10 ゴミ箱行きの想い

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 相談をしにここにやって来たはずなのに、いきなり怒りをぶつけられて、郁登は驚いていた。でもこっちにしてみたら、まずこの相談だって、どうなんだって話なんだよ。  普通、自分にアプローチをかけている男に、元カノの相談なんてしないだろ。同性だから、本気で惚れていないとか思っているのなら、余計に腹が立つ。 「あんたはどうしたわけ? 長年、惰性で付き合ってたって事? 浮気してても笑ってられたんなら、そうだよな。好きじゃなかったんだろ? それをどうにかしたいって、彼女なりにもがいたんじゃないのか?」 「だ、だからって、浮気をしていいってわけじゃないだろって!」  いきなり投げ付けられた怒りに、さすがに郁登もムッとしてた。いつだって朗らかで、明るくて、笑顔を絶やさない男の怒った顔に、ゾクリとしてしまう。身勝手な相談をしてってムカついているくせに、そんな郁登に呆れるくらいに惚れていた。 「あんたは? って話をしてるんだ。嫌われたくない、嫌な気分にさせたくない、そんなのどうでもいいだろ!」 「だって!」 「だってじゃない! あんたはどうなんだよ。あんたの気持ちは? 誰が、どうとかこうとか、そんなの関係ない。あんたは何がしたいのか、だろっ!」  ここが防音でよかったって、まさかこっち方面の事で感謝する日が来るなんて思いもしなかった。自分でも驚くくらいに、口調が強くなってしまう。 「そんな事言われたって! 俺は皆に、美里に、笑顔でいて欲しいから!」 「じゃあ、あんたの欲しいものは? 普通は自分の恋人が他の男と浮気したら笑えないだろ! 笑顔でいて欲しいって言ってる、あんたが一番、その笑顔を曇らせてるだろ!」 「!」  皆に良い顔をすれば、それで全てが円満に解決、なんてするわけがない。そしてそうやって、偽善にも似た、皆を笑顔に、って言っている郁登が今、俺を傷付けている。  惚れた相手とその元恋人の話を笑ってきけって、それは残酷だと思わない? 俺が嫌な顔をするかもしれない、そうなって欲しくないから、キスして、抱いた。それこそ嫌々みたいな言い方をされた、こっちの気持ちはどうでもいいわけ? 「俺は?」  つい、言ってしまった。搾り出すような声になったから、聞こえずにいてくれたなら、そのままなかった事にしてしまおうと思ったのに、そんな時に限って、クソ真面目で律儀な性格の郁登は、しっかりと聞き取っている。 「あんたが美里をまだ好きなら、俺は何て言えばいい?」 「!」 「元鞘を勧めるべき? 俺があんたを好きって言ったの忘れた?」 「……」 「そんな俺にその相談をする事自体はどう? 食事の誘いに笑顔でついてくるのは? こうやってふたりっきりになるのは?」  詰め寄って、責める言葉を投げ続ける俺をじっと見ている。 「あんたが今、やってる事のほうがよっぽど人を傷付けて、残酷なんだよ」 「……」 「どうせ、今、俺が押し倒したら、受け入れるんだろ? 俺が嫌な思いをしないようにとか言って」  そしてまたあの晩みたいに、気持ち良さそうに喘ぐんだろうか。この防音の準備室で、学校じゃ禁忌のやらしい音を立てながら、まるで合意みたいに……。 「そんなの、金沢先生だって、その、する前に俺を好きだって言いました? それこそノリっぽかったくせに! 食事に誘っておいて、美里が待ってるのが見えたら、行かないの? って、あんたが車から降ろしたくせに!」 「それは!」 「俺が残酷だとしたら、金沢先生はちゃらんぽらんだろっ! 男同士で好きとか、あんな、あっんな軽く言われて、そんなの信じられるわけがない! 好きも何も言わずにキスされて、あんな慣れた感じで! 戸惑ってたら、こんなふうにいきなり責められて!」  缶をギュッと握っている手が白くなっている。反論をしながら、その力を込めて、缶を握りつぶしたいみたいに。そして睨みつけるような視線を投げて、その目には涙が溜まっていた。 「自分勝手なのはどっちだよっ!」  そう言い放って、そのまま背中を向けて部屋を出て行ってしまった。防音のこの部屋に、大きく響き渡るくらいに乱暴な音を立てて、扉を閉めると、もうその後、郁登の足音はひとつも聞こえなかった。 「……っち」  自分勝手、そう言われて気が付いた。なんだ、これ、本当に下手クソすぎるだろ。もっと上手く立ち回れるはずなのに、全然出来ていない。  そりゃ、最初は身体だけだった。当たり前だろ、ずっと男を恋愛対象になんて見た事がなかったんだから。それがたまたま席が隣になったってだけの、しかも女の恋人がいる、至って普通の体育教師に惚れるなんて思わないだろ。相手がゲイで、そもそも中性的だとかならまだしも。ちゃんと普通に男に見えるんだ。っていうか、男なんだ。そんな相手と普通に、それ以上にのめり込んでセックス出来る時点で、俺のキャパを超えている。  いきなり目覚めた同性との行為ってだけなら、まだよかったのに……好きになるなんて、しかも順番逆だし。  好きになった事に気が付いて、それからアプローチして、キスっていうんじゃない。順番も何もない。やってから好きだって気が付いて、アプローチなんだ。こっちだって戸惑ってんだよ。 「……馬鹿なんじゃないのか?」  俺って。椅子に座って、ズルズルと身体を下げる。まるで不貞腐れた子どもみたいに。 「結局、あんたは誰が好きなんだよ」  そんな事をまだ気にしている馬鹿なんだ。そんなの元カノである美里に決まってるだろ。俺じゃあるまいし、ゲイでもないのに、セックスしたくらいで隣の席の男を普通好きにならないだろ。俺はなったけど。 「はぁ……」  諦める?  それが一番楽だ。今、好きって思っていても、一方通行なら諦めるしかない。ゲイになったわけじゃないんだし、コンパでも何でもして、新しい相手でも見つけてしまえば言いだけの話だ。  パァっと遊んで、可愛くて柔らかい、セックスも上手い女と付き合っていれば、そのうちどうして男で、同じ職場なんて、最悪な条件の相手にあんなに入れ込んでいたんだろうって、呆れられるさ。 「……」  スマホの電話帳の中から、そんな要望を全て満たしてくれそうな場を用意してくれる男友達を探していた。  セフレ、じゃダメなんだ。きっとそれじゃ今の飢えは満たされない。かといって及川先生……はない。申し訳ないけど。  ゾクゾクして、溺れるくらいの相手がいい。じゃないとまた思い出してしまう。郁登の唇や、肌、中の感触も熱も、全部を今、思い出しただけでも身体が反応しそうになるんだ。夢中になって貪りたくなる。欲しくなってしまう。 「あいつ……最悪な男だな……」  オレンジジュースをあんなに美味そうに飲むお子様みたいなくせに、しっかりと筋肉もついて、ちゃんと男の身体をしているくせに、今まで抱いたどんな良い女よりも、ゾクリと俺をおかしくさせる。 「チッ」  防音だから、きっとここで俺が暴れても誰も気が付かないし、見つかって、どうしたんだと退かれることもない。頭の中から出て行こうとしない郁登を、どうにかして追い払いたくて、壁に頭をぶち当ててしまいたい。  まるでここが乾燥しきっていて、水分が一滴もないような気がした。喉が酷く渇いて、甘くて美味い何かが欲しくて仕方がない。 「はぁ……」  頭を振りながら、少しよろけつつ立ち上がると、想像しただけで俺を欲情させようとする郁登を追い払うために、ピアノへと向かった。  こんな時、自分が音楽教師でよかったと思う。担任を持っているわけでもない俺は、職員室ではなく、ここを拠点に仕事をしていても、きっと誰にも咎められない。  席が隣だから、どうしたって顔を合わせてしまう。避けていれば、そのうちに、このおかしくなるような熱さも、だんだんと冷めてくれる。もっと良い女を見つける事に夢中になれれば、そして溺れられたら、男相手にどうかしてたんだって言える。  そんな事を考えながら、さっき一瞬見せた、郁登の涙を思い出さないように防音で全部から遮られたこの部屋の中、一心にピアノを弾き鳴らしていた。
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