揺蕩い眠る少女

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揺蕩い眠る少女

 緩やかに波打った髪が、液体の中を泳いでいる。筒状のガラスの水槽に満たされた液は青みがかっていて、本当は何色なのかはわからない。けれど、白だと、直感的に思った。夏空に浮かぶ雲よりも、冬に積もる雪よりも真白な色。膝裏まであるそれは、彼女の体を守るように、青の中を揺蕩っている。  繭のような髪から覗く華奢な体は、何も纏ってはいない。けれど、卑猥さなど欠片も感じられず、むしろ侵しがたい清廉さすら漂っていた。  目を閉じ、眠っているように見える少女へと手を伸ばす。指先が水槽に触れるかといった時、背後から丸い声が響いた。 「ソニア」  名前を呼ばれ振り返る。開け放した扉近くに博士が立っていた。皺だらけの白衣を羽織った彼は、私と水槽の少女とを交互に見て、ふっと息を吐いた。 「ここの掃除はいいって言ったはずだけど?」  腰に手を当て怒った博士は、その実どこか喜んでいるようにも見えて。戸惑いながら、ごめんなさいと頭を下げる。ポケットに手を入れた彼は、少し肩を竦めて歩み寄ってくる。革靴がリノリウムの床を叩く音が響く。 「気になる?」  問いかけに一も二もなく頷く。しきりに首を縦に振る私に、博士は眉を下げた。 「今注文を受けている子だよ」 「……名前は?」  博士は短く、エンプティーと答えた。意味わかる? と尋ねられ、脳に埋め込まれた記憶媒体を探る。 「空っぽ」  瞬時に導き出された答えを口にする。博士は「正解」と笑った後、垂れた瞳を水槽へ向けた。 「珍しいですね」 「なにが?」 「名前です」  付け加えれば、博士は「ああ」と呟いた。白に染まる少女を見つめる瞳は淡く、なぜか翳って見える。 「少し趣向を変えようかと思って」  そう言った声は、窓を叩く秋雨のようだった。静かに落とされたそれに、何も言わないまま水槽へ視線を戻す。青の中では、変わらず清らかな少女が眠っていた。
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