同じときを生きるには離れすぎて

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同じときを生きるには離れすぎて

距離。それは物理的なものを指すことが多い。しかし、恋愛における距離とは物理的な距離よりも、心の距離が離れている方が堪える。そこに年齢差が加わると恋の行方は絶望的になる。 新藤花純は、街路樹の桜を眺めながら物思いにふけりつつ家路を急ぐ。もうすぐソメイヨシノの花が咲きそうだ。膨らんだ蕾を毎日見上げては、咲いている桜がないか注意深く観察することが彼女の日課になっていた。 「新藤、桜の花言葉って知ってるか?」 3月の半ば、葉山先生が国語の教科準備室で脈絡もなく唐突に話題を振ってきた。 「いえ、知りません。葉山先生って、花言葉知ってるんですか?女子力高いですね」 葉山先生は短い薄茶色の髪をかき上げた。喉仏が動くと、低くてダンディな声で話し始めた。 「いや、毎年校庭の桜が綺麗だと思ってさ。桜にも花言葉があるのかふと気になってネットで調べた」 「で、桜の花言葉ってなんですか?生徒は建前上、スマホ持ち込み禁止だから調べられないんで、気になります」 「優美な女性、純潔、精神美だってさ。やっぱり桜って女性のイメージなんだな」 「素敵な花言葉ですね」 「新藤とは程遠いな。新藤は優美というより陽気という言葉が似合う。ちなみにオニユリの花言葉は陽気だそうだ」 「先生…。どうせ私は何も考えてない陽気な性格ですよ。突然花言葉の蘊蓄を語り出したと思ったら、オチはそこですか。プリントのホチキス止め終わりました」 「ありがとう、仕事が早いな新藤は。今日は部活がないから真っ直ぐ帰るように。寄り道しないこと」 「はい。先生こそ部活がないからって飲み歩きと煙草の吸い過ぎはほどほどにしてくださいね。ときどき二日酔いのまま授業してますよね?」 「新藤…。お前は本当にああいえばこういう。可愛げがないと男子にモテないぞ」 「別に恋愛に興味ありませんから」 「まあ、恋でもすれば変わるだろう。新藤が変わろうとしなくても、恋をすれば自然と優美な女性になれる。俺が心配し過ぎだな」 葉山先生はからかうように笑う。私は唯一知ってる花言葉を使って逆襲に出る。 「先生、かすみ草の花言葉って知ってますか?」 「いや、知らない。新藤の名前はかすみだったな、そういえば」 「かすみ草の花言葉も桜と同じ純潔です。その他には永遠の愛、清らかな心。もう私にぴったりじゃないですか」 花純はちょっとおどけてみせる。 「清らかな心は当たってるな。でも新藤はやっぱりいつも元気一杯なイメージだから陽気が花言葉のオニユリだな。さて、プリントの用意も終わったし、お喋りもこのくらいにしよう。教科準備室の鍵は俺が返しておくから、帰りなさい」 葉山先生がくしゃくしゃっと笑う顔は、子犬のようで年上なのに可愛い。花純はこの笑顔が見られる幸せを心の中で噛みしめていた。 「はーい。失礼しました」 花純は教科準備室を出て、帰り道を急いだ。 それから毎日街路樹や校庭の桜が咲かないか、密かな楽しみになっていた。恋愛に興味がないなどと言ったものの、実は葉山先生に憧れていた。教科係を買って出たのも大学の推薦のための点数稼ぎではなく、葉山先生がお目当て。 総合文化部という、文芸部とパソコン部と書道部が合併して出来た部活の顧問が葉山先生だった。高校の部活は中学とは違って自由参加だから、無理して部活に入る必要はない。 進学校なので部活に入らない人も多い。しかし、総合文化部は緩く活動しているので、何も部活をやらないのはつまらないから、とりあえず緩い部活に入りたい人の受け皿になっていた。 花純も、個人活動がメインの総合文化部にとりあえず入部してみた。進学校の中で、勉強一直線で遊ばない子は男女問わずダサい奴だと思われる。部活も勉強もやって、特にハードな体育会系の部活と勉強の両立をしている子は尊敬の眼差しで見られる。 体育会系の部活をやるほどの根性はないので、総合文化部でほんのちょっとだけリア充感を演出する。総合文化部の部員の九割の入部の動機はこんなところだ。残りの一割が真面目に部活動に取り組んでいる。 葉山先生は特別女子に人気があるというタイプではない。人畜無害の癒し系、三十歳独身の割には、マイホームパパのような落ち着きがある。葉山先生の陰のあだ名は、「はやパパ」。独身なのにお父さんのようなおじさんっぽい垢抜けないファッションと仕草のせいでこんなあだ名になってしまった。 花純は「はやパパ」と呼ばれる葉山先生を見て、私が服を選んであげればもっとスタイリッシュになるのにと、ふとした拍子に思った。それからなぜか葉山先生が気になり出した。休日に先生に似合いそうな服をショッピングモールで見かけると手に取って広げてみたりする自分の行動に、花純本人が一番驚いていた。 あまりかっこよくなり過ぎると女子が騒ぐし、先生は先生のままでいいよね。広げた服を丁寧に畳んで売り場を去る。走り去るときの胸の高鳴りは耳を塞いでも聞こえそうで、その音が聞こえなくなるように、花純は全速力で家まで走った。 結局のところ、葉山先生に恋心を気づかれないように、花純は陽気でズケズケ物を言う性格を敢えて変えないように気をつけていた。恋をすれば自然と優美な女性になると先生は言うけれど、恋心に気づかれないように明るい私を演じてるのに…。 花純は今日もソメイヨシノの開花がないことを確認すると大きなため息をついた。先生が花言葉の話をするから、いつもはそれほど期待してない桜の開花が待ち遠しい。
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