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06 今更
それは、先日行われた定期試験の結果発表のあった日の放課後。
上機嫌の海先輩が、また妙な事を言い出した。
「聞いたよ、恒道くん」
いつもの公園のベンチで、隣に座る俺に恒例のアメを渡してくる。
手渡しなら拒む理由はないので、素直に受け取りながら疑問を口にした。
「何をですか」
訊くと「待ってました」とばかりに先輩の顔がキラリと輝いた。
これは、良くない展開になりそうだ。
「この間の試験の結果、学年で12位だって?」
「何で知ってるんですか、そんな事」
「そりゃあ、恒道くんの事だから」
そんな嬉しいことを言われても、素直に喜べないのは何故だろう…。
海先輩のご機嫌が良ければ良いほど、俺は追い詰められている気がしてならない。
海先輩は、相変わらず俺に構ってくれる。
校内でも偶然にしては多い回数の声を掛けられているし、俺の知る限りこの公園で一緒に過ごす人間は他にはいない。
いつも、どうでも良いような俺の情報を仕入れているし。
その情報は、一体どこから集めてくるのか不思議で仕方ないのはこの際置いておくとして、その他大勢にしては扱いが過剰な気がする。
しかも、先日のように軽く愛を宣言してくれる。
そのクセ「誰とでも仲がいい」と突き放す。
完全に振り回されている。
困ったことに、それが少し楽しいと思ってしまう。
「これは、ご褒美に何かあげなきゃいけないよね」
妙な使命感に満ちた表情で、嬉しそうにそんな事を言う。
それは最早親目線じゃないですか。
本当の親だってそんな事は言わないというのに。
その他大勢というより、小学生達と同じ扱いになっていないだろうか。
「いけなくは無いです」
「遠慮するなって。いつものアメ以外のものをちゃんと考えてきたんだから」
「本当にいらないですって」
「色々考えたんだけど、やっぱ分かりやすいのがいいと思うんだよねー」
貰う方が「いらない」と言っているのに、海先輩の耳には入らないらしい。
ウキウキ気分の海先輩に、俺ごときが敵うはずないよな。
一体何を用意してくれたのか知らないけど、受け取って「ありがとうございます」で済む物だといいな。
大体、順位が微妙だ。
せめて10位以内だったら、何となく分かるんだけどな。
しかも全国模試でもない、校内の順位だ。
それに、そんな事を喜んでくれる海先輩はいつも5位以内だという事を知っている。
そんな人にお祝いをされても素直に喜べない。
イヤ、正直な気持ちを言えば嬉しい。
そんな事を思いついてくれる気持ちが嬉しい。
とは言え、例え何位だろうと、海先輩からご褒美を貰う理由はないのだが。
「て事で、オレ」
海先輩は自分を指して笑顔でそう言った。
意味の分からない俺は、当然、間抜けた反応しかできない。
まさかとは思うが…。
俺の予想が外れていることを願う。
「いつまで経っても恒道くんに押し倒される気配がないからね、これは何かきっかけが必要かと思っていたんだ。で、今がそのきっかけに丁度良…」
「良くないです!」
思わず叫んでしまった。
やはりだ。
こんな事で予想が当たってもどうしようもない。
「そう?」
「というか、どうしてそういう方向に行っちゃうんですか!?」
「そういう事しか考えてないからじゃないかな」
真顔はやめてください、真顔は。
どうして、試験の順位がちょっと上がったくらいで、こんな目に会わなきゃいけないんだ。
嬉しくないわけじゃないが、正直困る。
それは、俺の中では決して「無し」ではないから。
なんなら、かなり積極的に「有り」なのだ。
俺に向けてくれる表情や仕草に乱されて、何度触れたいと思ってしまった事か。
海先輩にとって、俺など対象外で何を言っても安全なただの後輩だと分かっている。
先輩の冗談めいた言葉に乗せられて、少しでも下心を出そうものなら、今の関係は無くなってしまうかもしれない。
これでも、今の距離感は結構好きなんですよ。
壊したくないんです。
だから、無邪気に誘惑しないでください。
俺にもっと勇気と自信があれば、海先輩のご要望通り押し倒すくらいはできたかもしれない。
まだこの曖昧な居場所に未練があるから、先輩に幻滅されるような事はしたくない。
だって、俺が本気でその手を掴んだら、「本気にするなよ」と笑うでしょ?
「別に、海先輩から何か貰うために順位を上げた訳じゃないですから。本当に何もしてくれなくていいです」
「そっか…」
はっきり断ったら断ったで、途端に元気なくなっちゃうし。
あからさまにしゅんと肩を落とさないでくださいよ。
俺の所為か?
…俺の所為、になるんだろうな。
「別に、海先輩が嫌いだからとかじゃないですよ」
「説得力無い」
フォローしてみても、海先輩は沈んだまま。
わざとらしいくらいの落ち込みようだ。
そんなに機嫌損ねるような事じゃないだろ。
子供かっ。
まったくもう。
「先輩の気持ちは嬉しいんですけど、そういう事は、ご褒美で貰うものじゃないでしょ」
と、俺は思うのだ。
上手く言えないけど、それは俺が求めていたものじゃない気がして。
「…どうしよう、恒道くん」
何やら考え込んでいた海先輩が、思いつめたように顔を上げてこっちを見た。
そういう頼りなさ気な表情されると、グラリと揺れてしまう。
揺れてしまったのを隠して、あくまで冷静に訊ねる。
「どうしました?」
「無理矢理にでも、押し売りしたくなっちゃった」
ジッと俺を見つめる目に、嘘を言っている気配は無い。
つまり、本気だ。
押し売りって…ご褒美を?
それって、俺が押し倒されちゃうという事ですか?
「止めてください!」
「そうだよね、さすがに公園じゃね」
「場所の問題でなくて」
「今日、恒道くんのお家に泊まってもいい?」
「絶対に駄目!」
あまりにも必死で断った所為で、またしても海先輩がわざとらしく落ち込んでしまった。
厄介すぎだよ、この人。
どうしたら上手く伝わるのかな。
俺はまだ、先輩から貰うものはアメでいいんです。
それだけで十分なんですよ、海先輩。
伝われー、と念じながら恐る恐る先輩の頭に触れる。
ぎこちなく柔らかい髪を撫でてみると、海先輩の表情に笑みが戻った。
「恒道くんの手、気持ちいいね」
うっとりとした瞳がこちらを見つめている。
つい善からぬことを考えてしまって、思わず目を逸らした。
無邪気にそんな事を言って微笑む先輩は、俺がこの瞬間に何を考えているかなんて知らないだろう。
「そー…ですか?」
「うん」
うっかり触れてしまった事に若干の後悔を覚えつつ、手を引く事も出来ずにいると、その手を海先輩に取られた。
先輩はゆっくりと目前まで引き寄せて、じっと見つめている。
「今日こそは恒道くんを喜ばせたかったのに、またオレだけ貰ってしまった」
先輩が、溜息混じりにぽつりとそんな事を呟いた。
「何もあげてませんけど?」
今日に限らず、俺から先輩に何かをあげた事などない。
いつもアメを貰っているので、そろそろ何かお返しをしようと思案していた所ではあるけれど。
「貰ってますー」
悪戯っぽくそう言って、上目遣いでこちらを見る。
あー、それはちょっと止めて欲しいです。
手を握られたままなので、いつもより余計に意識して辛いです。
「なに、を」
肝心の疑問が上の空になってしまう。
「んー…と、幸せ成分?」
こちらの動揺など全く気にもしない海先輩は、少し考える素振りを見せてからふわふわとした答えを返してきた。
なんだ、それは。
聞き違いだろうか。
「……すみません、もう一度言ってもらってもいいですか?」
「幸せ成分」
はっきりと明瞭に繰り返されて、聞き違いの可能性はゼロになった。
「何ですか、それ」
「貰うと、恒道くんをもっと好きになるもの」
補足してもらったというのに、更に理解し難い事を言われる。
繰り返すが、俺は何もあげていない筈なのだけど。
「馬鹿にした顔してるけど、オレがこれ以上好きになったら、困るのは恒道くんだからね」
呆けた表情を隠せなかった所為か、海先輩はまるで警告のようにそう言い放つ。
今でも十分困っているというのに、まだこれ以上があるというのだろうか。
そうならないように気を付けたいのは山々ですが、何をどうしたら「幸せ成分」なるものを海先輩に与えてしまうのか不明なのでどうにもできません。
と、途方に暮れた矢先に、掴まれたままの手を更に引かれ、指先をペロリと舐められたので反射的に引っ込めた。
「ね?」
慌てる俺の反応を見て、海先輩は満足そうに微笑む。
もしかして、俺はまた無意識のうちに何かを差し上げてしまったのだろうか。
自分の言動を振り返ってみても、該当するような事はない。
海先輩が、俺の何を以てそう感じてしまうのか見当もつかない。
なのでもう、諦めるしかない。
「いいですよ。困らせても」
降参気味にそう言うと、先輩はきょとんとした顔でこちらを見た。
先輩のこんな表情は珍しい。
レアすぎて別の意味で困ります。
「…いいの?」
いつもの強引さはどこかへ姿を消し、控え目にこちらの意図を探っている。
海先輩に躊躇うように訊かれては、断るなんて選択肢は生まれない。
「今更じゃないですか」
と答えた途端に抱き締められ、「大好き」と囁かれて、早速困ってしまう羽目になった。
密着されると色々とマズい。
今以上に好きになって困るのは俺だけではないと先輩に知らせるべきか、悩みながら再びその髪に触れた。
■ 終 ■
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