三月と六月

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三月と六月

四月は静かに 久しぶりに和菓子が食べたくなった。 桜餅かかしわ餅か、なければ大福でもいい。とにかくもちもちしてあずきの入ったものが食べたい。 仕事帰りに地元の和菓子屋さんに寄ることにした。 「おつかれさまです」 「はい、おつかれさん。気を付けて帰りなよ」 上司の堀米さんは俺のことをいつまでも子供の様に扱う。小さい会社でなかなか新人が入ってこないからずっと若手社員として扱われているのだ。 変な気もするけど、割と居心地がいい。 地元の和菓子屋さんは美味しい。会社で取引先と何かあったとき(それは大抵悪いこと)などにここのお菓子を手土産として持っていくとなんとなく場が和む。地元の『虎屋』という感じかな。 問題は駐車場が狭すぎることだ。こんな田舎だからどこへ行くにも車が必須なのに、駐車場が3台分しかない。しかも店員さんのものなのかいつも1台の赤い車が停まっている。つまり実質駐車スペースは二台分しかない。 幸運なことに今日はスペースが空いていた。良かった。 しかしお店のショーケースはガラガラだった。まあ、この時間だから仕方ないか。 かろうじてもちもちした豆大福がバラで置いてある。これを買って帰ろうか。そう思った時だった。 『黒糖饅頭7個入り』 プラスチックのパックに入れられている茶色い奴らが目を引いた。 なぜならその近くに『30円引き』と和紙で作ったポップが置かれていたのだ。 和紙でポップを作るなんて、なんて慎ましいんだ。 しかも30円引きである。迷うことなく手に取りレジへ持っていった。 まあこれももちもちしているし、あずきも入っている。 当初の目論見とはずれたが無事に買い物を終えたその時、ラベルに小さく書かれた文字に気が付いた。 『※本日中にお召し上がり下さい』 時刻はもう午後の8時だった。 どうしよう、今日の夕飯はそうめんが食べたかったのに。 だから和菓子は一口だけでよかったのに。 困ったな。 珍しい時間に連絡が来た。 『今日何時に帰ってくる?』 怖い。 俺の仕事は駅前にあるカルチャースクールの講師である。だから大抵曜日ごとに決まったルーティーンがある。 一緒に暮らしている六月(むつき)もそれを知っているからわざわざ何時に帰るかなんて聞いてこない。そもそも彼の方から連絡が来る事なんてほぼない。 急にどうしたんだろう。怖いな。 何かあったんだろうか?あの六月が連絡してくるような何かってなんだろう?訃報? 動揺している心に更に揺さぶりをかけるように声が響く。 「先生これを見て。展覧会用に作ったんだけど」 本吉老人がハガキサイズのカードを見せてきた。絵手紙である。そこには何やら茶色く丸い物が描かれている。 そして『おでんが食べたいな』の文字。 「わかるかな?下手だからわからないかな?」 うーむ。困ったな。 茶色い丸い物?おでん?なんだろう? 自分の中の灰色の脳細胞(あるかはわからないけど)をフル回転させて答えを探す。 「これはジャガイモですね?上手く描けてますね」 「違うよ、コーヒー豆だよ」 本吉老人は顔をしかめた。 「おでんという言葉に惑わされたんだね?でも『絵手紙は、絵と文字が関係なくてもいい』って先生が言ったんだよ」 「そうですね。すいません」 ふふふと満足そうな顔で本吉老人は笑った。 そう言えば、最近三月(みつき)としていない。 台所と繋がった畳敷きの居間でごろごろしながらそんなことを考えた。 前にしたのはいつだったか。確か人肌が恋しくなる寒い時期だった。12月と1月かな?2月もしたかな? そろそろしたいような気がする。 よく『男はいやらしいことばっかり考えてる』と言ってる人がいる。そういう時は『少なくとも僕は違いますよ』と返すがもちろん嘘である。 そんなことを考えていたら当の本人が帰ってきた。 「お疲れ」 「うん疲れた」 「そうめんを作ってあるから食べていいよ」 「珍しく優しいじゃん」 「美味しい和菓子も買っておいたよ」 なにも知らない三月は嬉しそうな顔をした。 「そう言えばちぎり絵教室はどう?」 「ちぎり絵じゃなくて絵手紙だよ」 そういってそうめんをすする。 4月とは言え夜はまだ寒いのでそばつゆはお湯で割った。そこに天かす、のり、すりごま、かつおぶしを入れる。味に変化をつけたくなったらしょうが、そしてレモン汁。最終兵器としてサラダ用のごまドレッシングを入れることもある。 六月のこの食べ方を聞いた時はとても驚いた。実家ではせいぜいのりにネギだった。そうめんの食べ方にこんなにバリエーションがあるなんて。違う環境で育った人と暮らすって面白いなと思った。 「絵手紙教室はどうよ?」 「相変わらず。開店休業」 「ふーん」 六月は畳の上でごろごろしながら眠そうにしている。 「絵手紙を習う年齢層は、早寝なんだよ」 つまり年配の方々は早寝早起き健康第一なのである。 そんなわけで平日の夜のクラスに来る生徒さんは仕事帰りに癒しを求める会社員や、絵手紙をストイックに求める絵手紙愛にあふれる人達、それから本吉老人のようなちょっと変わった人達だけだった。 「それに絵手紙教室の王道は公民館なんだよ」 「公民館の方が安いなら、しかたない」 地元の公民館はまだ新しいから建物もきれいだし、バス停も近いのでアクセスが良い。市役所や図書館そしてスーパーも近いから出かけるのに便利だ。そして公民館の使用料はとても安い。そうなると月々の月謝ももちろん安くなるのだ。民間のカルチャースクールが勝てるわけがない。 「断然不利だよ」 「じゃあなんでこんな時間にクラスを開くんだよ」 「知らない」 「ふーん」 本当の事を言うと夜も絵手紙クラスを開きたいと申し出たのは俺自身だった。 「いや、でも誰も来ないかもよ?」 所長が心配そうに言った。 「むしろ絶対誰もこないですよ」 今どき女子な才媛、柏木さんも言った。 「一応募集だけでもかけてみてもらえませんか?」 「まあ、いいけどさ」 ダメ元だったが生徒募集の広告を出すと、意外にもギリギリ採算が取れる人数が集まったのだ。 そうめんの器を洗っていると、六月がなにやらちゃぶ台の上に置いた。 「なに?」 「和菓子、買ってきたから食べなよ」 「ありがと」 なんだか珍しく優しいから怖い。 「そういえば今日珍しく連絡してきたじゃん?なんか用事があったの?」 「そうだっけ」 「そうだよ」 六月はとぼけた顔をした。 なんだかやっぱり怖いな。 洗い終えてテーブルの上に目線をやると饅頭が置いてある。 「こんなに買ってきたの?」 「うん」 数えてみると7個もある。 「小食のくせにこんなに食えるのかよ」 「お前も食べるかなと思ったから」 なんだか妙にしおらしい。怖い。 「まあ食べるけど」 手に取るとラベルに小さくかかれている文字に気が付いた。 「本日中にお召し上がり下さいってあるけど?」 「大丈夫だよ」 「もう11時だぞ」 「まだ今日だよ。あきらめるなよ」 そして『飲み物入れてやるよ』とキッチンの方へ逃げてしまった。 なんとなくすっきりしないけど、饅頭自体は美味しい。 「なぜ7個も買ったの」 「30円引きだったから」 呆れた。 「値引きしてても残したら意味ないじゃん」 「残さなければ大丈夫だよ」 そしてマグカップをふたつ持ってきた。ひとつはシンプルな白。もうひとつは青。 「三月の好きな紅茶にしたよ」 珍しく微笑んでいる。本当に怖い。 温かい紅茶を飲んでいる時に思いついた。 「まさか饅頭を食わせるために連絡してきたの?」 六月は黙って目をそらした。 「あきれた」 何かあったのかと心配したのに、訃報かもしれないと不安になったのに。 「ごめん」 俺がぷりぷり怒ってるのを見て、六月は静かに言った。 「ごめん。饅頭は俺が責任をもって3個食べるよ」 「どういうこと?」 なんで俺が4個も食べるんだよ。
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