【短編】クヴァルダは何処だ

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 俺には色々と、足りないところがある。それは自覚している。幼いときにはとくにそれが顕著で、訳のわからない行動が多かった、と聞いている。俺から言わせれば世界のほうが"訳わからん"だったから、おあいこさまなんだけど。鉄虎(テトラ)なんて名前をもらっただけに、見るもの触るもの何でも噛み付いた。そうして、言葉の覚えすら遅かった俺に才能を望んだ両親は、何か1つで良いから芸に秀でさせようと、5歳の時にエレクトーンを寄越した。  最高だった。  椅子に立ったまま、めちゃくちゃに音を叩く。音色を変えて、もう一度。床に潜り込んでベースラインを踏みつける。狂ったように笑いながら、一日中、音を出して、聴いて、浸った。音が、言葉になってくれた。  両親はちょうどその頃産まれたジロにかかりきりになり、引っ越した一軒家の地下に作られた防音室に籠もる俺を、誰も何も咎めなかった。  音楽は、俺の全てになった。  あらゆる楽器を貪欲に学び、楽典も頭に叩き込んだ。ただしセオリーはセオリーであって、創造では無い。表現したいことがまず先にあって、それを具現化出来ないもどかしさを少しでも軽くする手段として、技術がある。それだけに、楽器を上手くなるための努力をしています、という人の顔を見るのが不快だった。好きなことなのに、何で努力をする?そんな程度で辛くなるなら、止めておけば良いのに。  でも同じようにジロが防音室でベースを弾き始めて、ほんの少しだけ考えが変わった。やつはベースしか弾かない。他にも色んな楽器が存在するのに、寝ても醒めてもベース。まだ高校生になったばかりだし即興の才能は無いけど、あの指から弾き出される音色の芯には、コツコツ一つの楽器を弾き続けた人間だけが出せる響きがある。あぁ…、Gスポット?を突くみたいな。俺よりセックス上手いかもな。  そういえば、セックスって良いよね。タバコもクスリもやらないけど、酒とセックスは好きだ。気持ちの良いセックスには想像力が要る。それって、すごくロマンチックなことだ。  とまぁ、そんなわけで、音楽が全てだった俺の世界に不器用なジロが加わった。  俺は、ジロが大好きだ。俺の庭の中で効率悪くコツコツ努力しながら、ずっとベースを弾いていて欲しい。俺から与えられるものなら何でもやる。音楽の知識も、楽器も、機材も、楽曲制作の機会も全部。それをつたない手順で会得しようとする姿に、ゾクゾクする。  "tetra"名義のトラックは、高く売れる。音楽を金に変えることに特に抵抗は無い。高く買ってくれるってんならそりゃありがたく。ただ、どんなに大枚はたかれても、糞みたいな才能のやつとは音楽は作らない。それだけ。俺は歌詞は書けないし、楽器もレコーディングには専門のメンバーを募ることが多い。音楽が1人で完成するものでは無いことくらい知っている。ジロのベースはまだまだプロのレベルには無いけれど、すごくセクシーだから、一緒に曲を作るのは楽しい。  今日の俺はすごく、ジロの音が欲しい。  女が勝手に離れて行ったことも水をかけられたことも大して腹は立たなかったが、俺が何か足りないということを突き付けられた寂しさはある。  頭の中にほぼ出来上がった曲を、トラックに書き出したい。そしてそこにジロのベースを足したら、足りない何かは埋まるだろうか。不思議と喉が乾く。駅から家に帰る足は、自然と速くなった。
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