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甲高いミンミンゼミと、掠れたアブラゼミの合唱が、競うように響き続けている。
朝方からダンプカーだのミキサー車だのが、忙しく行き来している正面玄関口とはうって変わって、神社に隣接したグランド裏は、セミの狂宴を除けば静かなものだった。
横山交通の契約社員、小杉勇太郎は、畦道に二十人乗りのバスを停車させると、あくびを噛み殺した。
8月16日。
暑さ寒さも「盆まで」とは東北のこのあたりでは、「彼岸まで」よりも定説で、13日を越すと一気に涼しくなる。
だが今年は例外のようだ。朝だと言うのに茹だるような暑さが、風景をジリジリと揺らしている。
約束の時間は8時でも、小杉は6時半にタイムカードを切り、洗車し安全確認をして、30分も前からここでスタンバイしていた。
俗に言う高給取りである大型ドライバーの職を、50歳で手放してから、すでに5年が経とうとしている。
自分には学がなかったせいで随分惨めな思いをしたということもあり、息子たちのためにがむしゃらに働いた方だと思う。
長距離の業務で、普通の父親と比べると過ごす時間は少なかったかもしれないが、小杉の想いに息子たちもよく答えてくれた。
長男は地元の国立大学を卒業後、県庁職員に、次男は東京の私立大学の院まで進み、細菌学で博士号を取得後、大手薬品会社で働いている。
そして子育てを終えた今は、地元の交通会社に勤めながら、妻と二人、のんびりとした毎日を送っている。
集合時間の15分前になると、ちらほらと大きなバッグを抱えた生徒が、一人、また一人と集まってきた。
一人が崩れ落ちるように縁石に座ると、他の生徒も倣って座り込んだ。
これから2週間、県立城西高等学校三年生の選ばれた13人の生徒のために、特別夏期講習が行われるらしい。夏休みを使って行われている講堂と体育館の建て替え工事のため、日頃通っている校舎ではなく、わざわざ林間学校を借りて泊まり込むらしい。
それにしても、と、サイドミラーに映る生徒たちを見る。
3年生280人という数の中で選ばれた13人とはどのような生徒だろう。学校を代表すべく上から切り取られた少数精鋭か、それとも底上げのために下から切り捨てられた烏合之衆か。
「はーい、じゃあ揃った生徒からバスに乗ってー!」
教師とおぼしきTシャツにジーンズ姿の、少々大柄な女性が手を上げると、それぞれ重そうな荷物を持った高校生が立ち上がった。
出入り口のドアを開けると、教師が先導して乗車してきた。
「よろしくお願いします!」
意外と若そうな女教師は、ショートカットにサンバイザーが似合う、なかなかの美人だった。汗をはじく首筋とジーパンに食い込む太股がセクシーだ。
暑い中出てきた甲斐があったと小さくガッツポーズをし、続いて乗り込んでくる生徒たちに目を移す。
夏の朝日を浴びた白いセーラー服とワイシャツが眩しい。だが彼らの表情は、腐葉土に生える苔のように沈んでいる。
「おはようございまーす!」元気に挨拶をしてみるが、返してくれる生徒は少ない。
どうやら“少数精鋭”ではないようだ。
自分の息子たちとは異質な暗い目付きをしている生徒たちを目で追う。
「あと来てないのは」
最後にバスに乗り込んだ女教師がバインダーを片手に乗客内を見渡す。
「矢島君だけかな」
「はあ?!あいつも来るの?」
今まで諦めたように大人しかったバスが俄に騒がしくなる。
「あいつと二週間とか無理だろー。死人が出るぜ」
「先生、お風呂とかお部屋とか、女子の身の安全はちゃんと守ってくれるんですかー?」
口々に文句を言う生徒を、教師が諌める。
「はいはい、静かに。彼には今回問題を起こしたら、停学だと念を押して言い聞かせてあります。彼から問題を起こすことはありません」
少し得意気に女教師が顎を上げる。
「仲良くしろとは言いません。ただ、あなたたちの目的は勉強です。無駄な争いは、自ら避けてくださいね」
静まり返った生徒たちに満足したのか、教師は小さくため息をついた後、最前列の席に腰を下ろした。
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