ビーン(1997)――英国伝統と米国お家芸のアレンジメントでした、が。

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ビーン(1997)――英国伝統と米国お家芸のアレンジメントでした、が。

『Mr.ビーン』と言えば泣く子も黙る、いや笑う、であろう英国(ブリティッシュ)コメディーの代表シリーズ。  今は昔、私ごとでございますが。  度重なるサービス残業ですっかりくたびれ果て、ようやくアパートに辿りつきテレビを点けた私は、なぜかNHK総合でオソロシイものを見かけてしまった。  それが、「帰ってきたミスター・ビーン」の放映だったのですよ、アナタ!  気持ち悪くなるほど笑いまくったわ。  まあ、すっかり疲労困憊した所にいきなりのMr.ビーン攻撃でしたからね。  今でも、家族や周囲からは 『アンタは笑いの敷居が低過ぎる』 『趣味が悪い』  とはよく言われる、でもホント、面白かったんだから!  正確に言うと、その日から、私にとってMr.ビーンは世間のオッサンの中でも大嫌いな(のに目が離せない)ナンバー1となってしまったのさ。  もちろんVHSとして発売されたTVシリーズも全て買いましたよ。7巻+インタビューだったか。  インタビューは観てない。なんかね、しゃべっちゃ駄目、というしばりが自らの中にあって。  数学試験のコントで隣の人とちょっと文節単位で話すシーンがあったが、それすら信じられない! というくらい(数学試験を受けていること自体は全然違和感なかったが)。  劇場版ビーンはたまたま人生最繁忙期のためリアルで観に行けず、後からDVDで観賞。  ここで改めて感じたが、Mr.ビーンの『面白さ』は人を選ぶという点か。  他人に迷惑をかけまくっている彼を長編の中で観ていると、寛容な(?)はずの私ですらイラっときてしまう時があった。  この毒はやはり短編向きなのかも。  また、重大な過失に対して次々と手を尽くして修復しようと努めるにも関わらず状況がますますひどくなっていく、という点が見ていて耐えがたい、という人も中にはいるだろう。 『ちびまる子ちゃん』が苦手、という人の話を(しかも関係ないところで数人から)聞いたことがあったが、同じような理由かも。  そして一番気になったのは、「しゃべり過ぎ」というところかな。  アメリカの「スピーチで相手に訴える」という流れが、元々の『Mr.ビーン』のカラーとあまり合っていなかったのかも知れない、と感じたのだが。  名画についての騒動は、いかにもローワン・アトキンソンなどが好みそうな題材かとは思った。  クシャミが元ででメタメタにされるのは実在の絵画、ホイッスラー作『灰色と黒のアレンジメント 第1番』(後に『画家の母の肖像』と改題)。  灰色と黒、白とのフォルムと配置とのバランスが秀逸で、しかもホイッスラーの母親に対する尊敬にも似た愛情をさりげなく感じる名作かと。  なので、あの仕打ちは余計にも、映画って言ったってさ~ちょっとね~アタシゃハラハラしちゃったよ(ちびまる子の声で)、って思っちゃったよ。    オチも私にとっては意外性がなかったかな。  アメリカンジョークなのか、これは? とつい画面に向かってつぶやいたね。  英国式コメディーの残酷さに米国のヒューマニズムがクレームをつけてあのような収め方になったのだろうか。  まあ、個人的な感想なのでご容赦を。  ピーター・マクニコルのディープなファンであるとか、流れ的にこういうお話は好きだ、という方々も多くいらっしゃるかと思うのであくまでも一ゴタクとして。    バート・レイノルズにもちらっとお会いできましたねー、でも広いパーティ会場で挨拶もロクにできずに、みたいな出あいと別れ。  そんなわけで、第二作が出たという話を聞いた時にも、ほとんど興味が湧かなかったのであるが……    次回続けて劇場版Mr.ビーン。二作目の話を予定。  本当ならば、こちらの二作目の方だけ語りたかったのだが、前置きが長くなったので順番で。  興味ない人すまんです。
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