「クロスロードの靴」 1

1/1
55人が本棚に入れています
本棚に追加
/77ページ

「クロスロードの靴」 1

 僕は足下を見つめ、搭乗口の前で待っていた。  目的を持たない靴は履き捨てた。  絵が好きだから勉強をするためにフランスへ行くんだ。という考え方は、短絡的で無謀(むぼう)なことかもしれないけど、夢が膨らみ、思いが育ち、僕は歩き出さずにはいられなかった。  小さい頃から絵を描くことは好きだった。  彼らと出会うまでは、本格的にというより、趣味的にという程度の思いしか持っていなかった。でも、僕が描いた絵を彼らにほめられて、胸がどきりとした。初めて自分の長所に気づかされた。他人に認められた気持ちを抱き、胸の内で喜び、希望の光が差し、未来の入り口を見つめて、僕は興奮を覚えた。  彼らに出会わなければ、僕は自分の好きな道を見つけ、ちゃんと歩き出せていなかっただろう。たとえ夢を見て歩き出せたとしても、壁にぶつかったとき、あきらめる理由を並べ、自分に言い訳をし、自分を正当化して、挫折(ざせつ)していたかもしれない。才能がなかったと虚しく自分を納得させていたかもしれない。  老いてから、若き頃の夢を思い出し、後悔するのはいやだ。  ならば、光に向かって歩き出そうと決心した。  この先、歩む途中で自分が信じられなくなり、自らの生き方を否定し、分岐点に立ち止まったとき、僕にとって正しい道標(みちしるべ)となる存在は、きっと、必ず、絶対に、彼らだと言えるだろう。  彼らと一緒に暮らして、やっと見つけられた夢を父に打ち明けた。  僕の思いは父の思惑から外れた。  父は僕の選択を否定し、言葉を吐くほどに興奮し、みるみるうちに顔を赤らめて怒り、しぼむように落胆した。僕は(ひる)むことなく意志を通した。彼らの家を出るときには、父の思いをはねのける、強い意志が芽生えていた。人から何を言われても、どんな歩き方をしたとしても、夢を抱いて歩き出せたなら幸せなことだと思ったからだ。今は勇気を与えてくれた彼らに心から感謝をしている。    彼らと出会ったのは、高校一年生の夏休みだ。  生活態度や進路について、しょっちゅう小言ばかりを聞かされ、徐々にストレスが()まっていた。精神的に追い込まれ、僕は限界に達して父と衝突した。  学校や塾の成績が思わしくなかったのも事実だが、まったく努力をしていなかったわけではない。結果がすべてではなく、報われない努力も認めて欲しかった。がんばれとはげまして欲しかった。僕の淡い期待は望み通りにはならず、叱責された。  父は経営している病院を、精神科医を、僕に継いで欲しかったからだ。  父の期待が僕の望みにつながるわけではない。僕は幼き頃から植え付けられた跡継ぎという期待にプレッシャーを感じ、息苦しかった。  次の日、「しばらく旅に出ます。捜さないでください。」と書き置きを残して、朝一番に家を飛び出した。目指す先に頼りになる人などいなかった。僕はひとりの不安と家からはなれた安堵を抱きしめて電車に乗った。二時間かけて東京駅に着いた。山手線に乗って原宿駅で降りた。駅周辺をぶらぶら歩いていると不良にからまれて、通りかかったりゅうさんに助けられた。 「都会は怖い」という文字を頭の中に刻みつつ、僕はりゅうさんのうしろをついていった。  彼らと顔を合わせたとき、驚きと怪訝と不満を混ぜ合わせたような、ばつが悪い雰囲気の中にいた。  僕が出会った彼らは、多重人格の持ち主だ。  最初は生きるために囚われた魂を維持していると、彼らの存在を位置づけて、間違った認識をしていた。しかしながら彼らと生活を共にし、一人ひとりと会話ができるようになり、彼らが歩んだ人生を知り得て、僕の認識が払拭された。  あらゆる人格を偏見(へんけん)上辺(うわべ)だけで判断する人たちから、憐憫(れんびん)恐怖(きょうふ)罵倒(ばとう)暴力(ぼうりょく)、と様々な苦痛を受けながらも、彼らは純粋な心を持ち、必死で生き続けていることを知った。  彼らの生活を見ていると、彼らが世間から弾き出され、隔離(かくり)されたのではなく、彼らの方から世間を避けていたようにも思えた。 「人が生きてゆくには、人に関して無縁であってはならない」と誰かが言っていたのを思い出した。言葉では理解できる。確かに言葉の意味するところは、年を経るごとに重さが増し、深みが加わることだと理解はできるけど、彼らの過酷(かこく)境遇(きょうぐう)を思えば、にわかには受け入れがたい。この言葉は年老いた人にこそ似合う言葉かもしれない。  若い僕には素直に受け入れる心の余裕がなかった。  彼らには厳しい世間の偏見が存在した。(さげす)みと苦痛と孤独の中に存在する彼らの生活は痛ましく思えた。それでも生き続ける彼らは見事な人生を歩んでいると、僕は彼らを尊敬している。  彼らこそ、人間の魂そのものだと言えるだろう。  だからこそ偏見を持った人や世間に僕は伝えたい。避けようのない彼らの境遇について、何一つ知ろうともせず、()(きら)うことこそ、無縁に等しいことだと。  絵の道を歩みながらも、彼らのことを物語として書きたい。彼らのことを書き残したいと思ったのは、僕が二十歳になってからだ。  初めて彼らと出会ったときは、彼らが十九歳になる年だ。二度目に彼らと出会ったのは、彼らが二十歳になる年だ。  僕が大学二年生になったとき、今なら彼らとより近い感情で、同年の感覚で、彼らのことを書くことができるだろうと考え、彼らの物語を書いた。一度は書き上げたけれど、結末にはいたっていないと思い、先月、数年ぶりに再会し、僕なりに彼らの物語を書き上げることができた。  僕は書籍一冊と彼らの物語を鞄に入れていた。フランスまでの道のりでもう一度読もうと思っていたからだ。  搭乗案内のアナウンスが聞こえてきた。  さあ、出発だ。
/77ページ

最初のコメントを投稿しよう!