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6 彼の選択
****♡Side・電車(同僚・恋人)
「どうかしたんですか?」
十分ほどして苦情係に戻って来た唯野は元気がなかった。板井に問われ”なんでもないよ”と微笑む。
何かあったのだろうなとは思うが、そもそも黒岩と唯野が普段どんな接し方をしているのか知らない電車には何があったのか予想をすることは出来なかった。隣に視線を向けると塩田はPCモニターを見つめ何事もなかったかのように仕事をしている。それに対し、皇は心配そうに二人の方を見つめていた。
心配したところで他人の問題に口を出すことは出来ない。電車は仕方なくPCモニターに視線を戻したのだった。
それはお昼のチャイムが鳴ったのち。
”昼に行くぞ”と皇に声をかけられ、素直に席から立った電車と塩田。苦情係を出、商品部を通り、廊下に出るまでは何の異変もなかった。
「皇」
エレベーターに向かおうとする皇副社長を呼び止める、塩田。電車は自然と塩田の隣で歩を止めた。振り返った皇は数歩進んで塩田の傍で立ち止まる。何かあると思っていたのだろうか、彼は小さく微笑んで。
「総括にかけて」
塩田は手を出しながら。
恐らく総括黒岩に電話をかけろという意味合いなのだろう。皇は何も問わずにスーツのジャケットの内ポケットからスマホを取り出すと、画面をスライドさせて通話の操作をするとスマホを塩田に手渡した。
それを躊躇いなく耳にあてる塩田は、今度は電車の方に自分のスマホを差し出す。
「うん?」
画面を覗き、開かれているのはメッセージアプリの板井とのやり取りだ。
「板井を昼に誘っといて……ああ、総括?」
言い終わるか終わらないかの内に相手が通話口に出たのか、塩田が後ろを向く。
「俺も板井とならやり取りしているんだけど」
「なんと送ったのか聞く手間が省けるからじゃないのか?」
電車の零した言葉に反応する皇。なるほどと思った。とりあえず送った方がいいという皇の助言を受け、電車は板井にメッセージを送信する。塩田が総括と話をしていることを添えて。
板井からは『すぐ行く』の一言。彼には塩田が何をしようとしているのか分かっているに違いない。
「板井、なんだって?」
「すぐ来るって」
皇に問われ電車はチラリとドアのほうに視線を送りながら。しかしすぐ皇に向き直る電車。皇はすでにエレベーターの前に立っていた。
電車はゆっくりと彼に近づくと隣に立つ。
「どうかしたのか?」
「いや、さ。優ちゃんがお節介焼くならわかるけど……”塩田がっ”てのが意外だなと思って」
すると彼は”意外でもないだろ”と小さく笑う。
「それに、塩田に任せる方がいいと思う。俺はね」
皇は振り返ると軽く手を挙げた。電車もつられてそちらに向き直れば、板井と塩田が何やら話をしている。二人の視線に気づくと歩き出す塩田。
「うん……?」
ツンツンと皇に肩を叩かれ、視線を戻せば彼が手を差し出している。別に手を繋ごうというわけではないのだろう。
「俺が運転するから」
皇と彼の手を交互に眺めているとそう言ってくいくいっと指先を動かす。電車はカーディガンのポケットに手を突っ込むと車のキーを取り出し彼の手のひらに乗せる。
「なんで?」
「なんだよ、なんでって」
”こういう時は、上司が運転するものだろ”と彼。なんと返していいのか分からないまま考え込む電車の隣でエレベーターのボタンを押す彼。
「黒岩さんは?」
「課長とお昼するってさ」
近づいてきた塩田にさりげなく問う皇。
「板井は良いのか?」
その”良い”は自分たちと一緒を指すのか、黒岩と二人きりにしていいのか……もしくはその両方なのか電車には判り兼ねた。
「こうすべきだと塩田が判断したなら、それで俺はいいと思います」
「そうか」
チンと小気味良い音がしてエレベーターのドアが開く。電車は皇に続いてエレベーターに乗り込みながら”みんな塩田任せなんだね”と呟けば、何故か皇と板井が眉を寄せてこちらを見る。
「え? 俺、何か変なこといった?」
「いや」
塩田だけが電車の言葉を否定してくすりと笑ったのだった。
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