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03 独占
「はい、あーん」
うららかな日差しを浴びて、俺は常連になりつつある公園のベンチで追い詰められている。
隣りに座るのは、満面の笑みを浮かべてこちらに身を乗り出している海先輩だ。
先輩の手には一粒のアメ玉。
それは俺の口元付近を、実に楽しげに彷徨っている。
「自分で、食べられますから」
先輩は、それを俺に食べさせたいらしい。
しかも自分の手で。
高校生にもなって、アメ一つを食べさせてもうらなんて恥かしくてできるかっ。
というプライドのようなものが、ギリギリの所で折れるのを阻んでいる。
「いいから」
それでも先輩は諦めない。
しかも、俺が困っているのを楽しんでいるかのような表情でこちらを覗き込んでいる。
先輩は諦める気は無さそうだし、俺がこの状況から逃れる術もなさそうだ。
仕方なく、控えめに口を開けた。
海先輩は持っていたアメを俺の口に放り込んで、満足気に微笑んだ。
コロコロとアメを転がして、気恥ずかしさを紛らわす。
あ、今度のはグレープ味だ。
一体何がお気に召したのか、海先輩はやたらと俺に構ってくる。
正直、構われるのは嬉しい。
けど、公衆の面前でこういう事は止めてほしい。
その辺で遊んでる、海先輩を大好きな子供たちの視線が痛い、痛い。
うっかり口が滑ってしまった「俺になら手を出しても良い」的なセリフを盾にした海先輩は、思い切り俺で遊んでくる。
どうしてあんな事を言ってしまったのか。
そして、どうして海先輩はこんなに楽しそうなのか。
新しい遊び道具を手に入れた、くらいにしか思っていないのだろうけど。
先輩にとって、口移しのキスなんてもう憶えていないのかもしれない。
そもそも、キスをした、という認識すら無いのだろうな。
「ウミくん」
いつの間にか、ベンチに座る俺たちの前に少年が立っていた。
正確には海先輩の正面。
さっきまで、追い駆けっこをしていた小学生の一人だ。
卓真より少し大きいようだから、三年生くらいだろうか。
たった今までのやり取りを見られていたのかと思うと、とても恥ずかしい。
「向こうで一緒に遊ぼうよ」
海先輩の手を取り、引っ張っていこうとしている。
そんな強引に誘われたら、海先輩の事だから喜んで連れて行かれるだろう。
と、思った俺の予想は外れた。
「ごめんね。このお兄さんと、少し大事なお話をしてる所なんだ」
海先輩は、やんわりとそう言って断った。
さらっと何を言っているんですか。
大事な話なんて、これっぽっちもしていませんでしたよね。
むしろ、どうでもいい話しかしていませんけど?
「大事な話って何?」
「ナイショ」
「…ふーん」
全く納得していない様子の少年は、敵意をガンガンに突き刺すように俺を睨んでくる。
確実に嫌われてるよ、俺。
何もしていないのに。
小学生に嫌われるって、地味にダメージ大きい。
「じゃ、終わったら来てくれる?」
少年は詰まらなさそうに、先輩の隣りに座る俺を見下す。
まぁ、相手は小学生のガキだし。
我慢しなきゃいけないのは俺の方なんだよな。
分ってるよ。
けどな、ここまであからさまに敵意丸出しって、睨み返したくもなる。
「そうだね。終わったらね」
「終わるのいつ?」
「いつかなぁ。終わらないかもね」
海先輩は笑顔で曖昧に答えてこちらを見た。
これが彼女だったらどれだけ幸せだろう、という妄想をしてしまうには十分な可愛さだ。
でも、頼みますから、そうやってナチュラルにこの少年の機嫌を悪化させる言動は止めてください。
さっきから、この小学生が飛ばしてくる敵意が刺さりまくって痛いなんのって。
わざわざ確かめるまでもない。
この少年、確実に海先輩が好きだ。
それがどういう好きなのかは、この際置いておくとして。
海先輩の隣にいる俺を敵視している理由なんて、他に考えられない。
大丈夫かな、この子。
まだ幼いというのに、こんな如何わしい性癖の高校生に心を奪われてしまうなんて。
気の毒すぎる。
それを言うなら、ウチの弟もそうなんだけど。
もっと言うなら、その辺にいる小学生たちもそうなんだろうけど。
大きくなる頃には、ちゃんと真っ当な選択ができるようになる事を祈るしかできないな。
まぁ、俺が心配しなきゃいけないのは、その辺のガキの将来じゃなくて、自分自身の先行きなんだけどな。
先輩に面白おかしく遊ばれて、困っていると見せかけて実は喜んでいるようでは、自分の行く末はとても不安だ。
少年にとって俺は相当邪魔者だったらしく、最後まで睨みつけられてしまっていた。
海先輩をベンチから動かす事を諦めて去っていく少年の後姿を見送りながら、何だか非常に複雑な心境になった。
あの子は、俺がいたから大好きな海先輩と満足に遊べないんだよな。
きっと楽しみにしていたのだろう。
そう思ったら、少し可愛そうになってしまった。
だけど俺がここに座っているのは俺の所為じゃない。
文句なら海先輩に言ってくれ。
それに、将来的にはある意味これで正解ではある。
でも、少しくらい気を遣ってもよかったかな。
「俺、邪魔なら席外しましたよ」
「なんで? 恒道くんがいて困るような事はないよ」
海先輩が不思議そうにこちらを見る。
俺の居心地が悪いんです、とは言えないよな。
先輩も、あの少年の気持ちくらい分っている筈なのに。
ちなみに、俺の呼び方は「お兄ちゃん」から「恒道くん」にいつの間にか変わっていた。
名乗る機会を失っていたというのに、一体どこで俺の名前を知ったのか分からないが、年上の人に「お兄ちゃん」と呼ばれる不自然さから解放されて良かった。
「すっげぇ嫌われてる気がするんですけど、俺」
「ああ、そうかもね」
思った通り、意味あり気に先輩が微笑った。
性質悪すぎだ。
「それでなくても、先輩の所為で最近の俺は嫌われ度高いんですから」
弟の顔が浮かんできて、情けなく息を吐いた。
「何かあった?」
海先輩が覗き込んでくるから、前屈みだった姿勢を、慌てて背凭れにぶつかるくらいに正した。
この人の突然の至近距離は反則だ。
海先輩の距離感はおかしい、とたまに思う。
「先輩のおかげで、弟に嫌われてるんですよ」
「タクマくんに?」
もともと海先輩と仲が良かったのは弟の卓真だ。
卓真にとって、俺は海先輩を横取りする敵らしい。
俺なりに「イイ兄ちゃん」やっているつもりなのに、先輩の所為で敵扱いだ。
兄弟初の亀裂の原因が海先輩って、なんだかな…。
「『ウミくんを独り占めしてるー』って」
「アハハ、可愛いなぁ」
「笑い事じゃないですよ」
思いっきり他人事のように笑うので、情けないのを承知で続けた。
「独り占めしてる訳じゃないって、先輩からも言ってやってくださいよ」
こんな事、先輩に頼むほどのことじゃないし、俺だって本気で言ってない。
むしろ、卓真を先輩に近づけるのは好ましくない。
危ないという意味では、俺も卓真も大して変わらないのだけどな。
俺の心の葛藤を知らない先輩は、そんな俺の言葉にこっちを向いて薄く笑った。
「そーだね。独り占めしてるのは、恒道くんじゃなくてオレの方だもんね」
「は?」
何か不可解なことを言われた気がして、反射的に聞き返していた。
ただの言い間違いか?
それとも聞き違い?
「それより、もう一回言って」
俺が聞き返すより早く、海先輩はまたまた意味の分らない事を言ってくる。
「何をです?」
「『ウミくん』って。恒道くんに言われるとなんか新鮮」
ケラケラと笑いながらそう言う先輩に、俺は脱力するしかなかった。
そっちかよ。
卓真の真似をしただけなのに、そんなにウケるなんて予想外だ。
もう、二度と言わない。
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