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君の指の味
「おはようございます」
「おはよう。寒かったろ?コーヒーでも飲んで温まりな」
堀米さんの朝は早い。俺が出勤すると、いつも既に自席に座っていて、まるで3時間前からいたように寛いでいる。
いったい何時に出社してるんだろう。
ありがたく給湯室にあるコーヒーをいただく。
「砂糖を入れた?」
「入れました」
「そうそう糖分取らなきゃいけないよ」
堀米さんは俺がコーヒー好きな事も、コーヒーに砂糖を入れる事も知っていてくれる。
本当に子供のように扱われているな。でもそれが嬉しい。
ある程度の年になると、誰も甘やかしてくれなくなる。本当は大人の方が甘やかして欲しいのに。
「コーヒーは毎日飲んでるの?」
「はい。でも昨日は紅茶も飲みました。友達が紅茶が好きなので」
「そう」
堀米さんも『友達』という言葉には少しだけ反応が微妙になる。
三月と俺が一緒に暮らしていることは、地元の人はだいたい知っている。だから触れちゃいけないと思っているのだろう。
そんな時代でもなかろうに。
しかし現実はコーヒーに砂糖を入れるように簡単に甘くはならないのだ。
「あれ、お昼それだけ?」
所長が驚いたのも無理はない。俺の目の前にはいくらのおにぎりひとつしかない。
「いつもおにぎり3個とサラダ食べているのに今日はどうしたの?」
「昨日饅頭を食べ過ぎて、全然食欲がないんです」
「そんなに食べたの?」
「はい6個」
「6個?」
結局六月は7個中、ひとつしか食べなかったのだ。
『なんで俺が6個も食べなきゃいけないんだ』
『饅頭の皮が肥大して胃が悲鳴をあげてるんだ』
俺の胃はどうなるんだ?
『ごめん』
『ごめんで済むなら警察はいらない』
『本当にごめん』
あやまりながら六月は何故か照れたように少しはにかんだ。おそらく曖昧な微笑みでこの場を乗り切ろうとしてるのだ。
そうはいかない。
『なんで笑ってる?』
『だって饅頭が饅頭食ってるみたい』
は?
『なんかお前は饅頭みたいでかわいい』
饅頭みたいでかわいい?意味がわからない。
俺の顔を見て六月はにこっと笑った。
『お前は時々、本当にかわいいよ』
そしてまたにこっと笑うのだ。
ちくしょう。
お前の方がかわいいよ。
結局、俺は黒糖饅頭を6個食べた。
また珍しく六月からメッセージが来た。
『ちぎり絵の展覧会いつ?』
『ちぎり絵じゃない、絵手紙だよ。まったく別のものだ』
『いつから?』
『今日からだよ』
どうやら絵手紙展に顔を出すことによって、俺の饅頭への怒りを鎮めようとしているようだ。
『公民館のロビーだろ?夕方行く』
待ってるとは返さなかった。
わがカルチャースクールの仇であるはずの公民館だが、やはり建物は綺麗だし居心地がいい。何より仇にも場所を貸してくれる懐の深さがある。
サークルの人達も広い会場に自分たちの絵手紙が飾られて嬉しそうだ。
「思ったより盛況ですね」
柏木さんがそういいながら、スマホで勝手にバシバシ写真を撮って行く。
「三月先生の写真を撮らなくちゃ、一緒に写りたい人集まって。所長も入ってもいいですよ」
数人の生徒さんと端っこにいる所長に囲まれて、作り笑顔で撮影する。
柏木さんは写真を確認すると満足したようにうなずいた。
「ああいい写真だね」
雑に扱われたのを気にもせず所長が言った。
「これをSNSに載せれば、生徒さんホイホイですね」
ホイホイか。
そうだといいんだが。
絵手紙教室を開くようお願いしたのは、つまりお金が欲しかったからだ。
カルチャーセンターの講師なんて安月給だから正直生活が苦しい。
一緒に暮らしている六月は安定した会社に勤めているけど、正社員ではない。いつどうなるかなんてわからない。
ふたりの暮らしをちゃんと続けるためには小銭を貯めておかなくちゃ。
そう思って無理やり始めた講座だけど展覧会も開けたし、みな楽しそうだしやって良かった。
市民の血税で建てられた立派な建物のロビーの入り口に「『みんなではじめる絵手紙の会』展覧会はこちら」と書かれた立て看板が置いてあった。
『みんなではじめる絵手紙の会』の割に作品の貼られた間隔が空いている。
六月も開店休業と言ってたし「みんな」というほど集まってないようだ。
しかも絵手紙って「みんなではじめる」ようなものかな?どちらかというとひとりで作業するもんじゃないか?
まあ、どちらでもいいけど。
作品を見ていると気になるものがあった。
『おでんが食べたいな』と書いてある。
なんてストレートなメッセージなんだ。
不意に思い出した。
初めて三月の指を口に含んだ時、変な感じがした。
『なんだかしょっぱい味がする』
甘いシチュエーションのはずなのに、いやそうだからこそとても気になった。
なんだろう?なんだっけ?
深いキスをされながらも頭の片隅で考えずにはいられなかった。そして思い出したのだ。
おでんの味だ。
付き合ってる相手と初めてベッドに入る前におでんを食べたのだろうか。なぜおでんなのか。そもそもおでんを食べた後で手を洗わなかったのか?
そんな事を思っていたらいつの間にか服を脱がされていたのだ。
本当に六月が来ていた。公民館のロビーでぼんやり作品を見ている。
絵手紙にまったく興味無さそうなのに、一応興味あるふりをして見ている。
声をかけようとしたその時、先を越された。本吉老人だった。
「この作品いいでしょう?」
「はあ」
いきなり話しかけられて驚いたようだがそれなりに受け答えをしている。
「この絵、なんだと思います?」
老人はまたイタズラをしかけている。
騙されるな、それはおでんの具じゃない。個性的過ぎるコーヒー豆だ。罠だ。
「がんもですね」
六月は断言した。ビックリするほど迷いがなく断言した。
「いや違うよ。コーヒー豆だよ」
「いや、がんもどきです」
「私が描いたんだよ」
作者である本吉老人がそう言っても六月の自信は揺るがなかった。
「がんもどきですね」
「違うよ」
本吉老人も最後には切なそうな声になった。
「なにしてるんだよ」
声をかけると、本吉老人はすがるような目をした。
「この子変わってる」
確かに。それはよく知っている。
ふいに六月が言った。
「おでんが食べたい」
そしてにこっとかわいい顔で笑った。
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