小説家になりたくて

2/2
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
実は、彼は1年半少しと付き合っている恋人がおり、来月から同棲生活を始める予定なのだ。 引越し準備のための片付けだ。掃除が趣味なんて程できた人間では無い。 プライベートなことは敢えてここでは触れずに話を進めようと思う。 部屋の掃除をしていると彼の足に小学校の卒業文集が落ちてきた。「痛っ」と方足をぶらぶらと動かし卒業文集を拾う。 ー将来の夢 たまたま開いたページの1番上に文字が楽しげに踊っている。 卒業文集ではよくあるテーマのひとつだ。 彼は高校卒業後、正社員として工場で働いているので、残念ながら夢を叶える事は出来なかった事は容易に想像できる。 ー小説家になる。 彼は一重の目を丸くした。 彼は日本語が下手である。 つい先日も、新入社員に機械の操作方法を10分かけて説明するも、休憩時間に、新入社員が同期に「説明ちょっとわかりにくかったー」と無邪気に話しているのを見てしまい、ショックを受けたばかりである。 「小説家か」 一言彼は呟き、上を向く。口角は少しだけあがっている。 彼は夢見がちな性格である。 それが良い所でもあり悪い所でもある。 音楽を初めた頃も、プロになるぞーなどと軽々しく口にだし、日々練習に励んだ。 今は現実の厳しさを知り挫折するも、完全に諦めた訳では無い。 気がつくと彼の手にはボールペン。 すらすらとペンを走らせ、そこには「テーマ」「起承転結」「登場人物」等と汚い字で書かれてある。 1分ごとに腕を組み、んーっと唸る。 小説はよく読む方ではあるが、書くのはもちろん初めてだ。 それも書く決意をしたのはついさっきである。 そんな簡単に素晴らしいストーリーが浮かび上がる訳が無い。もし浮かびあがるようであれば、日本中書店で溢れかえってしまう。 まあいいか、とまた呟きペンを走らせる。この時点で名作になる可能性は限りなくゼロに近い。 そして1時間程たった頃、彼はスマホを弄り初め、何やら文字を打ち始める。 最近はネットで初心者でも気軽に作品を投稿出来るサービスが充実している。 彼もきっとその手軽さに惹かれ、もう物語を書き始めている。 彼はいきいきとした表情で作業を進め、ようやく1ページが完成。そして今度は検索サイトを開き文字を入力。 「小説の書き方 基本」 順番が逆な気もするが、好きな事には勉強熱心である彼はいくつかのサイトをチェックし、ふむふむと頷いている。 「よしっ今度こそは」 彼の目は真剣だ。 今まで、フットワークの軽さを武器に、サッカー、音楽、音楽イベントを主催等様々な事を経験してきたが未だに納得いく結果を出した事がなかった。 負けず嫌いな性格が故に、必死に練習をするも、不器用ですぐに結果が出ないと辞めてしまう弱い自分に負けてしまい結果がだせず、彼の自己肯定感は下がる一方であった。 そろそろそんな中途半端な人生に区切りをつけたい年頃だろう。 掃除の事などすっかり忘れて、少し暗い部屋の隅っこで夢中にペンを走らせる姿は小説家に見えなくもない。 別に売れていようがなかろうが1つ作品を書けば立派な小説家である。 中途半端な人生を歩む彼が夢を叶え始めた瞬間であった。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!