暗い夜明け

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 泣き続ける娘を背負って、逃げるように家を出た。空は暗く、冬の空気はキインと音が聞こえそうなくらいに冷えている。住宅街の中でも娘の泣き声は響く。こんなに小さく軽いのに声は高く響き、背負う背中はどんどん熱くなっていく。眠っている住人を起こしてしまって怒鳴られるのを恐れて、マンションから遠く離れた広い公園に辿り着いた。  狭い寝室でなかなか泣きやまない娘にいらだった夫が寝返りを打ち、うめく声に私はびくびくと怯える。抱き上げてあやし、ゆらゆらと揺らしながら居間に居場所を移しても聞こえてしまうのはわかっていた。夜泣きが始まったのはここ数日のことなのに、もう一ヶ月は続いているかのような気がする。へとへとだ。  こんなことは予想していなかった。私は寝不足で重い自分の体を引き摺るように動かし、パジャマのまま娘を背負った。おんぶ紐をつけ娘の上から育児用のコートを羽織り、真夜中の公園に逃げ出すしかなかった。    パジャマの生地ではこの季節には寒いはずだが、背中で泣く娘は熱を発し足早に歩くせいで少し汗ばんでいた。人気のない公園に着いて、私はようやく足を止められる。はあはあと吐く息は白く、暗い空気の中に消えていった。私は、しばらくそのままサンダルを履いた自分の足と霜の張った地面を眺めていた。ただ茫然と立ちすくみ、あまりに疲れていたために何も考えてはいなかったはずなのに、涙があふれてきてボロボロと流れ落ちていった。  一旦涙が出始めると、あとは自分を憐れむかのように胸がどんどんと苦しくなっていく。 『夜泣きをする赤ん坊に、夫は眠れない私を助けようと赤ん坊を抱き上げ、あやす。普段の彼からは想像できない赤ちゃん言葉に私も癒され、二人で笑う。笑う両親に子供もつられて泣きやむ。穏やかに再び床につき、夫と顔を見合わせて微笑む』  そんな夢を見ていたのだ。けれども実際はどうだ。今の自分に、微笑む余裕などどこにあるだろう。  夫はハードワークで、朝も早くから仕事に出る。そうして、私と娘のために稼いでいる。気遣う私はやさしい夫想いの良い奥さんだ。そのはずだ。  私には親も兄弟も居らず、この結婚でようやく家族を作ることができると思った。結婚相手となるであろう恋人は、堅実で真面目な性格、確かな収入、気遣いもそこそこできる。親に愛されて育っていて、歪みが見えない。私は慎重に選んだつもりだった。愛する前提に、それが必要だったのだ。死んでしまった父親のような夢見がちな性分ではない。  私が夢を見ていたのだ。そして、彼と話し合おうともせずに、娘を背負ってこんな時間に公園に居る。  娘はいつの間にか泣きやんで、すやすやと寝息を立てていた。背負っている背中はまだあたたかいが直に汗が冷えていくだろう。空は紅く染まっていた。美しいはずの色は私に希望をもたらさない。言い出すことができない自分に苛立ちながら、それでも私は何も言えないのだろう。  このまま外で過ごしたかったが、おむつの替えも財布も小銭すら持っていなかったことに気がついて、私は家に戻るしかなかった。  了
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