1 ただの酔っ払い?

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 ピアノをやっていて、それなりに顔の作りも不細工ではなかったから、自慢になる程度には女性にモテていた。  決して、女性に振り向いてもらえないから男に興味を持ったわけじゃない。っていうか別に男には全然興味ない。 「あれぇ? 金沢(かなざわ)先生飲まないんすかぁ?」  トロンと蕩けたような眼差し、フラフラと漂いながら何かを求めるような指先、ほんのりと朱色に染まった頬、どこからどう見てもただの出来上がった酔っ払い……なのに、それが林原先生ってだけでゾクリとするくらいに煽られている気がする。 「飲んでますよ」 「ほんとですかぁ? っていうか何飲んでんすかぁ? 金沢先生ってなんかウイスキーとかワインとか、ブランデーとか似合う感じですよねぇ、アハハ」 「普通の梅干し割りの焼酎です」  それがツボだったのか、ものすごく大笑いされた。大きな口を開けて笑っている、その唇に思いっ切り齧り付いて、ディープキスしたらどうなるんだろうとか、今、脳内でその光景を再生しているとか、この人全然知らないんだろうなぁ、なんて涼しげに笑いながら想像していた。  予想だけど、自分がそんな姿を想像されているなんて知ったら、パニックになって目を回しながら、目尻に涙とか溜めて困ってそう。そしてすごい色っぽい気がする。 「梅干し~!」  酔っ払った林原先生の笑いのツボがどこなのかはさっぱりわからなかったけど、俺の萌えのツボだけはグリグリと的確に押し続けている。  彼とはつい最近、急速に距離が縮まった。思い付いたら吉日っていう面倒臭いタイプの校長が、何でか、いきなり職員室の模様替えをしたいと言い始め、偶然隣り合わせになった俺と林原先生。俺が音楽教師で、向こうは体育教師、水と油くらいにタイプが違うふたりが肩を並べる事となった。音楽や美術、家庭科の教師にしてみると、体育教師ってどこか熱血漢溢れる感じが自分達と違うというか、ぶっちゃけ暑苦しいというか。とにかくあまり接点がなかった。  そのため、あまりジャージ系教師軍と、その他教科ののんびり教師軍っていう括りが自然とあって、真逆の彼とは話をした事なんてほとんどなかった。 “体育教師の林原郁登(はやしばらいくと)です。宜しく”  爽やかな笑顔がジャージの上で輝いていて、若干眩しいくらい。人懐こい笑顔で、少し男勝りな言葉遣い、体育会系のど真ん中を行くようなタイプで、これで外見が毛むくじゃらとか、焦げた? ってくらいに日焼けした焼きおにぎりみたいな顔だったら、この席替えをしたいと言い出した校長を呪うところだった。  サラサラで少し茶色い髪、首なんて細くて、キスマークが鮮やかに残りそうな少し敏感そうな肌質。それとぷっくりとした唇に、隣の席だからこそわかる長い睫。はっきり言って、ゾクッとしてしまった。  自分が男に欲情するなんて思いもしなかったけど、あきらかに俺はその時しっかりと欲情していたんだ。  人懐こく警戒心を持ったことすらなさそうな、明るく屈託のない彼は隣の席にいる俺に普通に懐いてくれた。そして今、教師同士の忘年会でも横でケラケラと楽しそうに笑っている。 「大丈夫ですか? 林原先生」 「だいじょーぶですよーっ!」  こういう酒の席にはあまり出席しない。教師ってお堅い職業だからなのか、何かのきっかけでその固結びされた理性の紐が解けると、本当に大変な騒ぎになるから。  フラフラしている彼を看病しようとした時だった。肩をちょんちょんと突付かれて、振り返ると同じその他教科の、のんびり教師軍のひとり、家庭科の及川先生っていう女性教師が頬を染めてちょこんと座っている。 「林原先生、随分と飲まれましたね」 「……ええ」  こっちを上目使いで見つめる、って事は俺狙いか? ちょっと同じ職場同士で恋愛なんて、俺には到底考えられないけど、彼女はそうじゃないのか、固結びの紐が単純に解けただけなのか、潤んだ瞳を俺に向けてくれる。優しそう、ってよく言われるけれど、その実、けっこう節操なかった学生時代。眼鏡を掛けたインテリで真摯で、ピアノなんて弾いた日には欲求不満になった試しがない、くらいには不自由せずに済んだ。 「林原先生、ほら、零しますよ!」  でも今は欲求不満で爆発しそうだ。  清楚そうでお堅い女教師がどれだけ刺激的な下着を履いて、どんなテクニックで俺を誘ったところで、今、だらしなくヘラヘラ笑って、俺の肩に寄り掛かるこの天然エロ体育教師には勝てない。  肩に頭を乗せて、潤んだ瞳でこっちを見上げて、笑いっぱなしの唇からは何食ったんだ? とわからないけれど、何かが垂れている。 「アハハ、金沢先生だぁ~アハハ、あ、何これ、しょっぱい」  俺を見ながらペロッと舌を出して、だらしのない唇を舐めている。もしかしてわざと誘っているんじゃないか? って思いたくなるくらいに、ゾクリとする仕草。 「林原先生、反対側にも付いてますよ」 「えぇ~、どこどこぉ?」  反対側だっつうの。なんで同じ所を舐めながら、こっちをじっと見つめてるんだよ。あんた、絶対にわざとだろ。  横では及川先生が固結びを解きまくって、俺を誘っているけれど、そんなのちょっと邪魔なくらいだ。同じ職場の人間に手を出すのは、後々問題になっても嫌だから絶対にしない事にしている。でもそんな自分ルールではなく、単純にあんたじゃ、この欲求不満を解消出来ないよ。あんたじゃ興奮しない。 「もうっ! 林原先生、帰りますよ! 飲みすぎです!」 「えぇ、梅割り焼酎がぁ」 「それは俺が飲んでたんでしょっ!」  無理やり立たせようと腕を掴んだら、体育教師のくせに程よく細かった。女みたいに細いわけじゃないし、固くて筋肉質なのが服越しでもわかる。ちゃんと男の腕なのに、別に男に走ったわけじゃない俺がゾクッと興奮する。  襲い掛かりたい……単純にそのひとつの目的だけが俺を動かそうとする。  及川先生の誘うような眼差しを完全に無視して、騒ぎまくる先生方を潜り抜けて、宴会場を後にする。よっぽど騒いでいたんだな。部屋を出て廊下に出ただけで、なんだか耳がおかしくなったみたいに、キーンと耳鳴りがするほど静かになった気がする。  横では腕を掴まれたまま、フラフラとした林原先生が何かモゴモゴと話しているけれど、相当酔っ払っているのは確かだ。自分が手ぶらで、俺がふたり分の荷物を持っている事にも気が付いていない。  先払いの会計でよかった。あんな酔っ払いばかりの中、ふたり分を支払うのは大変そうだ。というか、多分そこまで騒ぐ事を見越しての先払いなんだろうけれど。 「あれぇ? 金沢先生らぁ」  うっとりとした眼差しに、横で飲んでいる間、何度、喉を鳴らしたかわからない。 「大丈夫ですか? 送りますよ」 「フフ……」  本当に送ろうとは思ったさ。別にそのまま送り狼になろうなんて思ってはいなかった。いや……どこか、心の隅ではそんな願望はあったかもしれないけれど、それを本気で実現させてしまおうとは思ってなんかいなかった。 「金沢せんせ……ぃ?」  この瞬間までは――。  トロンと蕩けたような眼差しは濡れていて、まるで欲情しているみたいに見えた。フラフラと漂いながら何かを求めるような指先は、するっと俺の肩を撫でると、そこから電気が駆け抜けるみたいに下半身が重くなった。ほんのりと朱色に染まった頬は、やわらかそうで歯を立てたくなる。どんな感触がするのか、指で確かめて、そのままその指を服の下へと侵入させたくなる。 「あれぇ……宴会、終わっちゃいました?」 「……」 「俺、まだ、飲みたかったのに……」 ゾクゾクして、心臓が止まりそうだ。どこからどう見ても、ただの男なのに、俺はその男相手に今すぐにでも襲い掛かってしまいそうなほど欲情していた。  職場の人間とそういう関係にはならない、なんて自分ルールを簡単に破って、男同士っていう倫理的な問題も無視して、ただこの目の前で蕩けた顔をする男を抱きたくて仕方がなかった。 「じゃあ……飲み直しますか?」  その誘いにコクンと頷いたのを見た瞬間、指先までジンと痺れるくらいに、身体が熱くなった。
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