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金銀・琥珀の日 Ⅰ
片桐あずきは、長い髪をなびかせて走っていた。
軽快な足音が、アスファルトに鳴り響いている。
リズムを刻むような、そんな足取りだった。
銀杏並木が一直線に延びて、遠くまで見える道だった。
彼女の他に人影もなく、咳払いをすれば数メートル先まで聞こえてしまいそうなほど静かだった。
耳をすませば、木の葉の息づかいや、小鳥のさえずり、そして風の囁きも感じられる。
なのに、彼女には見えなかったし、聞こえなかった。
それほど、夢中になって走っていた。
都心から少し離れたこの街は、空気も淀んでなく清々しい一日の始まりだった。
あの角を曲がれば、幸せが待っている。
半年の間、彼女はずっとこの日を待っていた。
もうすぐ春──。
待ち焦がれていた春がやってくる。
九音外語大学英文科への合格通知が来たんだ。
合格したら会おうね。
彼はそう約束した。
池部卓也は高校一年の時から付き合い始めた。
ドイツ文学を専攻する彼と、同じ大学に入学することになった。
デートも控えて、ちょっとさみしい思いもしたけど、これからは堂々と会える。
それが彼女を夢中にさせていた。
角を曲がり、あずきは彼との待ち合わせの公園に入って行った。
広い敷地の公園で、周囲にはバラが咲き乱れ、真ん中には池があり、噴水を上げている。
風でしぶきとバラの香りが飛ばされて来る。
すぐに彼の姿を発見する。
どこにいてもすぐに彼を見つけることが出来るんだ。
どんな人混みの中でも、どんなに騒がしい所でも、きっとすぐに捜し当てられる。
それが自負だったかもしれない。
ベンチに腰掛ける老夫婦、顔を近づけて語り合う恋人同士、そして腕時計ばかり気にして見ている男性、そんな人たちの中で、確かにあずきはすぐに彼を見つけ出した。
池部卓也は噴水の近くに立っていた。
でも、太陽の下、彼のそばで黄金が光って見えた。
あずきはゆっくりと立ち止まった。
目の錯覚かと思った。
何だろう、あの金髪の女性は‥‥。
めまいがしそうだった。
それは決して走ってきたせいじゃない。
すらりとした脚と、絹のように光る金髪と、真っ赤な唇が心を締めつける。
なぜか息苦しい。
胸が苦しい。
「卓也‥‥」
「ごめん、あずき」
彼は言葉に詰まって、それっきりうつむいたままだった。
金髪の女性は他人事のようにそっぽを向いた。
彼女が関わっているなんて、まだ気がつかなかった。
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