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01 遭遇
いつもと何も変わらない日の筈だった。
思いがけず、公園であの人に会ってしまうまでは。
学校から帰ったら、今年小学校に入学したばかりの弟がまだ帰っていなかった。
外はまだ明るいが、18時近くになっても帰ってこない事を心配した母親に「捜してきて」と命令された。
面倒だ、と思いながらも、着替えよりも優先して捜し歩いている俺は、自分で言うのも何だけど良いお兄ちゃんなのかもしれない。
歳が離れている所為か、一般的な兄弟よりは接点が少ないなりに、可愛がってはいるつもりだ。
最初に向かったのは、小学校までの通学路の途中にある公園。
俺も昔はよく遊んだから、真っ先にそこが浮かんだ。
と言うか、そこ以外の心当たりが無い。
友達の家とかにいるんだったら完全にアウトだ。
数年前まで自分も歩いていた学校までの道程を、それらしい小学生を探しながら歩く。
懐かしいな、なんて感傷的になりながら角を曲がると、小ぢんまりとした公園が見えた。
小学校を卒業してから初めて訪れる公園は、驚くほど昔と変わっていなかった。
砂場もブランコもベンチも、記憶のままだ。
けど、昔はもっと大きく感じていた。
自分が成長した所為か、遊具の見える角度が変わって少し新鮮にも映る。
公園で無邪気に遊ぶ子供は皆帰宅している時間だから、公園はいたって静かだった。
砂場の中に人影がポツンとあるだけ。
ウチの弟にしては影が大きい。
近寄って、その人影が高校生だと分った。
高校生に限定できたのは、俺と同じ制服を着ていたから。
つまり、俺と同じ高校の生徒が、公園の砂場で遊んでいるという事だ。
と言っても、何の変哲も無い学ランなので、校章を見てみないと同じ高校かどうかは分からないが。
訝りながら回り込むと、その高校生の向こうにウチの弟を発見した。
「あっ、卓真」
名前を呼ぶと、弟が顔を上げて俺の方を見た。
ついでに、弟と一緒にいた高校生もこちらを見た。
残念ながら、その顔には見覚えがあった。
「おにいちゃんだぁー」
率直な感想を述べる弟を保護するのも忘れて、俺は謎の高校生に釘付けだった。
「お迎えですか? お兄ちゃん」
高校生は、にっこり笑ってそう言った。
幻覚にしては鮮明すぎるその笑顔に、俺はすっかり脱力しきってしまった。
「先輩は、何をやっているんですか…」
ウチの高校で、その人を知らない人間はいないだろうというくらいの有名人。
俺より一つ上で二年生の篠杜海弥が、小学生の俺の弟と一緒に砂の山を作っていた。
「可愛い弟さんだねー」
俺の質問を軽く聞き流して、海先輩は卓真の頭を撫でた。
その瞬間、突然の出会いに驚いて麻痺していた俺の思考が動き出した。
「ちょっと待ってください」
慌てて卓真を引き寄せて海先輩から隔離する。
「あれー?」
俺の行動を不審がることもなく、先輩は残念そうに掌をヒラヒラとさせた。
危ない所だった。
この先輩に弟を近づけては絶対にいけない。
篠杜海弥が何故有名人なのかというと、幼児や児童にしか興味ないからだ。
顔も性格も良いのに、同年代には全く興味が無いらしい。
特に、顔は相当良い。
誰が見ても文句なしに美形だ。
整ったパーツが見事に配置され、柔らかい物腰と相まって中性的な雰囲気を纏っている。
異性だけでなく、同性からも人気がある。
なのに幼児趣味。
勿体無い、と専らの評判。
「警戒しているね」
「当然じゃないですか」
先輩は、自分の嗜好が全校生徒に知られているのを前提で話す。
俺も、先輩が知られていると知っているのを前提で答えた。
実を言うと、海先輩と会話をするのはこれが初めてだ。
校内を颯爽を歩いている姿を見た事がある程度。
先輩にとって俺は、存在すら知らない後輩だろう。
それでも普通に会話が成立しているのは、先輩が学校の有名人で、本人にもその自覚があるから。
もし俺が制服を着ていなかったら、こういう会話にはならなかったと思う。
「お兄ちゃんは一年生?」
先輩はゆっくり立ち上がり、まるで面白いものを見るような目でこちらを見ている。
高校の先輩後輩というだけでこんなにも違和感なく会話が成立するものなのかと少し驚く。
それから、思っていたよりも小柄な人だったのも拍子抜けだ。
しかし、油断は禁物だ。
「それが何か?」
「いやー、別に。ただ、ちょっと気になっただけ」
先輩はこちらをジッと見ている。
綺麗な顔で見られると、特別な意味は無いと分っていても緊張する。
今まで遠目でしか見たことなかったけど、こうして間近で見ると、篠杜海弥は本当に整った容貌をしていた。
男女関係無くモテるのも納得できる。
男の俺ですらドキドキするのだから、女だったら確実に落ちるだろう。
羨ましい。
けど、きっと本人は年相応の女子に興味なんてないのだろうな。
ちなみに、海先輩には同じ高校に通う兄がいる。
その兄もとても顔が良い。
海先輩は中性的で、どちらかと言うとキレイ系だけど、兄の篠杜先輩は男っぽいカッコいい系だ。
朝などに一緒に登校する様を、有り難がって拝む女子も少なくはない。
他校の生徒にも知られているようで、篠杜兄弟は我が校の名物となっている。
「でも、今更だと思うよ」
先輩が意味あり気に微笑った。
何のことか分らない俺に構わず話を進める。
「だって、タクマくんと一緒に遊ぶの、今日が初めてじゃないしー」
先輩は完璧な笑みを浮かべて、俺の後ろにいる卓真の目線に合わせるように膝を折った。
「タクマくんは、ウミくんとお兄ちゃんのどっちが好き?」
海先輩はとても魅力的な笑顔で卓真に訊いた。
それはまるで、テレビの子供番組のお兄さんのような笑みだ。
しかし、「どっち」なんて、そんな事を聞く意味が分らない。
俺の戸惑いを知る由も無く、卓真は俺と海先輩を交互に見比べている。
小学生を困らせるなよ。
と思ったのも束の間、卓真はすぐに笑顔になって、
「ウミくん」
と元気良く海先輩を指した。
オイ、実兄の立場無くなるだろーが。
つーか、「ウミくん」って呼ばせているのか、この人は。
「んー…ウミくんもタクマくんが好きー」
あっ、と思った時には、先輩は卓真に抱きついていた。
卓真も嬉しそうにはしゃいでいる。
イヤ、もうホントに、確実に俺よりも卓真を可愛がっているよ、この人。
その異様な可愛がり方に、ガクッと脚の力が抜けてしまう。
好意的に見れば「子供好き」だろう。
だけど、海先輩の場合…。
「残念だったね、お兄ちゃん」
海先輩は卓真をぎゅっと抱きしめて、挑戦的に俺を見た。
挑まれてるよ。
正直、弟取られても全然悔しくないんですけど…?
悔しくはない。が、心配だ。
恐ろしく心配だ。
このままだと、ウチの弟は先輩の手によってどこか遠い所に連れて行かれてしまう。
「まさか、ウチの弟に手出そうとしていません?」
もう既に俺の中では「まさか」なんてレベルじゃなかったけど、一応訊いてみる。
先輩が三面記事に載るのは勝手だけど、ウチの弟を巻き込むのは勘弁して欲しい。
「人聞き悪いなぁ」
フフフ、という笑みがこれ以上ないくらいに怪しい。
「とにかく、卓真を放してください」
弟の腕を掴んで二人を引き離す。
卓真はかなり嫌がったけど、これはお前の為なのだから許せ。
「母さんが心配しているから帰るぞ」
ここで母親をダシに使うのは卑怯ではない筈だ。
これは嘘ではないし。
「……うん」
母親が「心配している」と知った卓真は、かなり残念そうに頷いた。
所詮は子供。
仲の良いお兄さん(あくまでも卓真目線で)よりも、母親の方がランクは上だ。
「またね、ウミくん」
卓真は名残惜しそうに海先輩に手を振る。
瞳がウルウルしているぞ。
オイ、そんなにこの人と別れるのが嫌なのか?
無理に引き離した俺が罪悪感を覚えるくらい、テンション下がりまくりだ。
「またねー、タクマくん」
そんな弟を励ますように、ヒラヒラと手を振り返して海先輩が笑う。
その時、弟の為にも「また」があってはいけないと本能的に思った。
* * *
翌日は、家に帰る前に昨日の公園に寄った。
時間が早いせいか、昨日より大分たくさんの子供たちがいた。
その中には卓真もいる。
当然のように海先輩も。
何やってんだよ、この人は…。
「先輩の家ってこの辺なんですか?」
「比較的ね」
俺と先輩は、子供同士で遊ぶ小学生たちを、すぐ側にあるベンチに座って見守っている。
見守る、と言うか、観察。
はっきり言って、俺には小学生の可愛さなんてこれっぽっちも分らない。
弟一人でも十分だというのに、集団でいたら余計に鬱陶しい。
なんか煩いし。落ち着きないし。生意気だし。
だから、駆け回るガキ共を愛しそうに見つめている先輩の気持ちは、さっぱり理解できない。
「無垢ってイイよねー。ついつい色々と教えてあげたくなるよ」
フフフ…と怪しく微笑って呟くから、俺は物理的にも精神的にも数メートル以上の距離を取りたくなった。
純粋に子供を愛しむような人じゃなかったな、この人は。
「保育士さんになりたいんだ。でもオレって不器用だから、折り紙とピアノがダメなんだよ」
「それ以前に、先輩になんて危険で預けられませんよ」
本心からそう言ってやった。
もし俺が親だったら、幼児相手に欲情しかねない人間には絶対に預けたくない。
弟でも嫌だな。
何されるか分ったものじゃない。
とは言え、ただ「小さい子が好き」というだけで、本当に何かやらかしたという話は聞かない。
校内で聞くところによると、自己申告でそう言っているだけのようだ。
告白防止の牽制、という可能性も囁かれている。
しかし、こうして隣で見ていると、小学生を見つめる視線は真剣だし、間違いなく熱い。
どの程度の嗜好なのか知らないけど、「見守る」というプレイを好んでいるのだろうか。
「大体、何でそんなに幼児が好きなんですか」
先輩だったら、わざわざそんな方向に走らなくてもいいのに。
本当に勿体無い。
俺が先輩みたいな容姿だったら、こんな所で子供なんか構ってないのにな。
だからこそ、牽制という噂も上がるのだろうけど。
「んー…? そんなに深い意味はないけど」
サラサラとした髪に指を通して、少し困ったように言い澱んだ。
軽い嫌味のつもりで言ったのに、そんな反応をされると戸惑う。
「護ってあげなきゃいけないって思えるだろ?」
真面目に答えてくれるとは思わなかった。
胸がザワリと騒ぐのは、その所為で驚いているからだろう。
それにしても、どういう意味だろう。
「護ってあげなきゃいけない」と「思いたい」?
護りたい、とは違うニュアンスに聞こえる。
「先輩は、誰かを護りたいんですか?」
俺の言葉に、先輩は曖昧に笑っただけで何も言ってはくれなかった。
その儚い笑顔が、焼きついて離れない。
いつもの、小学生を観察する妖し気な笑顔ではなく、今にも消えて居なくなってしまうそうな…。
護ってあげなきゃいけないのは、海先輩の方なんじゃないか?
風が吹けば消えてしまいそうに脆く感じた。
誰かが護ってあげなければ、簡単に崩れてしまいそうな漠然とした危うさ。
思わず手を伸ばしてしまいそうになる。
その「誰か」が俺であればいい、と一瞬本気で思った。
本気で思ってしまった、けど…。
これってかなりヤバくないか?
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