その罪の名前は

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 しかし遺書とノート探しは難航した。積まれている書物が思いの外多かったからだ。本は革表紙のものが多くて重く、どれも貴重なものに見えた。 「ヒューゲル、ノートは見つかったか?」 「まだです。……というか酷い扱いですね。警部、見てくださいよ。この本のページなんてぐしゃぐしゃですよ……」とヒューゲルがそのページを見せた。  ヘルツ警部は振り向いた。「……もしかしたらこの書物を出し入れしたのはオットー様では無いかもしれない。それにこの本を見ろ」とヘルツ警部はオットーの血がべっとりとついた本を持ち上げた。「本が好きな人間が血で汚すと思うか? 自殺するなら本が汚れないように配慮するだろう……遺書もノートも見つからないということは最初から遺書など無く、ノートはオットー様殺しの犯人が持ち去ったのかもしれない。来訪者は無かったと言ったが、秘密裏にオットー様が案内した可能性もある」 「ではこの山積みにされた本は犯人がわざとそのようにしたと?」 「綺麗な部屋が荒らされていたらまず泥棒が入ったと思うだろう? しかしこの部屋は勤勉な学者の部屋のようだ。これなら身辺整理しても何がなくなったか分かるまでに時間がかかる。……良し。念の為に見張りの警官を配置し、探して貰うとして、我々は一旦辞去しよう」  シュレーゲルミルヒ侯爵邸はとても美しかった。まだ二月なのに花壇には緑色の草が生え、春になったら爛漫と咲き、更に美しいだろう。ヘルツ警部はコーヒーを飲みながらデメルの砂糖漬けを戴いた。シュレーゲルミルヒ侯爵夫人はオットーの死に心を痛めていたが、それ以上に他のことに心を痛めていた。 「オットー様がノートを?」 「はい。無かったでしょうか。このくらいの大きさの詞華集ですわ。革で製本して……」と夫人が両手を広げる。ヘルツ警部はオットーの部屋に置かれた本の数々を思い出した。あの中に混ざっても一見だけでは分からないだろう。 「今のところ、見つかっていませんが……」 「まぁ、そんな……なんてことでしょう……あの詞華集は皆さんで編み上げた大切な芸術作品なんですの。ヘルツ警部、なんとか取り返してくださらない?」  ヘルツ警部の背中がぴん、と伸びた。「勿論です、侯爵夫人。その前にその詞華集、とおっしゃいましたか。それがどういったものか教えて頂いても宜しいでしょうか。わたしは芸術や文化には疎いですが、きっと素晴らしいものなんでしょう……」  ヘルツ警部が警察官で身に付けた戦略抜きで褒め称えると侯爵夫人は「ありがとう」と優雅に一瞬だけ微笑み、また悲しみの淵に沈み込んだ。
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