【コミカライズ】とある婦夫(ふうふ)のトツキトオカ

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「はぁ? 篠塚さん……じゃなくて、佐伯?」 「正確には、妻も『佐伯』だ」 「はぁ……本当に、佐伯……智弘?」 「疑うなら、以前便所で話していた上司の悪口の内容を全部この場で披露しようか?」 「や、やめろ! わかったわかった、信じるよ」  この橘の場合、同期入社で話す機会が多かった事もあり、説得の材料は豊富だった。 「……で、つまりどうするんですか? まさか篠塚さん(妊娠6か月)のまま、システム1課の課長やるって?」 「当り前だ。急に人事は変えられんだろう」 「いや、お前……課長ってだけじゃないだろ。もうすぐけっこうな大規模案件が始まって、それのチームリーダーもやるんだろ? できるのか?」  橘の言う大規模案件とは、売上2億を超える、会社創設以来の規模を誇るシステム導入案件だった。  自社で開発した図書館向けのソフトを、顧客のサーバに導入し、運用支援を行うというものだ。言葉にしてみればあっさり終わるのだが、その工程は長く複雑だ。  ただソフトをインストールすればいいというわけではなく、顧客の業務形態に合わせて様々な設定やカスタマイズを施す必要がある。業務形態は顧客によって様々変化するし、顧客によって実施しているサービス内容も違う。  さらに言えば、現代社会において業務がシステム化されていない組織も少ない。以前は他社のシステムを利用していたという顧客の方が圧倒的に多い。以前のソフトで使用していたデータを、新しく導入するソフトでも使用できるように書き換える必要があるのだ。  平たく言えば、顧客によって業務内容は多種多様だが、システムを入れ替えたその日その時からでも、昨日と全く同じ業務を遂行できるように細心の注意を払って環境を構築していかなければならない。  そのために、小規模案件で3か月ほど、大規模案件ともなると6か月ほどもかけて下準備をする。智弘はその案件のチームリーダーに任命されていたのだ。身体的負担もさることながら、チームと顧客の責任を一手に背負うストレスも相当なものになる。  つまり、これから死ぬほど忙しくなる、ということだ。 「言っちゃ悪いが、男でもかなりきついだろ。篠塚さんも、妊娠中は大きな案件には入れないようにしてたんだぞ」 「わかっている。だが自分の体の事だ、自分で充分気を付ける」 「……だいいちお前、顧客には何て言うんだよ? リーダーやるなら顧客との打合せは必ず入らないとダメだろ」 「きちんと説明するさ」 「何を、どうやって?」 「幸いまだ案件は始まってはいない。元が男だったというのを伏せておけば問題ない」 「問題ないって……」  問題ないわけではないのは智弘にもわかっていた。だが、こうでも言わないと主張を通してもらえそうになかった。 「はぁ……どうします、部長?」 「どうするったってねぇ……」 「ぜひとも、お力添えを……!」  智弘が、がばっと大きく頭を下げると、部長も橘も、困ったような顔でその様子を見つめた。普段このように頼み込むことのない智弘の姿に戸惑っていた。 「……わかったよ。そうまで言うなら、やってみるといい」 「え、部長!? 本気ですか?」 「ただし少しでも佐伯の体調や、お腹の子に悪影響が出るようなら、即座に降りてもらうよ。これは会社の方の責任問題にもなるんだからね」 「はい! ありがとうございます!」  その後、呆れ顔の橘と疲れた様子の部長と共に、智弘は朝礼の場で入れ替わった事情を全社員に話した。  全員が怪訝な表情をし、次いでどよめきが起こったことは、言うまでもない。
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