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「ねぇ、聞いてる?」
聞こえてる。でも聞いてるかと言われると自信がない。少なくとも、聴いてはいない。強いて言えば、この喫茶店でかかっている音楽の、やたら陽気なフィドルを聴いている。何でこの和風レトロな内装でカントリーミュージックなんだ?
「……ねぇテトラ………ねぇってば。」
視界の端にいる派手な服装の女は、俺を睨んでいる気がする。多分俺が何かやらかしたんだろうけど、わからない。わからないから謝れない。さっきから窓に写る自分の服を見ている。多分、緑と辛子色の花柄シャツなはず。色弱だから、気に入った服は他の人から見ると派手だと言われる。身長は高い方でそこそこ体格も良いほうであるせいか、派手な女ばかり(時々男も)寄ってくる。別にそれを煩わしいと思ったことは無く、いつもありがたく頂いている。とりあえず視線を女に戻し、笑顔を作ってストローからメロンソーダを啜る。
「ねぇ、今日、付き合った記念日なんだけど。」
…と、いうことらしい。うーん、月日が経つのは早いんだな。その間に君が髪の色を変えたり、他の男と遊んだり、それでも俺のとこに遊びに来たりしたのを、ぼんやり思い出す。悪くない思い出だ。……そうだ。ここは、ちゃんと返事をすべきところだ。ジロ…弟ならきっと、そう言う。
「……わかってるよ。3年記念、だろ?」
バシャっ
………冷たい。
「……最……っ低!!!」
目の前の女が立ち上がり、荒っぽく音をたてながら帰り支度を整える。ジャラジャラ、鞄に付いたチェーンや首にかかるペンダントの重そうな音。まるでシンディ・ローパーだ。目の前を滴る水滴の間から見えた顔は、怒りですごい形相になっていた。
「……たった、1年よっ!……どの女と計算間違えてんのよ!!!頭おかしいんじゃないの!!?なんとかあなたに合わせて来たけど、もう限界。……どっかで野垂れ死ね!」
カンッ、キュィッ、カンッ、キュィッ、とピンヒールが床を刺していく音。頭の奥を叩くみたいな、醜くて不快な音。俺は思わず、首にかけていたヘッドホンで耳を塞ぐようにした。濡れる髪もそのままに、Bjorkの『クヴァルダ』を探し出して、流す。
Clatter, crash, clack!
Racket, bang, thump!
Rattle, clang, crack, thud, whack, bam!
Bjork演じる盲目の女性セルマが、働いている工場の音を聴きながら歌い出すシーン。あらゆる希望が消えかけているのに、彼女は想像上の女優"クヴァルダ"を心の支えにする。あのどうしようもない暗さが、好きだ。
Clatter, crash, clack!
Racket, bang, thump!
Rattle, clang, crack, thud, whack, bam!
It's music.
…良いね、俺もそう思う。これは音楽だ。
遠ざかるヒール、飛び交う会話、レジの小銭が落ちる、白い食器が当たる。机に落ちた水滴。間を縫って滑り踊る、フィドル。
途端に胸が跳ねて、笑い出しそうになった。
これは音楽だ。
すぐにパソコンでトラックに書き出したいが、今は生憎ほぼ手ぶら。頭の中でごうごうと旋律を描いていく。
騒がしくて愉快な狂宴、官能的なベースラインと爽やかなアコースティックギターのストローク音に、水を浴びせるような効果音を響かせる。
カンッ、キュィッ、カンッ、キュィッ
ああそう、左脚の踵、多分ヒールのゴムが擦れて金属出ちゃってるよって、言いそびれた。まぁ他にも言いたかったことを、言う気も起きなかったけど。
……俺に多くを求めないで、って。
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