【短編】クヴァルダは何処だ

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 何百回、下手したら千を超えるくらい、ライブハウスには出入りしている。タバコの煙も、楽屋でたまに感じる甘い葉っぱの匂いも、壁に貼られては剥がされるステッカーの汚れも、もはや郷愁の域だ。どんなライブハウスだって、足を踏み入れればそこは俺の棲家になる。  パソコン、キーボード、サウンドエフェクト用のパッド。セッティングされた機材を前にして、照明が暗くなるのをゆっくりと待つ。  SEがフェードアウトして、観客とステージを隔てていたスクリーンが上がる。メンバー全員の耳に、同期させたクリック音が流れる。  さ、演ろうか。  ライブハウスでステージに立つのは、この頃はボーカル無しのバンドだけだ。ドラムは生ドラムとエレキドラムのツインドラムで、ベースとギターが真ん中で向かい合う。全員、エレキドラムのやつが耳で集めたメンバー。俺はこのメンバーを信頼しているから曲をくれてやっているし、こうしてステージに立つこともある。  観客に"観られる"ことに興味は無いが、"観られて興奮している"他のメンバーの演奏が、一段と激しくなるのは好きだ。  虎の子を一斉に放つ。  俺の世界で育てた、美しい音色たち。  それが自在に空間を裂いて行く。  生の楽器の音が、それを追いかけ、捕まえ、絡んで繋がり合う。ビリビリと身体に感じる振動は、直接的に快楽を刺激する。  演奏をしているときは、ほとんど目を閉じている。  目で見るよりもはっきりと、音の世界が色を見せてくれる。  ジャクソンポロックの絵は好きでは無いが、彼が如何にして絵を描いたのかはわかる。想像して、緻密に積み上げて、繊細に飾って、それでも、投げつけて踏みつけて、壊す。  だから、楽しい。楽しいんだ!  そうしていつも、演奏中の記憶は、無い。  それなのに今日だけは何故か、  ………記憶の中に桃の香りが残った。
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