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「花言葉?」
「そうだ。……元はオスマン帝国の文化だったらしいが、フランスに伝わって詞華集として纏めては恋人たちが秘密のメッセージを伝えたり、駆け引きをしたり、暗に称賛したり、非難したりするのに利用したそうだ」
ヘルツ警部は本をめくった。シャルロット・ドゥ・ラトゥールの『花言葉』は花の絵を載せ、その性質、育つ環境、果実の味等から連想させる言葉を、又は侯爵夫人の言うように歴史や先人の謂れ、伝説を一言で形容し、リスト化してある。辞典というより図鑑のようだ。
「しかしそんな本、オットー様の部屋にはありませんでしたよ。あれば覚えています」とヒューゲルが背表紙を覗き込んだ。「犯人が持ち去ったんでしょうか? その詞華集をその本に照らし合わせて読まれるのが嫌で?」
「恐らくそうだろう。余程我々に読まれたく無かったんだろう」
ヒューゲルが唸り声をあげた。「しかしそれならそのサロンでも一緒なのでは……?」
今度はヘルツ警部が唸る番だ。ヒューゲルの言う通りだ。人を殺害するだけでも危険なのにその現場から物を持ち去るのはより多くの危険を背負うことになる。その品物の正体に検討がつくだけでも容疑者が絞り込めてしまうからだ。現に今、ヘルツ警部はオットー・ヴェルレンデンの部屋から詞華集と『花言葉』が持ち去られたのでは無いかという仮定から、シュレーゲルミルヒ侯爵夫人のサロンの出席者、及び花と詩の詞華集の執筆者を容疑者として絞り込んだ。
……何故そこまでの危険を顧みずに二冊も持ち去った? ……どうしてもその中を見られたくなかったからか? いやヒューゲルが言うように参加者は全員目にしているのだ。彼らには良くて、ヘルツ警部らには不可である理由は何だ?
「クマツヅラ、チューリップ、薔薇、ラベンダー、イヌサフラン、勿忘草……皆、ウィーンの森や市立公園でよく見られますよね。わたしは独り者なので花は育てませんが、実家では祖母や大叔母が育てていましたよ。綺麗だったな〜……」
ヘルツ警部はヒューゲルの顔に浮かび上がった若い青年特有の快活さと郷愁を認めて微笑んだ。「そうか、確かリンツの出身だったな」
「はい。美しいところです」とヒューゲルが歯を見せて笑った。故郷を愛する人間の顔だった。
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