別れの引き金

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別れの引き金

 振られた。結婚をしようという話の最中に。理由は明確だ。俺が、借金の話を打ち明けたから。それでも、俺たちの4年間はこんなに簡単に崩れ去ってしまうレベルのものだったのか。  俺は悔しかった。    彼女と最初に出会ったのは、大学時代のアルバイト先だった。俺が入ったときには、彼女は既にそこで働いていた。バイト先では先輩後輩という仲であったが、お互い2年生ということもあり、すぐに意気投合した。  就活を控えて、お互いの夢について語り合った。彼女はおもちゃメーカー、俺は自動車メーカーを目指していた。 「私ね、小さい頃から家に親が不在がちで寂しかったんだ。だからさ、家にいる時私の相手をしてくれるのは、おもちゃだけだったの。寂しい子でしょ」 ふふっと彼女は笑う。暗い話題も、明るい表情で語ってしまう彼女に一瞬で引き込まれた。 「俺と付き合ってくれないか?」 気がついたら口が先に動いていた。あ、いやその……。俺が言い訳を考えているなか、彼女はいいよ、と呆気なく返事してくれた。あの頃は、随分と素っ気なかったな、なんて思い出して涙がこぼれる。  結局、彼女も俺も夢を叶えることができないままだった。そういえば、言ってなかったな。今更になって気づく。 「あなたは、どうして自動車メーカーなの?」 彼女の素朴な質問を俺ははぐらかしてしまった。 「何を言っても受け止めるのにな」 彼女は少し寂しそうな笑顔をみせた。  その優しさが、笑顔が、いつも眩しかった。俺にはいつまでも愛おしい存在で、だからこそ言い出すことができなかった。 「ねえ。私の勤務地、博多になっちゃった」 彼女はある日の帰り道、こんなことを言った。俺は、しばらく反応することができなかった。 「その、遠距離をするうえで重要なことを調べたんだけどね」 彼女は決意を決めたようにそう言った。 「ゴールを、設定することが必要なんだって」 「ゴール?」 「うん、遠距離がいつまでだっていう」 彼女の顔は強張っていた。俺に拒絶されるのを怖がっていたのだろう。それでも、何とか勇気を振り絞って言ってくれたその姿が、何よりも愛おしかった。 「結婚か。もちろん俺は最初からそのつもりだったよ。言ってくれてありがとう」 彼女をぎゅっと抱きしめた。この時間が、いつまでも止まっていてほしいと心から願った。  それと同時に、俺はいつでも後ろめたい気分だった。 「お金貯めないとね」 彼女の笑顔が、あの時ほど胸を締め付けた時はない。 「仕事、頑張れるよ」 俺も必死で笑顔を繕った。 「なにかあったら私に言うんだよ。私はいつでも味方だからね」 彼女は口癖のようにそう言っていた。  社会人になって、いろいろとお金が必要になった。引越し費用、会社員グッズ。それでも彼女に会いに行くお金は惜しめない。貯金なんて、できるはずなどなかった。むしろ、マイナスが膨らむ一方だった。 「お金、全然たまらないよね」 彼女がそう言ってくれたときには、飛び跳ねたいほど嬉しかった。 「今は無理じゃないか?」 俺は彼女をたしなめるように、言葉を選んだ。 「やっぱそうだよね。ちなみに今って、お金どのくらい貯まってる?」 「貯金額なんて、いえないよ」 まただ。彼女の素朴な疑問をはぐらかした。私なんてほぼゼロだよ、と笑う彼女に俺もそんなもんだ、と真顔で返す。  いつか言おう。いつか、言わないと。その気持ちはずっと持っていた。だけど、遅すぎたんだ。 「もう、結婚早めようか」 彼女からそんな言葉がでたのは、付き合い始めて4年めのことだった。心底、遠距離にあきあきしていた俺にとっては、これほど嬉しいことはなかった。 「ああ、しよう」 だがその瞬間、胸になにかがつっかえた。本当にこのままで良いのか? そんな疑問が幸せな瞬間にも頭から離れなかった。 「ひとつ、言わないといけないことがあるんだ」 俺は彼女をじっと見つめた。彼女は怯えていた。 「俺、借金があるんだ」  その時、俺は初めて彼女に本当の自分を打ち明けた。自動車メーカーに務めていた親父がリストラにあい、酒に溺れて家が困窮していたこと。自分の借金のこと。彼女は明らかに動揺しているようだった。 「どうして。どうして言ってくれなかったの? 私はその程度の存在だったの?」 彼女は俺にそう言ったっけ。そうだ。彼女は、本当のことを言わなかったことに怒っていたんだ。俺はあの時なんて答えた? ついさっきの出来事なのに、記憶が曖昧としている。 「言ったら離れちゃうと思ったんだ」 彼女は本当に、去ってしまった。
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