3.出会い

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3.出会い

side:千秋 俺があいつのことを知ったのは、高校1年の春だ。 俺の通う高校は、妹の通う中学校から2キロも離れていたにも関わらず、俺は父に命じられ、中学校から下校途中の妹を尾行し、どんな様子か父に定期的に報告しなければいけなかった。何しろ、自分のあこがれていた高校に行くための条件が「妹の監視および報告」だったのだから、断れるわけがなかった。 「滅茶苦茶だ、なんで俺、高校生にもなって妹のことを尾行しなきゃいけないんだよ…。」 確かに妹の凛奈は美人だ。身内の欲目ではなく、子供の頃から街を歩けばどこからかスカウトマンが声をかけてきたし、バレンタインには毎年数え切れないほどのチョコレートをもらっていた。しかし妹がかわいそうなのは、外見と中身が伴っていないことである。その場にいるだけでまわりが色めき立つような華やかな顔立ちなのに、その外見とは裏腹に、とても地味で引っ込み思案な性格なのだ。自分から声をかけることはほとんどなく、話しかけられてもただ困ったようにうつむいて押し黙ってばかり。しかし男子からは「はかなげな姿も美しい」だの、「守りたい」だの言われ、絶大な人気を集めていたため、ねたむ女子から心無い言葉をかけるられることも多く、人間関係では苦労も多かった。親としては、可愛い娘がいじめをうけたりしないか不安なのだろう。だからって、兄に妹を尾行させるなんて、まったく溺愛にもほどがある。 心の中で悪態をつきながら、ようやく妹の通う中学校についたのは午後5時過ぎ。中学校の校門から200mくらいの場所にある電信柱の陰から、俺は校門から妹が出てくるのを待っていた。その日は5時に部活が終わると聞いていたから、妹が出てくるのはもうすぐだろうと思ったが、なかなか妹は出てこない。もう帰ったのかもしれない。そう思いながら、腕時計で時間を確認しようとしたその時。 「ちょっとなんとか言いなさいよ!」 甲高い声が聞こえると同時に、妹の泣き声が聞こえてきた。見ると、校門の前で妹が女子生徒の軍団に囲まれている。妹は思い切り髪の毛をひっぱられ、うつむいたまま涙を流していた。 「ちょっと泣かないでよ、私がいじめてるみたいじゃない。ねえ?」 主犯格と思しき背の高い黒い髪の女が、仲間に同意を求めた。クスクス笑いが広がる。近くを通る人はおらず、時折校舎から出てくる生徒たちもあわてたようにその場から逃げていく。 「やばいな、どうしよう」 俺は勉強はできるが、運動はそんなに得意ではない。女子はどうやら7人くらいいるようで、それを追い払える自信は正直なかった。それでも、今自分が行かなければ、妹はさらにひどい目にあうかもしれない。行くしかないか、そう思ったときだった。 「おい、何してんだお前らア!」 そこに出てきたのが、あいつだった。金髪の髪をなびかせ、制服のシャツからヒョウ柄のTシャツをのぞかせ、腰パンし、さらに金属バッドを肩に担いでいるという、まるで漫画の世界から飛び出してきたかのような、わかりやすいヤンキー。どすのきいた低い声で、周囲を威圧する。 女子たちは一瞬おびえたようだが、うるさいわね、黙ってて、これは私たちのことなんだからとヤンキーを睨みつけた。 「あん?お前らのしてることは、ただの弱い者いじめだろ!7対1だし、しかもその子は泣いてる。お前らのしてることは最低だ。」 「うるさい!こいつがいけないのよ。私の彼氏に手を出したんだから!どうせその顔で、色目使って言い寄ったんでしょ?」 妹は体をこわばらせながら、ぶんぶんと首を横に振っているが、彼女たちは見向きもしない。 「あ?まだ言い訳すんのかコラ?」 ダン!とヤンキーは金属バッドを地面に打ち付けた。 「俺が相手してやるよ、女だろうが容赦はしねえ」 「来れるもんなら来なさいよ!こっちは7人いるんだからね」 そこからは本当に一瞬だった。目にもとまらぬ速さで、ヤンキーはとびかかってくる女子たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げ、ものすごい勢いで吹き飛ばしてゆく。しかも、彼らの体がダメージを受けないように、かなり手加減して投げていることは一目瞭然だった。容赦しないとは言ったが、力を加減して戦っているのは、圧倒的な力の差のためだろう。すぐにヤンキーは攻撃の手を緩めた。 「まだやるか?今度こそ容赦しねえぜ」 「…覚えてなさい!」 女子たちは走って逃げて行った。虚しいお決まりの捨て台詞に俺が笑いを押し殺していると、 「あの…」 蚊の鳴くような細い声が聞こえた。 「…本当にありがとうございました。あなたがいなかったら私…」 「いいって!たまたま通りかかっただけだし。怪我はないか?髪の毛引っ張られてたみたいだけど大丈…」 そこでヤンキーは声を止めて静止した。まじまじと妹の顔を見つめている。鈍い妹は、困ったように首を傾げている。 「どうかしましたか…?もしかしてさっきお怪我をなさいましたか?」 「いやいやいやいや!ないない!ないんだけど…あの…」 ヤンキーはさっきまでの威勢のよさはどこへやら、どぎまぎした様子でじっと妹を見つめている。 「もしよければでいいんだけど、俺に家まで送らせてくれないかな?あんたのことが心配なんだ…」 赤い顔でうつむくヤンキーの申し出に、妹はとまどっていたようだが、うなずいた。 「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてください…ちょっと今日は一人で帰れそうにありませんので」 よく見ると、妹の足はがくがくと震えていた。立っているのがやっとのようだ。おそらく帰り際に一人で下校するところを女子たちに襲われ、とてもびっくりしたのだろう。 「こりゃ大変だ…恥ずかしいだろうが俺がおんぶして帰るから、乗ってくれ」 ヤンキーは、夕焼けでオレンジ色に染まった背中を妹に向ける。妹がおずおずと身を預けると、彼は妹と会話を交わしながら、家の方向へ歩いて行った。その後ろ姿が、だんだんにじんでいって、俺は自分が泣いているのを自覚した。 妹を救うことのできなかった悔しさなのか。まるで妹があいつに取られてしまったような淋しさなのか。それとも、一瞬の救出劇に感動したからなのか。わからない。瞳からは絶えず涙が零れ落ち、俺は2人の姿が見えなくなってからも、いつまでも1人でそこにたたずんでいたのだった。 「千秋さん?どうしたんですか?もうすぐ定例会議が始まりますよ?」 俺ははっとして我に返る。気づけば、社員が俺の顔を覗き込んでいた。 「ああ悪い。ちょっと昔のこと思い出しちゃって。はは」 もう10年も前のこと。それは、俺がはじめてムカつくあいつに出会った日の記憶。あれから弱い自分を変えたくて、空手を始め、心身ともに鍛え上げた。あいつがこの会社に入るように仕向け、あいつが入社してからは少しでも俺のことに気付いてほしくて必死で仕事した。それでも、あいつはさっき、俺のことを初めて認識したようだった。分かっている、あの日からずっと、あいつには凛奈しか見えていない。でも、今日でそれもきっと終わりだ。社長室であいつは確かに父に言った、凛奈さんの気持ちは私にはありません、と…。 ようやく、時が来たのだ。あいつは失恋した。ついにあいつが、俺の方を向くチャンスが巡ってきたのだ。 この手を逃すわけにはいかない。大丈夫、この時のために充分に計画は練ってきたのだから。 俺は、脳内でこれからの計画の最終チェックを始めた。 「ちょっとどうしたんだろう、磯部さん。さっき落ち込んだ顔してたと思ったら、今ものすごい不気味な顔で笑ったぞ。こわ…」 「しっ、会議中だぞ!それに、そんなわけないだろう。あの人はいつも完璧なんだからな」 「そうかな…。さっき確かに、ものすごい顔で笑ったと思ったんだけどな…まるで獲物を狙う蛇みたいな顔で。」
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