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ガマズミの花は、静かに叫ぶ
「また気が向いたら呼ぶからね、よろしくね」
「……ん、」
まだ、意識がはっきりしない。
小さくなっていく背中はいつもの人たちと同じようにだらしなくて平凡で、きっとこの後思い出すこともないような人。わたしの上に覆い被さってニタニタ笑って、気持ちの悪い顔をしながら勝手に満足して──どの人がどの人なんだか、ごっちゃになって区別もできない。
夢と変わらないけど、本当に夢なのは嫌だった。あんなのが夢なら、もう眠ることすら救いにならなくなってしまう。
「身体痛いな……」
早く、本当に寝てしまいたかった。
そうしたら全身の鈍い痛みとか、会えもしない人のことを思う苦しさとかも少しは忘れていられる。
そう思いながら、家に帰ったとき。
お母さんが甘えた声で笑いながら誰かを見送っている声が聞こえてきた。顔を合わせるのは何となく嫌だったから早く部屋に行こう──そう思った足がもつれて、危うく転びそうになって。
「ふぅ……」
持ちこたえて、気を取り直したとき。
「あれ、」
「え?」
聞き覚えのある声がした。
まさか……嘘、ありえない。
やめてよ、ここでは会いたくないよ。
嫌だ、だってここにいるっていうことは。
「桔梗くん……?」
「ここ、お姉さんの家だったんですね。何回も来てるのに、知らなかったな。桃香さん、そういうこと何も話してくれないから」
「──────、」
お母さんの名前を呼ぶその横顔は、今まで見てきたどんな人の顔よりも綺麗に見えて。きっと桔梗くんがうちに来ているのは、お金なんて全然関係ないんだってわかって。
そんなのって、ないよ。
だって、その場を見てなくたってわかる。
お母さんなんかよりわたしの方がよっぽどこの子を必要としてて、この子のことを想ってて、この子と同じで……! きっと桔梗くんはお母さんの前ではあんな顔をしない、自分の寂しさをこぼしたりなんかしない、お母さんはあくまで『買ってる』人なんだから。
なのに、それでいいの……!?
何かが胸のなかで燃えているのを感じた。それは今までの温かな何かとは程遠くて、熱くて、ドロドロして、気持ちの悪くなるような粘りけのあるもの。
「あ、あのさ……!」
喉から絞り出した声が、震えている。
当たり前だ、これからわたしがしようとしてることがどういうことか、わかっているから。
きっと彼との間にちょっとだけあったかも知れないものまで、たぶんなくなってしまう気がする。……それでも。
「この後、わたしも……だめ?」
「僕、今日は疲れてるんで」
「おっ……、お金なら、あるからっ、」
今日寝た人はずいぶんお金をくれる人だったから──その分いろんなことされたけど、それでも、それがこうして桔梗くんに繋がるなら、安いものだ。
さっき貰ったお金を、そのまま桔梗くんの前に突き出す。
「──、わかりました」
小さく呟いたあと、桔梗くんはわたしの手を取って歩き始めた。前みたいに人目を気にしなかったのは、きっと『契約』が成立したから。たぶん、この後、わたしたちは。
けど、どうしてだろう。
こんなに近くにいるのに、きっとこの後誰よりも深く繋がれるのに。
どうしようもない何かを手離してしまったような心細さが離れてくれなかった。
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