけようかと思ったんだけど難しそう 「ちょっとその辺歩いてくるね」 「気を付けろよー」 「もう何歳だと思ってるのさ」 「俺の中ではまだ子供だよ」 「父さんったら……今日は大好きなシチューだから遅くなく帰ってくるのよ」 「わかってる」 少しかかとの高い靴を履いて、外へ 空が曇っているせいでまだ寒い中、カーディガンを羽織るべきだったかなんて思う でも戻るのも面倒だからとベンチのある小川へと歩いていった ぼんやりと雲が流れるのを見ていた 都会に憧れて家を出たけれども今の私は、あんな場所よりも田舎ののんびりした空気の方があっていたんだなって思う 今更仕事も辞めれない 今の仕事を辞めてしまったら次の仕事が見つからないかもしれないし、何よりもっと両親に心配をかけてしまう 反抗期のこともあってできるだけの親孝行をしたいと思っているから、しがみついているしかできなかった 「………でね、…ーらしいよ」 「えー本当?それ。嘘じゃない?」 「面白そう!ね、今度やってみてよ!」 「いやだよー。私が暗い場所怖いの知ってて言ってるんでしょー!」 「えへ、ばれたか」 後ろから聞こえてきた会話に目線だけを投げかける 土手の向こうから歩いてきている三人の女の子…私の母校の制服を着ていてそれぞれ手にはパステルカラーのスマホを持っていた 一人がおさげの子にスマホをかざして見せる 「ほら、これ!」 「何?…花を香りに…ただのアロマじゃん」 「そうなんだどね、……なんだ」 「えぇー!うっそー!」 「本当……。…」 少し気になっただけだった ポケットからスマホを取り出して電源を入れる 実家に戻ってからずっと開いていなかったスマホから何度も何度も振動が鳴り止まなかった ようやく落ち着いた後に画面を見ると未読の通知がかなり溜まっていて、全部あの人からだった 「謝るつもり?それとも、言い訳をするつもり?」 考え始めた思考を戻して検索をかけた 花、香り、暗い 通りかかった女子高生たちが言っていた言葉を調べてみると誰かの日記が1番初めにでてきた 誰かわからないもの 架空の名前で綴られる言葉の、初めの一文が目にはいった 『初めて聞いた時は嘘だと思った。実際に見てからは嘘みたいと思った』 『私、復習がしたかったの』
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