「クロスロードの靴」 11

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「クロスロードの靴」 11

 その後、一年間はすったもんだがあり、彼らに亀裂(きれつ)が生じていくことになる。  りゅうさんの中で燻り続けていた不信感が増殖されていく。僕の介入がきっかけのひとつになっているのもゆがめない事実だ。  五月に入っても僕のことが後を引き、りゅうさんと秀介さんの折合(おりあ)いは悪い状態が続いた。加えて秀介さんの仕送りが半減され、休みの夜にもアルバイトを追加した。彼らが共に暮らすうえで共有時間も少なくなった。もくもくと働く秀介さんは誰の目から見ても、疲労を隠せない状態になっていた。あやねさんとかおりさんは喫茶店の出来事があってから、生活費に関しては秀介さんとりゅうさんに頼っていた。申し訳ないと思いながらも秀介さんの言葉に甘えて、お金のことはすべて任せてきた。しかし秀介さんの疲れた姿を見かねて、あやねさんとかおりさんがアルバイトを探すようになった。  アルバイトはすぐに見つかった。今回はカウンター越しで接客ができるファーストフード店で勤めることにした。これなら今度は大丈夫。でも事前に秀介さんの承諾(しょうだく)を得ていなかった。事後報告に秀介さんは気を揉んだ。  りゅうさんはソファーで距離を保ち、口を挟まなかった。自分の分担額はちゃんと出している。それよりも自分が第三者的に外されているようでおもしろくなかった。二人のやり取りだけで事が進んでいる。「りゅうはどう思う」と物事の決定に共有する言葉が伝えられない。仲間意識を欠いた世界が目の前に映っていた。 「ちょっと俺、外の風に吹かれてくるわ」とりゅうさんが言い残し、さっさと出て行った。二人はあまり気に()めていなかった。  夜遅くにりゅうさんが帰って来た。普段より声が大きい。秀介さんがびっくりして部屋を飛び出した。りゅうさんは酔っぱらっていて、顔に殴られたようなけがをしていた。秀介さんが理由を訊ねても、りゅうさんはなにも答えずに部屋へ入った。  翌日、秀介さんがアルバイトを終えて帰って来ると、玄関先に二人の警察官が立っていた。かおりさんが応対していた。内容は、昨日の二十三時頃、サラリーマンが若い男にからまれて暴力を受けたという。 「この辺りで怪しい人物を見かけなかったですか」などと玄関口で質問をされた。  思い当たる節があるといえばあるけれど、秀介さんは頭の中で整理をして、警察官の質問に否定して答えた。 「なにか気づいたことがあれば連絡を」と言い残し、警察官は隣の部屋へ移動した。ドアを閉めて鍵をかけた。  一時間後にりゅうさんが帰って来た。秀介さんが顔の傷について訊ねた。 「酔っぱらって、ちょっと転んだのさ」  りゅうさんがぶっきらぼうに答えた。心配しているのにその態度はないだろ。秀介さんは内心かちんときていた。 「本当に本当」とあやねさんが念押しのように訊いた。 「しつこい」と面倒くさがるように不機嫌な声をあげた。「一体なんだよ」逆にりゅうさんが二人に問う。秀介さんが事情を説明すると、りゅうさんの顔がゆがんだ。 「俺を疑ったのかよ」、「安心したくて確認しているだけじゃないか」、「信用していないのかよ」、「そうじゃない。ただ心配しているだけじゃないか」、攻防に近い口調が繰り返された。りゅうさんが秀介さんの胸ぐらを掴んで言葉を吐き出す。 「いつもお前だけが正しいのか。俺は間違っているのか。お前の意見だけが通るのか。俺の意見は無視か。お前がすべてを決めるのか。俺は下僕か。お前は、一体何様のつもりだよ」  掴まれていた手を乱暴にふりほどき、秀介さんが負けない口調で言い返した。 「誰もそんなこと言ってないだろ。いつまでも拗ねたこと言ってるなよ」  投げつけられた言葉にりゅうさんがきれて秀介さんを殴った。秀介さんが横倒れで床に転んだ。唇が切れていた。 「なにも殴ることないじゃない」  あやねさんが秀介さんのそばへ行って屈み込む。傷口を見ていた。 「これで気が済んだか、りゅう」  りゅうさんは、この二対一になる関係が気にくわなかった。 「いつもそうだな」とりゅうさんが背を向ける。「なにがだよ」秀介さんの声がりゅうさんの背中に当たり跳ね返された。「ちゃんと言えよ」再度言葉を投げつけた。 「お前にはわからないよ」と言い捨てて部屋を出て行った。  その晩、りゅうさんは帰って来なかった。  けんかをしてから一週間が経っていた。しかし、二人の仲は改善されていなかった。りゅうさんは帰っても自分の部屋へ直行して閉じこもっていた。誰とも会話をしようとしない。唯一、かおりさんが声をかけると、「ああ」とか、「いや」とか、短い返事をした。  重く沈んだ空気が部屋の隅々まで覆い尽くし、息苦しくなる。  住人だけでは解決できない状態になっていた。
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