有りと有る、蟻にあんと

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有りと有る、蟻にあんと

 ここは、日々の活動を終えた冒険者の集う夜の酒場。  十分な稼ぎを得た者や、どうにか一杯のエールをあおれる程度の稼ぎの出た者、身銭を切って酒に溺れる者、様々な事情を抱えた者たちが、店に(にぎ)わいを与えていた。  そこに長袖の服を着た若い男も一人酒を飲んでいた。よく見れば、気持ち悪くないのか、卓上に置いた手の甲を(あり)が列をなして、袖の奥に続いていた。 「おいおい、アント・レプレナーがまた飲んだくれてやがる」 「まったく無職のくせに、いつまで酒場通いが続くんだか」  蟻を這わせるこの男、周囲からはアント・レプレナーと呼ばれていた。レプレナーという名前だと思われている。 「アントレプレナーは起業家のことだ。これだから、無学な冒険者は」 「あん? 確かに学はないが、こちとら十年は自分の体張って稼ぎを出してんだ。学があっても無職のテメエに馬鹿にされるいわれはねえ」 「無職、無職って、俺は無職じゃない。日銭を稼いで酒場に通っているんだ」 「何を言うかと思えば、(アント)と戯れることの何が仕事だ」  冒険者の言い分が正論だろう。蟻を育てて、一芸できるまでに育てることの何が仕事か。 「だいたい、それはテイマーってんだ。あるいはトレーナー、学のあるテメエには調教師と言った方が伝わるかい?」 「俺の仕事は芸の仕込みじゃない。そもそも、テイマーに(あり)が従えられるとは思わないが。そんなことよりも、俺は試練を課して導いているんだ。言うなれば、ガイド。それだけでは何も新しくないだろうが、俺のは特上。いつかドラゴンにだって勝ってやる」 「は? ドラゴン? テメエが?」 「俺ではなく、導いた蟻が」  さすがに、その言葉には酒場の喧騒が一度止んだ。どうやら、騒ぎつつも二人の会話に耳を傾けていたらしい。 「おいおい、まじで言ってんのかよ」 「どうせアリって、あれだろ。あのひょろい奴を歩いているのじゃなくて軍属蟻(アーミー・アント)のことなんだろ」  軍属蟻(アーミー・アント)とは人間と同じサイズ程あり、まとまった数で敵対者を襲う、いわゆるモンスターだ。 「でも、軍属蟻だって幾ら集まったところで、ドラゴンにゃあ勝てねえだろう」 「なら、法衣蟻(ストール・アント)だ」 「法衣蟻も大した違いじゃねえ」 「じゃあ、じゃあ、各地の武闘蟻(ファイト・アント)を雇った女王蟻(クイーン・アント)に率いられたやつらは?」 「武闘蟻に女王蟻って、そのクラスにもなれば、確かに判らねえが、そもそもドラゴンと対峙しようとは思わないだろうよ」  (アント)と言えど、人間の足元を歩くものばかりではない。この世界にはモンスターとして様々な蟻がいた。軍属蟻が歩兵を中心としており、法衣蟻(ストール・アント)は魔法を使う。武闘蟻(ファイト・アント)は鍛えた身体を用い、女王蟻(クイーン・アント)は優れた指揮能力でなすべき最適解を導き出すという。酒場にいる、出来上がりつつある冒険者は口々に知っている蟻を上げ、果たしてドラゴンに勝てるか、盛り上がる。 「へっ。大きく出たじゃねえの、アント・レプレナー」 「別に大したことじゃない。この世は弱肉強食だ。強ければ、大きさは関係ない。俺はそれを証明し、上に立つんだ」 「なるほどな。じゃあ、知り合いにコドモドラゴンを育てている奴がいるから、そいつには当然勝てるってわけだな」 「コドモ? コモドドラゴンではないのか?」 「何言ってやがる。コモドドラゴンってなんだよ。コドモドラゴンはコドモドラゴンだ。ドラゴンの幼体じゃねえか? まさか、ドラゴン討伐を目指していながら、コドモドラゴンも知らねえってか?」 「まさか。ドラゴンの幼体にわざわざ個別の名称を与えていることに驚いただけさ」 「おうおう、学のあるアント・レプレナー様の言うことは一味違うねえ」 「いい加減にしろ、俺には亜里という名前がある。斗有亜里、こちら風にはアリ・トアルっていう名前が」 「アリとか、アルとか、本当にうるさい奴だな。ちなみに、俺様にも名前があるが、アント・レプレナー様の実力が確かなものだったら教えてやる」 「だから」 「はんっ。お前の名前も本物だったら呼んでやるよ、アント・レプレナー様」  翌日のこと、町の広場で亜里と昨晩突っかかってきた男が立っていた。 「で、どこにコドモドラゴンとやらはいるんだ? 言い間違いなら、そうと言えば笑って許してやるが?」 「減らず口が。だが、お前も気が付いているだろう。先程から俺様がお前を見下していることを」  亜里は確かに気が付いていた。少しずつ男が自分のことを見下していることに。だが、いつまでその態度が続くか、亜里は無視をしていた。 「……どうして何も言わない?」 「…………」  今、亜里の目の前には男の足先が見えていた。このままいけば、亜里が何もしなくても、もはやどんな事態になっているのか把握できる、そんな事態になっていた。  ぐるぐるぐるぐる~?  そして、喉を鳴らしている原因と目が合っていた。男の足元に現れたのが、恐らく男の言っていたコドモドラゴンであるのだろう。なるほど、男の言葉が正しかった。とりあえず、亜里の前にいるのはコモドドラゴンではなかったからだ。チョコンと背中から見えている蝙蝠のような翼は、コモドドラゴンにはなかった部位である。 「どうだ。俺様を頭に乗せているこいつがコドモドラゴン。飼い主の寿命に間に合うか知ったことじゃないが、このままいけばドラゴンになること間違いなしだろう」  男の足首を器用に掴み、自らの頭に乗せ、少しずつ男の立ち位置を変えないように高さだけを無駄に調整した、この素晴らしき知能持ち――これはドラゴンに違いない。 「……すごいな」 「ちょっと、貴方。わたしのドラゴンちゃんを馬鹿にしていない?」  おそらくはドラゴンの育て親であろう者から声が掛かる。 「でも、良いのか? 成体になる前に倒してしまって」 「あんた、ドラゴンちゃんに勝てるつもり?」 「俺一人では無理だろうな」  そう言う亜里に、飼い主は満足そうにうなずく。 「だが、俺の試練に打ち勝った(あり)なら、不可能ではなさそうだ」 「何ですって? じゃあ、そのアリとやらで、わたしのドラゴンちゃんと勝負しなさい。ドラゴンちゃんが勝ったら、貴方はそうねえ……食料だわ。ドラゴンちゃんのごはんになりなさい。肉が少ないけど、程良い感じだから」 「それはごめんだな。じゃあ、俺たちが勝ったら、ドラゴンに与えた損害分はチャラにしてくれよ。殺してしまっても、無罪。怪我を負わせてしまっても、恨まないでくれよ」 「何よ。食料になんのよ。あんたが。それでもやるっていうの?」 「どうせ、そんな(なり)のドラゴンにも勝てないようじゃ、この先、生きていくこともできないだろうから試金石に丁度いいな」 「狂ってるわね、貴方」 「さてな」  シリアスにきめている所に、ドラゴンの頭上から男。 「そろそろ、俺様を下ろしてもらえないか?」 「何言ってんのよ、これからドラゴンライダーとして戦うのよ」 「は?」 「馬鹿面を一層歪めてどうしたの?」 「いや、だから、どうして俺様がライダーとして?」 「安心なさい。わたしのドラゴンちゃんは優秀だから、一人くらい乗せていても落とさずに戦えるわ」 「俺様のいる意味は?」 「ハンデよ、ハンデ。ドラゴンちゃんが自由に動けたら、戦いにならないじゃない。どうせなら、互角に戦ってほしいもの」 「なるほど。で、お前がそれをしない理由は?」 「えー、だってぇ、おとめには危ないじゃない」 「ちょ、おまえ」  男がドラゴンの頭上で絶句するのも無理はない。おとめはおとめでも、乙女ではなく、漢女(おとめ)。確かに性別は女性らしいが、肉付きやひげ面、服装はどう表現しても漢女のそれでだった。  閑話休題。  これまでの流れを全て(すみ)退()けて、亜里は軽く握られている自らの左手をコドモドラゴンの鼻先に差し出した。 「初めましてだ、ドラゴンちゃん。俺の導いてきた(あり)に勝てるかな?」  大した風も吹いていないにも関わらず、謎の自信を受けて亜里の黒髪がふわりと揺れる。  開いた左手には確かに、一匹の(あり)がいた。黒大蟻(クロオオアリ)だ。 「アリって、軍属蟻(アーミー・アント)の幼生……」  それは、酒場での一幕を見ていた冒険者の一人の呟きであった。  何事かと広場を遠巻きにしていた人々は一斉に建物に駆け込んだ。 「アント・レプレナー……、何てモンスターを町に入れてるんだ」 「何だ、いったい。蟻なんて、ずっと酒場で見てきただろ? それに、周りにいたやつらも軍属蟻(アーミー・アント)について笑って語ってたじゃねえか?」  黒大蟻に見せた周囲の反応に戸惑う亜里に、ドラゴンライダーの男が引き攣り気味に応じる。 「馬鹿言え。お前の手を歩いていたのは、どこにでもいるような(アント)だったじゃねえか。あいつらのだって冗談であって、本気じゃねえよ。だが、今この場のそいつは違え。お前の髪もそうだが、まるで闇そのものかのような……」  亜里の手のひらで黒大蟻が動くと、ヒィッと男はドラゴンを盾に身を反らせた。  男の言葉を漢女(おとめ)が引き継ぐ。 「貴方の髪はまだいいのよ。わたしの髪一本一本、全て同じ色ってわけではないから、貴方の髪もそうなのでしょう? 全体量に比べたら、黒い髪が多いって話なんだから。でもね、軍属蟻に見られる黒さは別物よ。アレは生理的嫌悪感に加えて、本能的にも嫌悪せずにはいられないの。どうして貴方が大丈夫なのか、正直、正気を疑うわ。悪いことは言わない。今、すぐに握り潰しなさい」  黒大蟻の一挙手一投足に注視する亜里以外の者たちに、亜里は疑問を投げ掛ける。 「きっと、こいつと軍属蟻ってやつは似たフォルムをしているんだろうけど、誰か、こいつが軍属蟻に成長したのを見た人間はいるのか?」 「ハッ、いるわけねえだろ。見つけたら、殺すもんだ。よそ見でもして逃がしたら、見つけるまで探索するんだぞ。興味本位で研究するようなモンスターじゃねえんだ」  まるで一匹いたら百匹いると繁殖力の高さで悪名高い油虫への対処法のようだ。 「でも、常識的に考えて、人間は巨人にはならないだろ? このドラゴンちゃんだって、ドラゴンになるとは」 「聞き捨てならないわ。わたしのドラゴンちゃんは、それはそれは立派なドラゴンになるんだから」  残念ながら、亜里の常識とここの住人の常識とは乖離がある。実際に、見たものがいない以上――。 「確かに、人間は巨人にならねえ。だが、それは黒くねえからだ。真っ黒な人間なんてやろうがいれば、巨人になるに違いない。ハッ、まさか、お前の正体は巨人から生まれた落とし子だった?」 「おいおい、巨人はみんな真っ黒なのか」 「そうじゃない。成体になると、色が抜けていくんだ。軍属蟻の幼生を恐れるのは、軍属蟻になっても黒いまま。つまり、その先があるってことだ。皇帝蟻(エンペラー・アント)なんて伝説級のモンスターが生まれた日にゃあ、今の生活がどうなってしまうことか」 「……そうかい」  恐怖心が想像力を掻き立て、いっそうダメな方に傾けてしまい、強固に情報密度の詰まった想像は、一般常識の域にまで達していた。  亜里は頭をガシガシ掻いた後に一息吐くと、そうともなればと口を開いた。 「人間には嫌悪の対象でも、ドラゴンもそうなのかい? そんなに恐ろしいなら、ドラゴンちゃんの力を借りて、こいつも殺せばいいだろう。何なら、俺たちとこの町にいる全員とでもいいだろう。町が滅んでも恨まないことは最低条件だが」  酒場で手に蟻を歩かせても払い()けられないでいた優男だった面影はどこへやら、それはそれは、邪悪に笑いかけた。 「……アント・レプレナーも?」 「いんや」  ドラゴンライダーの男の言葉を軽く否定して、亜里は自らの身体を。ポロリ、ポロリと、首から下、服の裾から黒い蟻が地面にこぼれる。 「俺と、お前らの言うところの軍属蟻の女王蟻(クイーン・アント)の幼生コロニーが相手だよ」  魔法が当たり前の世界で、亜里はずっと偽装の効果を身にまとっていた。そうしなければ、町に入れない程の蟻を、体中に生息させていた。  自らの身体で営みを築いていることから、巣ではなく、植民地を意味するコロニーで表現したのは、もはやこだわりだ。  良く見れば、黒大蟻でない種類もいる。いわゆる共生コロニーだが、いきなり軍属蟻の幼生コロニーとやらを目の当たりにした町は阿鼻叫喚の地獄のような在り様になった。  さすがの異状にドラゴンも暴れ出し、それにしがみつきながら、男は怒鳴る。 「何なんだよ、お前は?」 「何って、アントレプレナー、ただの起業家さ。俺が偽装する能力を使えるようになったのと同じ様に、こいつらも特殊な力を手に入れたみたいでな。目指していく方向性こそ、女王蟻(じょおうあり)と意思疎通が図れたものの、身体中をあの強靭な大顎に咬まれて、即降参。移動コロニーとして生かしてもらっているのさ」 「何言ってんのか、まるで分からん。何だよ、初めから正気どころか狂ってるじゃねえか」 「自由気ままに行動できないこと以外は、割と理性的だと思うが? 食事だって、一列に並んで運んでいただろう? そうだ、試しに手を打ち鳴らしてくれよ」 「この状況で、どうしろってんだ」 「助けてやるよ。今にも振り下ろされそうじゃん」  狂っていると断じた亜里の言葉を、男は救助の言葉に一縷の望みを掛け、思わず手を鳴らしていた。 「さあさあ。ギ酸はこちら、手の鳴る方へ」  ドラゴンの頭にしがみ付く男に向かって、ドラゴンの顔面に軍属蟻の幼生のギ酸が一斉に発射される。一般的な黒大蟻のギ酸にそんな機能はないが、そこは特殊な力によって大幅に強化されたことで、ギ酸周りの事情は改善。  浴びせられた方はたまったものではなかった。鼻先や目に付着したギ酸によって、さらに暴れるよりも前に、コドモドラゴンはショックで動かなくなってしまった。 「降りるなら今のうちだぞ」 「あ、ああ……」  亜里の言葉のままに、男はドラゴンから降りる。その様子は何が起こったか解っていない、呆けた様だった。 「……あ、あ、アリト、だったか。その軍属蟻はいったい何なんだ?」  ようやく、亜里を認めたかと思えば、いったい何だ、とどれだけ訊けば気が済むのか。 「軍属蟻に毒があるって話は知っている。中身をさらけ出して焼けば、毒が無くなるってことも知っている。だが、そもそも、その毒にドラゴンを苦しめる程の毒性はない」 「そうだな。この毒はギ酸といってな。腐食性と浸透性をもっていて外敵の皮ふを損傷し、毒液を体内に浸透させるものだ。人間の皮ふや目に対して有害なんだが、とりわけ目には回復不能な障害を、吸い込んでしまった場合には肺に障害を与えることだってある。これが俺の知るギ酸の危険性だな」 「大体同じじゃねえか」 「それが強化されていることも知らずに、俺は結果としてより強力なものにしてしまった。蠱術(こじゅつ)を用いて」 「こじゅつ? (いにしえ)の術か?」 「誰も知らないから、もしかしたら、そうかもしれないが、毒虫を一か所に集めて一匹になるまで戦わせることで、毒虫の毒性を上げる(すべ)のことさ」 「あんたたち……何話し込んでんのよ、わたしのドラゴンちゃんは大丈夫なの?」 「さすがに、ドラゴンの体組織に障害を与えられるレベルの毒じゃない。大方、ビックリしたんだろうよ。ちなみに、人間にかかったら、失明は確実だ。町に来る途中、俺を襲った奴らがその被験者になってくれたよ」  亜里は毒性の強さを語る。 「で、どうする? 頼みの綱とも言うべきドラゴンちゃんはこの通り、固まっているが。俺を、軍属蟻の幼生とやらのコロニーを見逃すかい?」 「ふざけんな。そんなこと、できるわけが……」 「そうね。貴方は、アリトは危険だわ。アリトとどの程度の接触が許されないのか分からないと、被害者の数は計り知れないわね」 「なら、どうする? 偽装に気が付かなければ、あるいは俺への害意がなければ、こちらからは何もしないが」  そうかもしれないが、と男は悩む。 「そう言えば、軍属蟻から毒が飛ぶ前に、アリトが何か言っていたのは、あれは?」 「リードといって、つまりは命令だよ。導き手として、俺が蟻に仕込んだのさ。ただ、手を打ち鳴らしても、毒は飛ばない。俺の命令言葉(リーディング・ワード)でなければ、毒は飛ばない。やってみるといい。そこを知っていれば、問題ないだろう」 「ぎさんわこちら、てのなるほうえ」 「飛ばないだろう?」  漢女が試してみた。ぎこちない言い方も相まって、蟻は全く反応を見せなかった。 「ギ酸はこちら、手の鳴る方へ」  男が拍手も合わせて試してみた。さすがは救われただけのことはある。確かな言い回しであったが、やはり蟻は反応しなかった。 「酒場で俺を馬鹿にしても、毒は飛んでいないだろう? 俺に突っかかってきても同じく」 「そうだな。確かに、毒は飛んでねえ。……でもな、俺様たちは、軍属蟻の幼生は見つけ次第殺すのが義務ってもんだ。共生しているアリトには悪いが、生かしちゃおけねえ」  男は建物から覗いている町の人々に宣誓するかのように、鞘から剣を抜き、高々と天に突き上げた。 「二級冒険者(セカンダリー)、ドン・コングはアリト・アリを敵対者として討つ」  その剣をそのまま、亜里に差し向け、言葉を続ける。 「賛同する冒険者、いや町の人々は共に戦ってほしい。モンスターの王――魔王をこの町に誕生させたなんて、そんなことを他のやつらに知られちゃならねえ」  そもそもが男、ドンの言葉から始まった真実を知る者は多い。それを何としても払拭(ふっしょく)させようと、声を大にして、一人が罰せられるような問題ではないと訴えた。二級とは、冒険者の階級を示しており、五段階中、上から数えて二番目の階級だ。つまり、デキる冒険者である。 「二級冒険者、チカ・チーロは賛同するわ」  漢女、チカもドン寄りだ。ドラゴンの幼生を人間にぶつけることを容認したから、今の惨状が発生したのだから、言い逃れは難しい。チカからすれば、ドラゴンの食料にされる可能性が高いにも関わらず、勝利できると踏む亜里など理解の埒外(らちがい)であった。 「アリト。このまま戦うと関係のない町の人々が負傷する。ここは森で」  チカのほか、賛同する人々がちらほらと現れる中、ドンは亜里に対峙場所を改めることを提案する。 「……魔王、か」 「不本意かもしれないが、女王蟻(クイーン・アント)を含む軍属蟻の大群を相手取るなら、同じようなもんだ。魔王を誕生させないように、冒険者は日夜活動してんだ」  どこへ行っても、そうであることを亜里は知っていた。 「王都から村に満たないような集落まで、冒険者はいるな」 「それも、小さな幼生の存在から見逃さないようにするためだ」  まるで皆兵制度のようだ。 「ある一定の年齢になると、実は冒険者登録するとかじゃないよな?」 「やっている場所もあるだろうが、推奨はされてねえ。冒険者の仕事はモンスター退治だけじゃないから、便利屋、何でも屋の仕事もあるからな、仕事をこだわらないなら、冒険者一択かもしれないな。で、森には移動してくれるな?」  ああ、とドンの有無を言わさない口調に応じる亜里だが、不思議そうにドンに返す。 「ところで。なあ、あのドラゴンちゃん。使い物になるかな?」 「何よ、貴方。まだ、わたしのドラゴンちゃんを馬鹿にするの?」  コドモドラゴンのことには耳ざといチカが、ドラゴンちゃんへ向き直すや、直後に放心した。  そこにはショックから回復したチカ(いと)しのコドモドラゴンがいたはずなのだが、明らかな異状に陥っていた。何かの痛みに身を縮こませ、鋭かった爪や皮の一部が腐食し始めていた。 「さあさあ。お立会いの皆様。世にも珍しいコドモドラゴンの悶絶ショーだ」  亜里は両手をドラゴンちゃんの方に広げて、歓喜を上げた。  対するドンは、苦虫を噛み潰した様に、顔を歪ませた。 「アリト。……テメエ、やりやがったな」 「さてな。俺自身はコロニーそのものであって、別に蟻の一匹一匹を動かしているわけじゃない。女王蟻(ボス)次第だ。まあ、敵意には敏感だろうな」  亜里の足元を何列も蟻が町を侵攻していた。ドラゴンちゃんはもとより、チカやドンにも蟻は取り付いていた。 「死にたくなければ――」  亜里の言葉はよくよく静寂を呼び込み、一帯がシンッとなる。 「さあさあ。敵意を示すものを手で打ち鳴らせ」  ぱんっ。  最初の音は、小さな子供のものだった。広場から程近い場所にある一つの建物から駆けてきた。女性が出入り口の扉からその様子をはらはらと窺っていた。  対象は、チカ。ドラゴンちゃんに取り付いていた(あり)たちがどんな知覚かを働かせてギ酸を飛ばした。 「い、いやっ。どうしてっ。わ、わたしはまだ――あああ痛い痛い痛い痛い痛い」  腕に、足に、背に、首に痛みを覚えたチカは体を(ひね)り、チカ自身に取り付いた蟻は目に、口に、ギ酸を的確に飛ばし、チカを悶絶させた。  男のように鍛え上げられた筋肉を備えた肉体美をもつ漢女(おとめ)の悶絶は、コドモドラゴンのそれよりもずっと目を引いた。悶絶だけで終わるものではないが、少しすると、そこらから、手の鳴る音が響き出した。 「ははは、これは大変だ。そばに敵意を示す対象がいなければ、もしくはチカのような犠牲者を出したくなければ、近くの者と潰し合えばいい。出来るかどうかは、俺の知るところではないが」  チカはもはや動かなかった。ドラゴンちゃん同様にショックで気絶したのかも不明。亜里は興味を失っていた。これで何回目だったか、亜里はそらで数えていた。 「あのぅ、このお腹でうちの子にこそ任せてしまいましたが、チカさんに手を打ち合わせました」  お腹を大きくした女性が子供と共に、亜里に話しかけた。 「ああ、最初の」 「はい。それで、うちは助かるのでしょうか?」  なるほど。この親子は、身体に付いた蟻を取ってほしいのだろう。 「安心していい。この(あり)は、間違いなく黒大蟻(クロオオアリ)で、皆さんが恐れているモンスターの軍属蟻(アーミー・アント)の幼生ではありません。ただの(アント)ですよ」  求めたことはそうではないが、確かに安心できる情報である。 「え、でも、チカさんに。特に何もしなくても良かったのでは?」  そして、当然の疑問が女性から漏れる。 「いえいえ。そうは言っても、軍属蟻の幼生だとしつこいので、むやみやたらと人間を襲うモンスターではないと示す必要があったんですよ。毎晩の寝返りくらいで敵意と判定するような、そこいらの虫けらとは少しばかり出来は違いますがね」 「取り(のぞ)いてもらえたりは……?」 「俺に戻ってきてもらっても良いですけど、それで良いんですか?」 「ぜひ、ぜひお願いします」  いつの間にか女性の指先に移動していた蟻が、亜里の手をどんな知覚か認識して、握手する亜里に移動した。  蟻のいなくなったことを喜ぶ女性と(あい)対したまま、亜里はぼやく。 「そっかぁ。便利なんですけどね、皆さんには。誰の目から見ても打つべき相手でも、俺のような独り者でもない限り、恨む者はいるでしょう? 蟻はそういった相手への対処に役に立つのになぁ。」  全員が冒険者登録をしていない以上、この女性は暴力に訴えられて、無事でいられるのか。女性の選択したことだからと仕方がない。仕方がないと割り切ろうとしながらも、立ち去る前に亜里は言葉を残した。 「貴女に同じ件で詰め寄る者がいたら、手を打って言いなさい。『さあさあ。蟻さん、コチラ。手の鳴るほうへ』と。そして、もう一度手を打ち鳴らすのです。そうすれば、一石二鳥。貴女のもとにやってきた蟻が敵対者を追っ払ってくれることでしょう。では」  この後、町で斗有亜里(とある・あり)を見かけた者はいない。  パンッと手が鳴る度に犯罪者の減る町で、その功績を立てると共に残した亜里は、町の重役から召喚される前にいなくなっていた。召喚者が不在であることは頻度として割とあると、そのまま拍手を送られた。  パンッ、パンッと手を鳴らす音が響き続ける町――その住人は、その偉業をなした亜里をクラッパーと呼んでもてはやすも、身近な頼もしい存在と捉えていた。  そのため、広場にコドモドラゴンと男女の骨を残して消えた亜里と結び付けて語る者は、それを知る者を含めて誰一人としていなかった。  クラッパーはクラッパー。むしろ、クラッパーこそ名前であるのだと、亜里を知る者は率先して、立ち話や店先、酒場でその情報を流す始末であった。
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