2.クビになりました

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2.クビになりました

恐る恐る足を踏み入れた社長室では、社長が腕組みをして待ち構えていた。こちらを眼光鋭くねめつけてくる。 「いったいどういうことだね、先ほど君たちが訪れた取引先から、器物を破損され、暴言を浴びせられたという電話が入ったのだが。それに、先方は契約を全て解除したいと言っている」 社長の目は氷のように冷たく、恐ろしい気迫が伝わってくる。不祥事などを起こした社員に対して、容赦なくクビを申し渡すことで有名な社長のことだ。呼び出された時から覚悟はしていた。それに、俺は個人的に社長から嫌われているのだ…。 俺は、自分がすうっと息をのむ音を聞いた。 「本当に申し訳ありません。田中が、先方の社長から、セクハラを受けまして、ついカッとなり反論してしまいました。今回のことに一切田中は関係ありません。すべてわたくしの責任です。」 「ついカッとなり、ねえ…具体的にどのようなことを言われたのか、教えてくれ。先方との関係を破綻させるほど、さぞ酷いことを言われたのだろうね?え?」 言葉には、明らかなとげがあった。社長は、俺と田中には弁明の余地はないと思っているようだ。しかし、一応事情を聞く気持ちはあるらしい。俺が口を開こうとしたとき、隣に立つ田中から息をのむ音が聞こえた。俺は、さっき取引先から会社に帰るまでの帰り道で、田中と交わした会話を思い出していた。 俺は、謝り続ける彼女に、大丈夫だから、と笑いかけて励まし続けていた。やがて、彼女は小さな声で自分から語り始めた。 「実は、ああいうことを言われるのは初めてじゃないんです。昔からこの体型でこんな顔だから、ずっと言われてきたんです。でも、言われるままでした。相手は、私がずっと黙っていて反撃してこないのがわかると、そのうちつまらなくなって、飽きるからです。でも本当は、ずっと悲しかった。何も言えない自分にも、ただ黙ったままで私を見ている周囲も。だから、こんなふうに誰かが私のことをかばって、反論してくれるなんて思いもしませんでした。だからこの涙の半分は、うれし涙なんですよ。庄司さんありがとうございます。」 「田中…」 「でもやっぱりだめですね…久しぶりにああいうことを言われたから、昔のことがいろいろ蘇ってきてしまって…ごめんなさい。」 そう言って田中は唇をかみしめて、涙をこらえている。これまで、どれほどつらく苦しい経験をしてきたんだろう。 「…どうしたんだね、2人とも。だんまりではわからないよ。早く具体的に何を言われたのか話してくれ」 俺は覚悟を決めた。横で、田中が意を決したように声を出すのを遮り、俺は言った。 「言えません。彼女が言われたことはとても酷いことです。もう一度その話をすることは、彼女の心にもう一度傷をつけるのと同じことです。」 「…だから黙っているのかね?だとしたら、私は君たちの言い分を信じることはできない。君が勝手に怒りをぶつけ、先方との関係を壊したととらえるが、いいのかね」 「非常に残念ではありますが、私共の言葉を信じていただけないのであれば、それで結構です。大事な取引先だということはわかっていますので、私なりに責任はお取りします。田中は今回のことに一切責任はありませんので、その点だけは宜しくお願い致します。」 「庄司さん!そんな…」 田中の目が揺れている。 「いいんだ、田中は悪くない」 「君は業績もいいし、期待してたんだがな。いきすぎた正義感のせいで自分の首を絞めるとは、なんとも愚かなことだ。庄司君、くれぐれも早く責任はとれよ、わかってるな?」 社長は首を振り、怒りのまなざしをこちらに向ける。これは、事実上のクビ宣告だ。俺はぐっと唇をかみしめて、静かに呼吸を整えた。どうしても言わなければ。こんなところで言うつもりはなかったが、もうクビになるのは間違いないのだ。もう今しかない。 「…はい。6年間もの間、大変お世話になりました。誠に勝手ながら、社長に個人的にお伝えしたいことがございます。」 社長は片方の眉を上げ、こちらを一瞥する。 「なんだ?手短に頼む」 「…田中、悪いんだが先にデスクに戻っておいてくれないか。まだみんな大騒ぎしているだろうが、事情は後で俺からちゃんと説明すると伝えておいてくれ」 「わかりました、ではお先に失礼いたします。」 田中は社長に一礼した後、少し不安げな顔で俺の顔を見つめた。小さく俺がうなずくと、少しだけ表情をやわらげ、俺に目礼し社長室を出て行った。ドアの閉まる音が聞こえるなり、俺は一思いに言葉を押し出した。 「端的に申し上げます。私が凛奈さんとお付き合いしているのはもうご存知ですよね?」 社長は苦虫を嚙み潰したような顔で頷く。 「……認める気は毛頭ないがな」 「お付き合いを始めてから数年たち、私なりに努力を続けてきましたが、私には、あなたの娘さんを幸せにすることはできないようです。凛奈さんのお気持ちは私にありません。」 社長は一瞬目を見開いた後、フン、と鼻息を鳴らして馬鹿にしたように言い放った。 「最初からお前が凛奈にふさわしくないことは明白だった。一介の平社員の身分で、よくも娘に手を出してくれたな。ずっと私は反対してきたんだよ。娘もやっと気づいてくれたようだな」 娘の話題になるなり、いきなり「お前」呼ばわり。さらに口調も随分ぞんざいになった。社長の娘への溺愛ぶりは、度々社内でも噂になっているが、やはり本当だったらしい。だからこそ、やはり伝えなければ。 「凛奈さんのお気持ちは、すでに固まっております。あなたもご存知の通り、凛奈さんは、幼馴染の葵さんと…」 社長は突然椅子から立ち上がり、机に拳をたたきつけた。 「やめろ!そんな女のことは知らん!凛奈をそそのかすようなことをしたら、私はお前を許さないからな」 「しかし…」 「凛奈が女と付き合うことなど、絶対に許さない。」 「凛奈さんの幸せを決めるのは彼女自身です」 社長は般若のような形相で俺を睨みつけている。俺もひるまずに、社長の顔を正面からまっすぐに見つめた。目をそらさずに、真っ直ぐ対峙する。思いよ届け、とばかりに、より一層眼光に力を籠める。 社長は一代で会社を大企業に築き上げた人だ。周囲の人間からどんな評価をされるか、世間に悪い噂が立ってはいないか、常に体裁に気を付けてここまでやってきたのだろう。娘が同性愛者であることが知られたら、会社に影響が出るのではないかと、心配な気持ちはわかる。それでも、彼女の選んだ道を、認めてあげて欲しい。 先に目をそらしたのは、社長の方だった。下を向いたまま、小声で告げる。 「もう話は済んだだろう。出ていけ。お前の顔などもう二度と見たくない。」 社長の声は小さく震えていた。胸がちくりと痛む。 「……はい。失礼いたしました。ありがとうございました。」 社長に深々と一礼し、社長室を出ると、こらえていたため息が溢れ出た。 「あーあ。これでほんとにクビだな…」 就職氷河期にやっと内定を勝ち取った会社だ。仕事量は多く給料もそこまで多くはないが、営業の仕事は自分に向いており、顧客の喜ぶ姿に大きなやりがいを感じていた。できれば定年までこの仕事を続けたいと思っていたが、これでは社長直々に喧嘩を売ってしまったも同然だ。 せめて仕事を辞める前に、凛奈のことだけは理解してもらいたかったが、どうやらそれも失敗に終わったらしい。 もう一度ゆっくりとため息を吐き出し、デスクへと歩きだそうとしたところで、目の前に人の気配を感じ目線を上げる。そこには、見たことのない男性が立っていた。首からここの会社の社員証を下げているから、おそらく同じ会社の社員なのだろうが、一体誰だろう。彼は春臣の瞳をまっすぐに見つめている。年は20代半ばくらいだろうか、程よく引き締まった体つきに、おそらく180㎝以上はある背丈。モデルのような長い手足。切れ長の瞳。通った鼻筋に、薄く形の良い唇。常人離れした美しさだ。その美男子が、ものすごく不機嫌そうな顔をうかべ、物言いたげにじっと俺の顔を見つめている。 「あ、あの…何か御用でしょうか」 彼ははっとしたように、慌ててにっこりと笑いかけてくる。 「申し訳ありません。妹からかねがねお話を伺っていたので、つい。いつも妹がお世話になっております。」 それも今日でたぶん終わりだけどな…と心の中で呟いて、そうですかどうも、と適当に言葉を返したところで、はたと気づいた。 「ん?妹、ってことは、あなたが凛奈のお兄さんの…」 凛奈に兄がいるのは、だいぶ前に本人から聞いて知っていた。凛奈から、兄はかなりのイケメンだと聞かされていたが、どうやらその言葉に間違いはないようだ。 「はい。磯部千秋と申します。お会いできてうれしいです。今回のことは非常に残念で…。一体何と言っていいか。」 彼は首を振り、悲しそうな表情で俺を見つめてくる。心の底から、気の毒に思っているという顔だ。さっきの不機嫌そうな顔はいったい何だったんだろう。 「いえ、私は当然のことをしただけですから。とても恵まれた職場で働けたことに感謝しています。」 気を抜くとうなだれてしまいそうだったが、無理に笑顔を作り、なんてことないようにさらりと言った。 「そうですか、そんな風に言っていただけて光栄です。それで庄司さん、あの…」 彼が何か言いかけるのと同時に、 「庄司さん!」 田中がゼエゼエと息をしながらこちらに走ってきた。 「あんまり遅いから、つい戻って来てしまいました。もしかしたら社長とつかみ合いの件かでもしてるんじゃないかって不安で…」 「あほ。自分の働いてる会社の社長相手にそんなことしないっつーの。」 「そうですよね、安心しました。あっ、磯部副社長!ごめんなさい。会話の邪魔をしてしまって」 「あれ、田中、磯部さんのこと知ってんのか?っていうか今なんて…」 「庄司さんの方こそびっくりですよ!副社長の顔を知らないなんて」 「え?副社長?え?」 田中からとがめるような視線をむけられ、一瞬の逡巡の後、サーっと全身の血の気が引いていく。 「本当に申し訳ありません!!俺、磯部さんが副社長だって知らなくて」 「アハハ。気にしないで下さい。驚かせてしまって申し訳ありません。僕は仕事柄、社員の方々の名前と顔を一通り把握しているのですが、庄司さんは営業職ですし僕のことを知らなくて当たり前です」 「そうですか…」 副社長が優しい人で助かった。それにしても、なんでさっきからこの人はずっと俺の目を凝視しているんだろう。不思議に思っている俺をよそに、突然田中が副社長にずい、と詰め寄る。 「私、入社してからずっと磯部副社長にあこがれてたんです!お会いできて…本当に嬉しいです!!」 俺は目をぱちくりさせた。さっきの泣き顔が嘘のように、頬を赤く染め、キラキラとした瞳で副社長を見つめているではないか。 もとはといえば、お前の件が原因で俺はクビになったというのに、…でも悪いのは取引先のオヤジだし、田中は悪くないし…。ああ、何だかモヤモヤする。 副社長は田中の剣幕にしばし驚いていたようだが、すぐデフォルトの笑顔に戻った。 「今回の件、先程父からお聞きしました。自分が犠牲になってでも他の社員をかばうなんて、なかなか出来ることではありません。新入社員としてこれからも大変なことがあるでしょうが、庄司さんのような後輩思いの社員になれるよう、頑張ってくださいね」 田中に向けて言っているはずなのに、チラチラと俺の様子をうかがってくるのはなぜなんだろう。うれしいけれど、そこまで褒められると何だか申し訳ないような気持ちになる。 「ありがとうございます、これからも頑張ります!」 「感謝するなら僕にではなく庄司さんに感謝して下さい」 「すみません!田中さんありがとうございます」 田中は俺への感謝もそこそこに、すぐに副社長に向き直り、きらきらとしたまなざしを向けている。それは俺の見たことのない表情で、かわいいなと思ってしまう。田中とももう会うことはないのか、と物思いにふけりつつ、ぼんやりその横顔を見ていると、急にごほん、という咳払いが頭上から聞こえ、慌てて磯部さんの方に向き直る。磯部さんの顔が、一瞬ひどくこわばっているように見えたが、彼はすぐ元の笑顔に戻った。なんだか怖い。早くこの場から立ち去った方がよさそうだ。 「申し訳ありません、社長に用があるんでしたよね。俺たちはもう行きます。部下に優しい言葉をかけて頂いてありがとうございました。」 「いえいえ、そんな。話しかけたのは私の方ですし。またお会いできるといいですね」 俺は今日で会社をやめるんだから、もう絶対会うことなんてないだろ、と心の中で呟きながら、目礼をしてその場を去ろうとしたその時。彼が、俺のスーツの裾をぐい、と引いた。振り返ると、彼が俺にしか聞こえないよう、小さな声で耳打ちしてくる。 「これからのことで、もし何か困ったことがあれば、僕に連絡をください。秘密ですよ」 そして、すっ、と俺のスーツの胸ポケットに小さな紙を押し込む。 「それでは、また」 彼はさわやかな笑顔で、俺と田中に目礼をし、社長室に入っていった。俺は、一瞬の出来事に驚き、茫然と突っ立っていた。 「どうしたんですか、庄司さん?なにかありましたか?」 田中の声で我に返る。 「いや…別に。なんか変な人だな、あの人」 「なんでそんなこと言うんですか!!!彼は完璧な人間です」 田中のそのときの形相は、もはや鬼だった。目は吊り上がり、口は今にもガブリと噛みつこうとするかのように大きく開かれ、鼻息は怒れる獅子のように荒い。なぜここまで田中が怒るのかは分からなかったが、尋常じゃない怒りが伝わってきて、俺は小さな声でごめん、と呟いた。 というか、なんで俺が謝らないといけないんだ?クビになったのは俺なんだが…。 心の中で小さくため息をつきながら、俺は頭の中で、仕事の引継ぎのための怒涛のスケジュールを脳内で組み立て始めた。
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