【39】

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「お……おう。ほら、受け取れ」  もう一度手を押しだし、半ば強引にアサヒへわたす。彼女がそれをそっと受けとるしぐさも、手を後ろにまわす時に見えたうなじも、留め金を止めるときに少し伏せている視線も、一挙一動に応じてかすかかに流れる細い髪の毛もウォーブラはじっと見つめていた。 「あの、あまり見つめられると恥ずかしいのですが……」  はっとして、ウォーブラはふたたび下ごしらえを始めた。 「悪ぃ、あんまり奇麗でつい見惚れた」 「は⁉」  今度はアサヒがすっとんきょうな声をあげた。その声に、ウォーブラは自分がなにを言ったかと思いかえしたのがほんの一瞬。口から出ていた言葉を自覚したのが次の瞬間。  そして、煮立っていた鍋が沸きこぼれるのと同時に、たがいの顔は真っ赤に染まっていた。ばっと視線をそらす。おたがいに顔を合わせられずに慌てる中で、アサヒが白々しく鍋の火を止める。アサヒのうわずった声が、早口に響いた。 「ウォーブラ、ふかした芋を潰してくれますか?」 「任せろ」  食いぎみに返事をして、ウォーブラは芋の入ったボウルを受けとる。 (俺は! なにを口走ってんだ!)  ああくそ、と動揺もろともマッシャーで潰していくが、ホクホクの湯気が頬に触れ、よけいに顔が熱くなってしまうようだった。いまばかりはこの美味しそうな芋が憎らしい。  しばらく。  あらかた料理も仕上がり、ウォーブラは料理をとり分ける器を棚から出していた。その頃にはおたがい、ふつうに会話できるまでにおちつきをとりもどしていた。  ウォーブラは皿をならべようとして、アサヒの動線とかち合った。いつもなら、それとなくおたがいの動線を読んで動いているためこういったことはそうそうないのだが、多少の動揺が残っていたらしい。 「わっ、」「悪ぃ」  ウォーブラの胸元にアサヒの肩がぶつかり、不意にこちらを見あげた彼女の鼻先に触れそうなほどの近い距離で、視線が重なる。呼吸が声になって、彼女の名前を呼ぼうとしたその時。 「ただいまーっ! 織国までの依頼見つかったよ!」  玄関が勢いよくひらいて、イオが部屋にとびこんだ。よく通る威勢のいい声が、ウォーブラとアサヒの間を抜けてゆく。ウォーブラは扉が開くその一瞬のうちに、片足を半歩下げ、それを軸にいっきに身体を反転させた。そしてひらいた棚から他の皿をとりだし、いま持っている器に重ねて出しながら、 「アサヒ、この皿で足りるか?」  と背中越しに訊ねた。持っている器を置いてからまた出したほうが、とり落とす心配もないというのに、自分でもどうしてこんな不合理なことをしているのか意味がわからない。 「ええ十分すぎるほどです」  アサヒはまともな返答をしたかに見えたが、そもそもウォーブラの手元などいっさい見ていない。なにが十分だ なにを見てそう判断したんだ、など、動揺しているウォーブラにはツッコミをいれる余裕などもなく。 「……あ、イオさんお帰りなさい。依頼見つかったんですね」  アサヒがいつもの柔和な笑みをはりつけ、イオを出迎えた。 「なんだい? おかしな子たちだね。まぁいいさ。」  イオは首を怪訝な表情をして首をかしげた。が、それ以上とくに気にするようすはない。そのことにウォーブラは心底安堵しながら、できあがった料理を皿にとりわけた。 「どんな依頼ですか?」 「旅芸人の一座の護衛さ。なんでも織国の祭りで公演するんだと」 「それはすてきですね」 「そうだろう? こんな機会そうないからね。あたしも楽しみだよ」  イオとアサヒが談笑する中で、再び玄関の扉が開いた。今度は静かに、ゆったりと。 「すまない。遅くなった」 「お帰り、リヴィ」  イオが声をかけて、リヴィは上着を脱いで室内に入る。アサヒはリヴィから荷物を受けとって、柔らかく笑った。 「では、お昼ごはんにしましょうか」  
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